Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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経済学

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2012年12月 3日

選挙前 今の時代をどう認識するか Ⅳ 「モノ本位」経済の本流 日本

「モノ本位制」時代の本流・日本?

というわけで、次は経済。政治とか経済とか分けて考えるのは間違っている。経済こそはすべてのものの基礎にあると僕は思っているのだが、まあ順番に。

すべての「権威」を否定したことで、日本の政治は液状化していると言ったが、経済でも同じことだ。と言うより、経済がおかしくなっているから、政治も流動化したのかもしれない。日本、いや世界全体が、深い森に迷い込んだときのように、自分のいる位置、向かっている方向が見えなくなっている。日本経済について言うなら、現状が好いのか悪いのかもわからない。

日本経済はデフレでだめだ、バブル崩壊以後もう二十年も空費した、ということになっている。たしかに職を失った、または転職を強いられた人は多い。小泉政権時代は、タクシーの台数を増やすことで運転手の職を増やそうとしたらしく、一台あたりの稼ぎが少なくなったと言って、運転手たちはこぼしている。でも他方では、夜の居酒屋あたりは若い客でいっぱいのところも多い。バブルのころ一戸八千万円はしたマンションは、いまでは五千万円ぐらいで買えるだけでなく、一部屋が広く居住性が良くなっている。僕の地元のスーパーでは百グラム百円のアメリカ産豚肉、百グラム百五十円のオーストラリア産牛肉がならび、これは以前の半分の水準だ。円高だ、法人税が高すぎる、このままでは海外に移転せざるを得ない、などと言ってこぼす日本の大企業も、いざ決算のふたをあけてみると、空前の利益を上げていたりして、このごろは千億円単位で外国の企業を買収するのをなんとも思っていない。モノづくりがダメになったと言われるが、IフォンにしてもIパッドにしても、なかには日本製の部品がたくさん入っているし、半導体製造のための機械も日本は多量に輸出している。今、日本は対中貿易が赤字だということになっているが、香港との貿易をあわせてみると、日中貿易は日本側の黒字だし、サムスンや現代自動車が売れれば売れるほど日本製部品や機械の輸入が増えて、韓国は対日貿易赤字になるという構造なのだ。

いったい、日本の経済は悪いのか好いのか、または悪人だけが好い目を見ているのか、真相がわからない。企業をしらみつぶしに回って聞き込みしないとわからないだろうし、たとえ話を聞きにいったところで、外部の者に本当のことはなかなか教えてくれないだろう。うまくいっている企業は黙っているし、悪いところは隠したがる。もしかすれば、金融テクニックで経済を膨らませてきたアメリカ流、イギリス流のやり方はもう限界で、これまでモノ中心でやってきた日本経済こそがこれからの本流になるのかもしれない。

第一次大戦のあと、ドイツは賠償金をきつく取り立てられて天文学的インフレ(数兆%と言われる)になったが、一九二三年政府は全国の土地を担保とする新紙幣を発行(レンテン・マルクという)、インフレを一気に収束してしまった。つまり紙幣が信用を失ったときには、実際に価値を持つものをどれだけ持っているかが勝負となる。今、アメリカやEUの経済が不調になるたびに円が買われるが、これは日本経済の生産力、販売力、つまり日本の実際の価値には底力があることを示している。レンテン・マルクのようなもので、土地本位制やモノ本位制というものができれば、日本はいいところにつけるだろう。

「プロメテウスの火」=産業革命

問題は、日本そしてアメリカやイギリスなどでは、モノづくりが減ってきているということだ。モノづくりは多分、経済の大元だと言えるからである。
中世までの世界では、経済の大半は農業と通商だった。アンガス・マディソンという偉い経済学者がイギリスにいて、彼は世界のGDPを中世にまでさかのぼって推測、計算したのだが、それによると十八世紀の産業革命まで世界経済は遅々として成長していない。農業生産は土地の面積に制約されるので、低成長型なのだ。ところが南米の金や銀を大量に持ち帰り、千万人をこえる奴隷をアフリカから新大陸へ売って資本を蓄積した欧州が「産業革命」を始めると、GDPはうなぎのぼりになる。

畑では一時間働いても、野菜はひとつもできないが、工場で人間が一時間働くと千円のTシャツを百枚作ることができるからだ。そしてそのTシャツを梱包し、運搬し、販売し、それらすべてのプロセスに運転資金を貸し出す銀行の手間―ー要するに「サービス」、または第三次産業と言われているもの――を足すと(それらはふつう、モノの生産費を数倍うわまわっている)、産業革命=機械による大量のモノづくりがどんなに大きな効果をもたらしたかがわかる。

マディソンの統計で試算すると、一七〇〇年から一九六九年までの間にイギリスのGDPは五十五倍になっている。それまでのイギリスは、主な働き口が農業、または下男・下女ということだったので、それに比べるとまあまあの自立した生活ができる人間―ーつまり中産階級―ーが飛躍的に増えたのである。与野党の競争が激しかったイギリスでは、各党が自分の票を増やそうとして、この新しい中産階級に投票権を拡大していった。一九一八年には男性のみ、一九二八年には女性も含めたふつう選挙権が確立している。こうした過程をみると、産業革命、つまり大量のモノづくりは個人の生活と権利を向上させ、それが現在の民主主義政治を生んだのだ、ということが言えるだろう。

昔、といっても非常な昔、ギリシャ神話の世界にプロメテウスの神がいた。彼はある日、主神ゼウスが独占していた「火」を盗み出すと、まだ未開の状態にあった人類に与え、これで人間らしい暮らしをしろと言った。それで人間は今日の文明を築くのだが、哀れなプロメテウスはゼウスによって岩山に縛りつけられ、ワシにその心臓を毎日ついばまれることになった。というのは、彼の心臓は一日で回復してしまうからである。
現代の「プロメテウスの火」、それは産業革命、つまり工業化のことである。この火はまず最初にイギリスに渡され、そのあとは欧州大陸、アメリカ、そして日本を発展させた。火を運ぶものは資本と技術の移転である。アメリカは欧州からの資本と技術、日本は欧米からの資本と技術にずいぶん助けられた。そして今、欧州、アメリカ、日本の企業は、生産費用の安い国に投資することで、プロメテウスの火を世界中に行きわたらせているところだ。だが資本と技術を渡しすぎる国は、不況、失業というワシにさいなまれることになる。不況を克服したと思っても、次の日にはまたワシがやってきて心臓をついばんでいく。

「産業革命の逆まわし」か、「産業革命のビッグバン」か

 プロメテウスの火を失う、つまりモノの生産が減ればその周辺に形成されるサービスも減るので、経済全体が縮小していくだろう。モノづくりが減ると、それに関連したサービスも減る。いやそんなことはない、人間はサービスだけで生きていける、と言う人がいるかもしれないが、それは無理だ。人間Aが、テニスのレッスンが上手だとしよう。彼は自動車が欲しいとする。車のディーラーの従業員にレッスンを無料でする代わりに、自動車を無料でもらうことは無理だろう。モノは輸入すればいいと思うかもしれないが、輸入だけでは貿易赤字が大きくなって、円がどんどん下がっていく。そうなると、輸入品は日本国内では割高になっていき、しまいには買えなくなるだろう。そうなると国内のモノづくりがまた盛り返してくるのだが、それまでには数年はかかるだろう。

だからプロメテウスの火が消えると、経済全体がしぼむ。困るのは経済だけではない。モノづくりが生んだ富が減少し、中産階級が縮小してくると、民主主義の基盤も小さくなる。「衣食足りて礼を知る」と逆のことが起きるのだ。就職先はさらに少なくなり、中世イギリスの下男、下女ほどではないが、金持ちにあごで使われるような屈辱的な仕事が多くなるかもしれない。収入が減れば、選挙でも簡単に買収されてしまうだろう。今でも経済状態の悪い旧ソ連諸国では、大衆を日当で政治集会や投票に動員している。十年前の某大国で聞いた話だが、選挙の日も暮れなずむころ、投票所に一台のバスが止まると、中から老人たちがぞろぞろ降りてきた。彼らは大きく伸びをすると言ったものだ。「あーあ、もう疲れたよ。今日でもう三回目の投票だぜ。まだカネくれねえんだからな」

つまりプロメテウスの火、工業が減退するということは、十八世紀に産業革命が始まって以来の社会史を逆回転させるようなものなのだ。われわれは格差と暴力だらけの中世世界に戻り、民主主義など遠い夢ということになってしまいかねない。ここで、経済が政治につながる。
でも、経済の話を続ける。われわれはプロメテウスからもらった火を後生大事に国内に抱えていればいいのかという問題を考えよう。答えは簡単、それもまた程度の問題だということだ。組み立て工賃の安いところで製品を作らないと、日本の企業は競争に負けてつぶれてしまうだろう。ではモノづくりを全部海外に出さなければならないのかというと、またそうでもない。モノづくりは、誰かが金持ちになると他の者が貧乏になるという、ゼロサムではなく、多くの人がかせぐことができるプラスサムの世界を可能にするからだ。

工業というのは農業と違って、需要が増えれば生産をどんどん増やすことができる。日本や欧米諸国が中国に工場を作り、それで中国人が豊かになれば、日本からの製品や部品の輸入が増える。現代の複雑な製品は多数の部品でできていて、なかには日本でしかできないもの、日本でしか作っていない機械もあるからだ。こうして、産業革命が世界に拡散していくことで、豊かな国は増えるだろうし、それが新たな需要をふくらませて老舗の工業国にも利益をもたらすだろう。
だから、世界では産業革命のビッグバンのようなものが継続していると思ってかまわない。モノやカネの供給が過剰になると、一時的に不況が起きるが、それもまた消化されてビッグバンは続いていくだろう。今の中国のように、外国の資本と技術で成長したものを自力と勘違いし、経済力を軍事力に転化しようとする国や、逆に競争に怯えて国を閉じようとする者は、大きな儲けを失うことになる。ただモノづくりも無限に拡大はできないので、資源の再利用、環境への配慮は必要だ。

同時多発大変動

こうして、今の世界は大地震にも似て、同時多発型の大変動のただなかにいる。冷戦が終わり、ロシアや中国がグローバル経済のなかに入ってきたことなど序の口。それをうわまわる地殻変動が、第二次世界大戦直後から静かに進行していた。それは三百年以上にわたる西欧の植民地主義、西欧文明による世界支配の終焉と、植民地諸国の独立だった。もっとも、植民地諸国は独立したとは言え、経済力、軍事力では欧米にはるかに及ばず、学問、教育、そしてマスコミも欧米に支配されていた。それが、欧米の社会は多民族化して変質したし、中国が一九九三年以降外資を積極的に取り入れて経済力、軍事力、そして発信力を手に入れ、世界第二位の大国となった今、先進国は産業革命の逆回しを味わわされている。

そして産業革命以降、いつも問題になっていた「モノとカネの関係」が、今一つの時代を終えようとしているのかもしれない。社会に出回るカネの量は、取引されるモノやサービスの価値に見合ったものでないといけない。少なすぎればモノの表示価格は下がり、あたかも利益が減っていくように見えるから、企業は投資を控えて不況になる。デフレになるのだ。一方、カネの量が多すぎると、モノの表示価格は上がり、利益率が上がるように見えるので、企業は投資を拡大し、経済は過熱してインフレがますます強まる。

十九世紀のイギリスは、一ポンドの価値を金の一定重量と等しい、こう定める金本位制を採用して、ポンドの発行量を抑制し、インフレやデフレを防ごうとした。だがアメリカやドイツが今の中国のようにモノづくりで伸びてくると、カネの量が不足して、十九世紀後半の世界は二十年間ものデフレに見舞われる。これを救ったのは、一八八六年南アフリカで金の大鉱脈が見つかったことなのだ。

終戦後、イギリスのかかえた莫大な借金を肩代わりすることで、ドルを「国際通貨」の地位につけたアメリカは、制約の多い金本位制を取らなかった。一九七一年以来、米ドルは金の価格から解き放たれた。それ以来、カネ=米ドルはモノやサービスの総量をはるかに超えた自己増殖を繰り返し、日本や中国、そして韓国の急速な成長も支えてきたのだ。だが、モノづくりが空洞化したアメリカでは「カネでカネを作る」金融テクニックが発達しすぎ、二〇〇八年のリーマン・ブラザーズ金融不況を引き起こす。二〇〇九年、アメリカのGDPは二,二%、約二十五兆円相当も減少した。

今アメリカでは、金融機関が過度の投機行為でバブルを生み出し、それが破裂して不況をもたらすことを防ごうと、一連の法律が作られようとしている。うまくいくかどうかわからないが、もし過度の投機が規制されるようになれば、戦後世界経済は一つの大きな転回点を迎えることになる。
金融の話が長くなったが、まとめて言うと、これまでの世界の地殻が割れ、塊となって漂流し始めたような、いくつかの大変動が同時に進行している。日本では明治以来の「権威」たちが地に踏みにじられたが、世界でもアメリカの権威はずいぶん擦り切れた。アメリカという国は、没落してもまたそれを跳ね返す活力を持っているので、もう起き上がらないだろうと思って叩くと、あとで大変な目にあうのだが、今のところ腰が低いことは間違いない。


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