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政治学

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2010年4月27日

政治家と政党に幻滅したあと(案募集)

夏の参院選挙に向けて、白けたムードがただよっている。みんな、もうわかってきたのだ。政治家というのは、国民の期待に付け込んでは、自分が居残ることばかり考える人たちだということが。
いくら総理を変えたところで、与党を変えたところで、予算をもらって喜ぶ連中がグループAからグループBに代わるだけの話で、大多数の市民には関係がない、いやもしかすると政府が大盤振る舞いをするせいでインフレのあおりだけ食らうかもしれないということを。

もう何をいくら誰に回すかということばかりやってないで、この機能しなくなってしまった政治体制をどうしたらいいか、機能不全になった社会と政治・行政の間のインターフェースをどうやって現代化するか、みんなで議論したらどんなものだろう。

現在の、「政治・行政・司法の間の三権分立で政治がまわる」というお題目はもう古い。若者にとってみれば、政治家も官僚も裁判官もみんな「政治家」。代議制とか三権分立などというのは、建前だけのまやかしに見えているのだ。

政治家は、数年に一度の選挙ですべてを有権者から任されたつもりでいるが、それは独善だ。有権者は、政治に行政に自分でも参加したがっているのに、何がどのように行われているのかマスコミも本当のことを教えてくれず、いつも不完全燃焼でいるのだ。

18世紀、米国は世界で初めて、「憲法」によって定められた国家統治体制を作り上げたが、その時のような目的意識と熱意が今、必要なのだと思う。

われわれはいつも、大きな枠組みはまるで自然のように天から与えられたものと思っているが、人間の世のことは人間の手で作ろう、作り直そう、枠組みと土俵は自分で作ろうという気概を持とうではないか。

コメント

投稿者: 横田 | 2010年4月28日 13:46

言い古された言葉ではあるが、党利党略を実感する昨今、選挙で選出されたと虚言で跋扈。選挙は国家創造の過程のはずが、目的化している感しきり。次は何たる弁明をするのかと、施策実現より答弁問答に終始している、と聞こえてならない。政治の原点を凝視し国家は如何に有るべきか100年後の姿を見て邁進する姿を切望。憂いる事無く自国の成長に邁進している人が多くいる昨今、ともに持続的発展に傾注したい。

投稿者: 河東哲夫 | 2010年4月28日 15:30

その通りなんですけど、何をどうするか、誰がどう動いて実現していくか、考えるだけでも大変で。最後は結局、数の勝負で、そうなると今政党がやっていることと同じになってしまうので。

投稿者: 河東哲夫 | 2010年5月 1日 22:15

一つ一つ、気がついたことをここに書き遺しておくことにした。皆さまも、現在の国家運営体制をどう変えたらいいか、その原則、具体案、実現方法など、投稿ください。

まず元官僚として書き遺しておきたいのは、「政治家と官僚の間の関係をまともなものにする」と同時に、「官僚はもっと社会の中に入れ」ということ。
社会の情報、国際関係の情報を詳しく、満遍なく集める時間を持ち、それを政策策定に結び付ける仕事をするのは官僚だ。政治家は「政治家主導」だとわめいて官僚を怒鳴りつけるのではなく、自分自身の識見、情報源も持った上で、官僚を使いこなす手腕を持つべきだ。
他方、時代や世界情勢が大きく変わるときは、官僚の作る政策はどうしてもスケールが足りない。資源配分を大きく変えるだけの権限を持っていないからだ。そこは、総理、大臣が大きなかじ取りをする。
さらに、多くの官僚が各省同士のやりとり、政治家・マスコミとの付き合いに時間の殆どを取られ、意識が社会から大きく遊離してしまうことを直す。それも、道徳談義で直すのでなく、制度を変えることで直す。どう変えるかはこれから考えるが、社会人を中途採用するのも、その一つだろう。
これだけ変えるだけでも大変なことだ。

投稿者: 河東哲夫 | 2010年5月 1日 22:25

そして、政治への国民の参加意欲を満たし、それがポピュリズムに堕さないようにするにはどうしたらいいか。
日本にも大統領制を導入するか? でも総理大臣が1年ともたない日本だ。早々に飽きられてしまうだろう大統領を、4年以上もトップの座に据えたままにしておくのか?

「インターネットを使えば、案件の一つ一つに国民投票を行うことができるので、是非そうしよう」という意見があるが、それもどうか? 大体、インターネットでの投票はソフトを操作してしまえばどうにでも変えることができるだろう。
それより大きな問題は、みんな忙しいから、関心もろくにない問題についていちいちインターネットで投票もしていられないということだ。

投稿者: 河東哲夫 | 2010年5月 1日 22:37

そしてもうひとつは、経済活動に対する政府の権限をどこまで拡大、あるいは縮小するか、ということ。
大学で教えていてぞっとしたが(というのは、政府・共産党が卒業生の就職先を強制的に決定するようなことをしていて、ついには経済を窒息させてしまったソ連を思い出させるから)、今の学生の30%くらいは「政府が企業に何か言って、自分の就職をどうにかしてくれるべきだ」と思っている。(これは家庭教育、学校教育の問題なのだ。学校の先生たちの多くが、社会で何か問題があるとすぐ、「政府は」「おかみは」何をやっているのでしょうね、という方に話を持っていくのでないか?)
小泉改革が格差を拡大したがために、竹中大臣が強調した「市場経済」はそのすべてが悪だということにされてしまったが、規制経済の極だったソ連の経済は崩壊してしまい、新卒の就職はおろか、社員でさえ何カ月も給料未払いになってしまったことは、誰も言わない。
今の日本は市場経済では埒が明かないように見えるが、それは生産が海外に出てしまったからだ。企業が海外に出ることを規制すると、たちまち赤字が累積して、2,3年で倒産。日本経済は今よりひどいことになるだろう。
日本経済は規制よりも、経済活動の自由を基礎に、国内でも競争力を持ち得る生産を盛んにし、その周りに新しいサービス産業を創出していくやり方で、またプラスサムに戻していくのがいちばんなのだ。

投稿者: noutori | 2010年5月 5日 11:46

官僚OBですが最近の動きには非常に危機感を抱いています。自民党も民主党も「与党」でしかなかったのです。すなわち政策の全体像がツメられない、他の事項との影響や整合性が描けない、そして何よりもとろうとする政策の中身がきちんとツメられない。いままでこの機能を担ってきたのは官僚組織。過去の経緯や既存利得で無駄な部分も随分ありますが霞ヶ関の中枢はほぼまともに機能してきたとおおもいます。足らなかったのは政治主導、政策メニューを提示しどちらを取りますか?と大臣に提示して決断を求めても決断しないという現象です。
 この部分が改善されるならと期待していたのですが結局は選挙目当ての仕分けで官僚組織を崩壊させただけ。有能な新人は官僚組織には来ないでしょう。
 今後どうなるのか?政策は場当たり、内容は非整合、このような政策の恩恵を受けるためには個人がPCで情報を探す以外にないでしょう。助成の申請ひとつにもこのような作業が必要で(病気の助成金の申請書をみればよくわかります)結局弱者は置いてきぼりになるでしょう。20年後には医療も介護も窓口に相談に行っても「わかりません」との回答が返ってくるでしょう。このままではそこまで組織が劣化していくということです。ロシアを見てこられた河東さんはどう思われますか?

投稿者: 河東哲夫 | 2010年5月 6日 01:03

noutori様
「政策は場当たり、内容は非整合――20年後には医療も介護も窓口に相談に行っても『わかりません』との回答が返ってくるでしょう。ロシアを見てこられた河東さんはどう思われますか?」とのことですが、それはまさにロシア世界のことです。あそこは袖の下で多くのことが可能になってしまうのですが、まじめな日本人のことですから、「わかりません」の一言であとはフリーズしてしまうのでしょうね。
既にそのような実例があったことを、知人から聞いています。
政治家と官僚の関係を、もっと良識的なものにしないといけないと思います。表面だけへりくだりながら、腹の中では政治家に舌を出している役人とか、一言の命令だけで巨大な政府機構が動くものと思い込んでいる政治家とか学者とか、もっと統治のしくみを変えることで、意識も変えていかないといけないと思います。

投稿者: たろ | 2010年5月 6日 20:56

>>政治家と官僚の関係を、もっと良識的なものにしないといけないと思います。
>>そして、政治への国民の参加意欲を満たし、それがポピュリズムに堕さないようにするにはどうしたらいいか。

ちょっと議論がどうにも膨大すぎて、なかなか書き込みしずらかったのですが、、、。

「良識」実定化のための憲法ではないでしょうか?これを実現するためには、大枠でまさに司法の力が必要なのではないでしょうか?現実では国民のほとんどが、法の力をほとんどといっていいほど認識していませんよね・・・。政治とは法と関係なく動くものだと思っている・・・。検察と警察の区別すらつかないのが、リアルな現実なんですよね・・・。ましてや、憲法の役割なぞ・・・、遠い議論なのかもしれませんが・・・。

戦後史を通して、憲法の占める役割があまりにも小さすぎ、国としてのガイドラインがあまりにも恣意的で、結局どの党も目先の経済利益を追求するという自体になり、本質的に自民党も社会党もバラマキ型の再配分政党になるという事態に陥ってきました。
それが、消費型経済投資だったことは、不況になって露骨に明らかになってることでもあります。

格差社会とは馬鹿げた話で、経済的に豊かな時代でもはっきりと格差などあったのは、東大などの入学者の親が高所得者で占められていたのを見れば火を見るより明らか・・・。このズボラなお坊ちゃん感覚が、政治家、行政、官僚、挙句にはメディア、教育と連鎖反応し続けてきた戦後でもあると思います。これが現実を直視できない行政、メディアにまでいたる。

ここでも、憲法規定の「教育の機会均等」が事実上無視され放置されている。鳩山政権の子供手当ても他国のそれを真似ただけのニュアンスが強く、憲法を意識した合理性といった雰囲気はまるでありません。だから、何のための子供手当てなのかの議論も啓蒙も当然のごとくなおざり・・・。せいぜい、困ってる人助け程度にしか人々はおもってない。文化が経済を支えていくという構造的問題認識がまったくといっていいほど無い・・・。

こうした現状では、変わりいく時代の中で、「均等」とは何なのかを問うことができない。それが司法の停滞化を生み出して国家体制として日々脆弱になっていく大きな理由でもあるのではないでしょうか。

日本の法曹界があまりにも受身であって、自分自身の存在をフォロできなくなって、空洞化。そこに大衆が司法を軽視する土台があるように思います。

ドイツの憲法裁判所、五大高等裁判所などは、この点司法の運営として非常に参考になります。

上記の直視できないものを、見てきた現場の行政サービスの人間も当然いたわけですが、それを政治的良心に翻訳できる機関がまるで無い。現場とキャリアの徹底した断然は、官僚が日本の現状を鑑みて政策立案するのではなく、あくまでマクロを見続けて政策立案することになったのではないでしょうか?

その結果、大衆レベルは旧態然とした社会主義的な再配分によってくわされるだけの存在になり、空洞化。日本型福祉が経済縮小で事実上倒産しつつあるのが、現状。

本来なら、マスコミがこういった問題意識の橋渡しをになわされるのが、自然のなのかもしれませんが、独占寄り合い所帯に成り下がってまるで機能せず。それ以前に、1億2千万規模の人口に対して、メディアが極端に寡占すぎる。新聞が数社、公共放送がたったの1局とは呆れんばかりです。これでは地域ごとの問題の特殊性も扱えなければ、政治も行政も当然馬鹿になる。

所詮、メディアも上記の再配分によって食わされてるだけの大衆に過ぎなかったことが露呈したまでの事なのですが・・・。

仕分けなどで、独立法人=悪のような意識が蔓延していますが、この橋渡しを本格化させるためにも大規模なシンクタンクや調査機関を作らねばならないのではないでしょうか?

 これを憲法のようなもので方向性を規定しないとしないと、民間のPH○研究所のような意味のわからないイデオロギー集団と化してしまいます。なおかつ政治性をもったNGOのような存在を認めること。知的言説を背景に、国民の多様化を推し進めないと日本人の福祉ぼけした社会主義的な意識が変えられないのではないでしょうか。

抽象的議論で申し訳ないのですが、良識的であるという経験則を示すものが憲法である以上、それがほとんど機能していない現状の日本では党派がイデオロギー勢力争いになるのはやむえない節もあるかと思います。小さな党派乱立を防ぐためにも、大道がまとまらない悪循環を避けるためにも,一定以上の割合を持たない党派を国会から切るべきなんでしょうけどね。そうしないと、大衆はまるで子供のカードゲームのごとく珍しいカードから珍しいカードを探す一発逆転ゲームを探すハメになる。

これを防ぐためにも、憲法による経験の蓄積とミニマムラインの線引きをはっきりさせないと、政治家の思いつき劇場が永遠と続き、大衆化の暴虐が防げない。

いずれにせよ、この政治的地盤沈下で小党派乱立という戦前のフランスやドイツのような事態になってきてますよね。これがひどくなれば、政権の運営もさらに不安定になるでしょうし、百害あって一理なしの救いようの無い混迷期にはいって行くのでしょうね。

現状では、今ギリシャが経験してるような国民的敗北経験は必然であると思います。自己顕示欲を病的に肥大化させたでしゃばった人々が黙るにはもはやこれしかないのかと・・・。 

ドイツの戦後直後に「沈黙の世代」といわれる人々がいました。これと同じ運命をたどらねばならない人も日本が変わるには大勢いるのだろうと。

そのときすべての人が吹き零れないように、どうセキュリティや多様性を作っていくか、それに対してのバックボーンをどう確立するのか、河東さんのおっしゃるよう大統領制や憲法は極めて重要な案件になってくると思います。

そのことが、結果として戦後一貫して無視され続けてきた大衆、地域って問題に改めて目を向けることになると思います。

おしゃべり調のまとまりの無い駄文失礼しました!

投稿者: 河東哲夫 | 2010年5月 6日 22:12

たろ様に脱帽です。ほぼ全部賛成。
これらを全部どうやってinstitutionalizeするかが気の遠くなるような仕事です。それこそ、政治家の仕事なのですが、彼らはミュージカルをやっているようなものだし。
基本は、独裁者の出現を防ぎ民主主義を守りつつ、無原則な大衆迎合も許さないシステム、社会常識作りだと思っています。

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