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政治学

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2018年3月31日

森友学園 日本の民主主義メカニズム建て直しを

(これは20日発刊の日本版Newsweekに掲載された記事の原稿です)
 
今回の森友学園事件では、「誇り高きあの財務省」が「他ならぬ公文書」を改ざんした、「アジアに冠たる日本の民主主義は地に堕ちた」ということが言われている。しかしそれは、少々言い過ぎではないか?

権力者は、自分に都合のいいことばかり言い、書き残す。公明正大なアカウンタビリティーが売り物の米国で、ホワイト・ハウスの報道官がトランプ大統領の就任式には「過去最大の」観衆が集まった(実際にはかなりすかすか)と言い立てて、失笑を買ったのは記憶に新しい。そのように権力者が公に書いたもの、書かせたものは「公文書」ではあるが、それを鵜呑みにする者は、いい学者、いい記者とは見なされない。法律や国会議事録が勝手に改ざんされることはないが、役所の内部文書は役人の裁量の下にあるので、眼光紙背に徹して検証する必要がある。「そんなことをどうして我々にやらせるのか? ちゃんとした内部文書を書かない役人は厳罰に処せばいいではないか」と言うことは可能だが、そうなれば役人は決裁文書を最小限の簡単なものにし、機微な点は口伝えにすることで、証拠を残すまいとするだけだ。今の情報公開法だけでも役人は十分警戒的になっているので、これ以上厳格な透明性を求めても逆効果になるだけなのである。

 今回の改竄は、財務省官僚の国民を軽視した傲慢さを表している、という声もある。あるいは、これまで意に沿わない債務超過のアベノミクスを押し付けられてきた財務省が安倍政権の足を引っ張るために意図的にリークしたのだろう、という声もある。確かに財務官僚の自負心は強い。税に詳しいから節税のうまい者もいる。

しかし今回の改竄は、去年の3月、佐川理財局長(当時)が国会で「森友学園と土地価格について話し合った事実はない」と明言したことを受け、平仄を合わせるために行われたものだろう。そしてその答弁は、その1ヶ月前安倍総理が払い下げへの関与を一切否定したことに平仄を合わせたものであるらしい。従って改竄は佐川局長を守るため、つまり財務省官僚の身勝手さによると言うより、安倍総理の立場を忖度して行われたものではないか?

そして改竄を示す二種の文書が存在しているのを最初につかんだのは大阪地検だということになっているので(13日付日経夕刊)、財務省が安倍政権の足を引っ張るために意図的にリークしたという解釈も成り立ちにくい。

だとすれば問題は、「誇り高き」官僚達が総理の立場をここまで忖度せざるを得ない状況に追い込まれたのはなぜなのか、ということになる。そこで、少し歴史を振り返る。戦後、日本の政治家が権力闘争と利益誘導に明け暮れていた時代、日本の官僚は米国というお釈迦様の掌の上ではあるが、日本を実質的に差配していた。「日本の官僚は世界一優秀」と言われるのを自ら信じ、自分達の人事は自分達で決める、政治家が私利で不要なことを要求してきても拒否する――これが官僚(筆者も官僚だった)の矜持だった。

しかし、1991年ソ連崩壊で冷戦が終わり、バブルも崩壊すると、日本をめぐる状況は変わる。いくつものスキャンダルで官僚の権威は地に落ちたし、急激に変化する世界で日本は自主的判断を迫られる状況になったので、総理大臣の権限を強化して機敏な決定ができるようにせねばならなかった。小泉純一郎総理は、自分の政策に抵抗する官僚を更迭したし、民主党政権は「政高官低」を標榜して、自民党政権に仕えてきた官僚を抑えにかかった。そして2014年安倍政権は新法を採択して内閣人事局を設け、各省審議官級以上の幹部600人を直接任免することとした。これによって、日本の総理大臣は各省を実質的に直接指揮する力を得た。抵抗する幹部は更迭するか、更迭で脅せばいいからである。安倍政権はその力で財務省を抑え込み、債務超過のアベノミクスを続けてきたし、外務省を抑え込んで前のめりの対ロ外交をしてきたのである。

これは総理、官房長官、あるいは総理秘書官が代われば良くなるという問題ではない。誰が総理に、誰が官房長官、総理秘書官になろうが、今の制度を修繕しなければ、個人が私益追及のため、学者が自分の経済理論を実験するため、総理の権力に悪乗りすることは続くだろう

だが、そうなってはならないのだ。総理を頭に機敏で果断な政策決定ができるのはいいことなのだが、その力の悪用は抑止する体制を作っておかねばならない。権力者のしがらみを忖度せずとも官僚が職務を遂行できるように、今回のように地方財務局の実直な専門職職員が思いつめて自殺までするようなことがないように、制度を作りかえることが必要、かつ事件の再発を防ぐ上で最も有効だろう。

そのためには、企業にとっての監査法人のような機関を、政府についても(政府の外に)設けられないか? あるいはそんな非現実的なアイデア――長年にわたって公平な立場から政府全体を監査できるような人間はいない――より、人事院、検察の独立性を強化することでもいいだろう。恣意的な官僚人事は、被害者以外の第三者でもいいから人事院に注意喚起し、人事院は調査の上、警告を内閣人事局に発する。そして検察の人事は政治家から切り離すことで、利権がらみの案件捜査を容易にするのである。

今年は大きな選挙がない。自民党はゆったり構えていられる。そして野党の方は去年、モリカケを追求してかえってガタガタになったのは自分達の方だというトラウマがあるせいか、今回の文書改竄については佐川局長を塀の内に落とす程度で手を打ちかねない。それでかっこうをつけるのなら、財務省が改竄でかっこうをつけようとしたのと同じこと。是非、日本を「何ちゃって民主主義」から救い出す改革に、この件を利用して欲しい。いやそれどころか、この件は企業会計の粉飾や、品質基準の誤魔化し等々に蔓延している、日本社会全体の「何ちゃって体質」を直していくきっかけにするべきなのだ。
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