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政治学

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2014年1月12日

日本 権力の集中と裏腹の権力の空洞化

日本では明治以来の官僚支配(と言うか、明治の初期は薩長による藩閥支配)を破壊して、「政治家主導」ということになったが、うまくいっていない。もともと英国に近い議院内閣制で、総理の権限は弱く、各省の力が強いのに、総理に米国の大統領に近いような強い権限を与えようとするのは、齟齬をもたらす。最近、中国向けに一文を草したので、それをアップしておく。
 
 日本では戦前も戦後も、複数政党制である。しかも選挙での投票はまったく自由なのだが、それでも戦後数十年間、自民党が政権にあった。これは既に述べたように、経済が高度成長を続けたために、野党が提示する社会主義型の経済体制、ソ連・中国寄りの外交を選ぶ国民は多数を占めることがなかったからである。

しかし1985年、米国の圧力の下で円レートが2倍にはねあがり、それによって日本の輸出が増えなくなったので、政府はその分を内需拡大で乗り切ろうとした。だが、内需拡大のための財政支出拡大、低金利がバブル経済を生じさせ、地価、株価を不当につり上げたので、政府はこれを是正しようとし、それに失敗して1990年、バブル経済の急激な崩壊を導いてしまった。それ以降、日本の経済成長は止まり、賃金も上がらなくなった。

日本には、「カネの切れ目が縁の切れ目」という格言がある。所得が上がらないと国民は不満を感じ、その責任を政府に求める。その結果、バブル崩壊以後の日本では総理が頻繁に代わるようになった。1955-90年には、一人の総理は平均2年半の任期を務めたのが、1991年―2012年には一人の総理の平均在任期間は1年半以下となった。

米国からの圧力で円が2倍に切り上がり、そのため日本製品は輸出競争力を失ったので、日本の企業は海外に工場を移転させた。ちょうど1992年に中国では鄧小平が、外国資本に優遇措置を与えることを約束したため、1993年からは日本企業の中国への大量流出が始まった。つまり日本の工業生産高のかなりの部分が中国に移動してしまったので、日本国内の学生の就職は難しくなり、労働者の賃金は上がらなくなった。つまり日本人はアメリカと中国の双方から圧迫されていたのだが、国民は自分たちの政府を非難するようになったのだ。

そのようなときに日本では選挙制度が改革され、1996年、それまでの中選挙区制(一つの選挙区から数名の国会議員を選ぶ)から小選挙区制(一つの選挙区から1名のみの国会議員を選ぶ)に移行したのである。中選挙区制の下では、同一選挙区から複数の自民党議員を選出することが可能であった。一番多い得票数でなくとも、3位、あるいは4位の得票数であっても、議員になれるということである。従って、この制度の下では何十年も議員に選ばれ続けることが比較的容易で、その間政治家としての経験を積むことができた。大平、中曽根等の総理は、普通の議員の頃から総理になることを目標にし、常に政策を勉強していたのである。

ところが小選挙区制では、一つの選挙区から一名の国会議員しか選ばれない。つまりその選挙区で最高得票を取らないと、その選挙区は野党候補に取られてしまうのである。

こうなると、政治家はゆっくり政策を勉強などしていられない。選挙区の有権者に気に入られそうな洋服を着て化粧をし、有権者に気に入られそうなスローガンを叫び、様々な約束(民主党の場合、2009年の選挙では「こども手当」の支給を約束したが、予算が不足して、結局完全実施は出来なかった)をしないと議員になれない、という状況になった。つまり日本の政治はポピュリズムとなり、出てくる議員は少数の例外を除いて経験に乏しく、準備を欠くようになったのである。

明治以来、日本の政治は高級官僚達に牛耳られてきたが、バブルが崩壊すると国民はその責任を官僚に求め、官僚の権威を地に踏みにじった。マスコミも「政高官低」を叫んで、政治家が官僚を主導するべきものとしたのである。実際には、能力ある政治家達はそれまでも官僚を主導していたのだが、「政高官低」のスローガンが叫ばれる中で官僚達は委縮した。そしてその官僚達を「主導」するべき政治家達には、その準備を欠く者が多かったのである。官僚になることを志す青年は減少し、多数の若手官僚が辞職して政治家になろうとした。

この「政高官低」は、米国の例にならったものでもある。その「政高官低」の延長として、「総理官邸」の陣容と権限が、まるでホワイト・ハウスででもあるかのように拡大されつつある。例えば2014年にはホワイト・ハウスのNational Security Councilにならって、国家安全保障局が発足した。総理大臣の手に権限が集中していくことは、現在の急速に変化する世界に対応して敏速な決定を下すためには必要なことなのだが、議院内閣制(総理大臣は国会で選ばれ、国会に対して説明義務を有する)の日本に、大統領制(大統領は国民に直選されるので、大きな権威を有する)用の制度を乗せて、うまく機能するのかどうかは、まだわからない。情報は各省庁が相変わらず独占しているのだが、優秀なスタッフを国家安全保障局に差し出しているので、省庁は戦力を殺がれている。他方、国家安全保障局のスタッフも人数が十分とは言えないので、双方ともが薄まってしまう危険性もある。

いろいろな面で、日本は権力の空洞化の危険を冒しているのである。

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