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政治学

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2011年9月 7日

失われた意味を求めて 第5話:「国家」を個人が使いこなせるために

歴史とは関係のない話だが、今の日本のようにみんなが政治を語り、政治家を語る時代、是非知っておいてもらいたいことがある。それは「優れた政治家が一人いれば」、「全知全能の首相が一声命令を出してくれれば」、この社会の問題がすべて解決される――というのは大きな誤りだということだ。近代国家の社会は複雑で、それを動かす政府も厖大で複雑なメカニズムになっている。たとえば、日本の若者は国会議員も官僚も一緒くたにして「政治家」と呼ぶが、この二つは違う。同じならなにも、「政治主導」などと言いたてて官僚を抑えつけようなどとしないだろう。議員は国会で働き、官僚は政府で働く。両者は違うものだ。

官僚は国家試験で選抜採用され、政策を立案・実行する。50歳くらいまでは役人でいられるので、時の政権にあまり左右されずに一貫性のある政策を立案できる――という建前になっている。官僚は、国家議員のように選挙運動をやる必要がないので、自分の担当事務について常に情報、資料を集め、外国の例を勉強し、国内での問題点を見つけては、それを修正するべく法律案を起案する。その権限は大きく、省庁の課長級が大企業の社長を上回るほどの権限を持つことも珍しくない。

だが官僚はあくまで試験で採用されたもので、国民の信任を得たものではない。そこへいくと国会議員=政治家は選挙で選ばれるので、国民の信任を得たことになっている――実際は選挙区での信任だけだが。だから、政策の方向を定め、それを具体化した予算・法律案――その多くは官僚が起案するが――を審議、採択した結果を国民に説明し、責任を取るのは与党議員の責任となってくるのである。国会議員が法案を自ら提出することもあるが、それでさえ実際には官僚に書いてもらうことが多いし、本当に自分で書くとしても、「政府」(官僚たち)に蓄積した情報、前例についての知識がなければ、書けるものではない。それに政治家というのは、政策のことばかりやっていたら、次の選挙で落ちてしまう。

つまり官僚は情報収集、政策の起案・実行を差配し、政治家は全体の方向を定めて官僚をその方向に向ける、そして裁判所は国会、政府がすることが憲法や法律に合致しているかどうかを判断できる――こういうヤジロベエみたいな仕組みに近代国家はなっている。独裁者が出るのを防ぐために、国会、政府、裁判所の三種の権力が互いにチェックし合うのである。英語ではcheck and balanceと呼ばれるし、日本語では三権分立と呼ばれる。

このような膨大な仕組みを一人で把握し、一人で動かすことは絶対に不可能である。しかも何かを変えようと思ったら、国会と政府で法律を採択し、予算を作るだけではとうてい足りない。その変化によって損害をこうむる国民がいそうだったら、法律を作る前にその人たちを説得し、納得を得、補償措置を決めておかなければならない。このような手続きを省いてものごとを決めると、それは独裁、専制と言われるものになる。それでも構わないと思うかもしれないが、東京で勝手な決定が行われ、それに従わないと罰金を取られたり逮捕されるということになっていいのだろうか?

それでも、日本の総理大臣の力は世界の中でも低い方だろう。アメリカみたいに大統領が1年以上もの選挙戦を戦って、あらゆる方面でその資質を確かめられ、国民全部から直接選ばれる場合には、国会議員の互選で選ばれるだけの日本の首相よりも大きな権威と権力を持っている。たとえばアメリカの省庁の幹部は、大統領が交代するたびに大幅に外部の要員と入れ替えられるのだ。ただそのアメリカの大統領でさえ、中央銀行に相当する連邦準備制度の議長に命令することはできないし、大統領のやることが合憲かどうかを判断できる最高裁の判事も、前政権が任命した判事が死亡でもしない限り入れ替えられないのである。だから、「優れた総理大臣が命令を出してくれればすべてはうまくいくはずだ」というような考え方は幼稚だし、独裁者の出現を許しかねない考え方だから民主主義のためには有害なのだ。

では、国や市のやることで何かまずいことがあった場合、どうやったら直すことができるのか。それは、「総理に私たちの声が届けば」的なセンチメンタリズムでは直らない。政府という現代の化け物は、その中で働く国会議員、官僚にとってさえ、1センチでも動かそうと思ったら、大変な労力と人脈を要するものなのだ。それに日本というのは連絡を重んじ、調整(根回し)を何より大事とする社会だから、かけるべき労力は欧米諸国の政府におけるよりはるかに大きいだろう。

たとえば僕が、老人の医療負担を10%軽減したいと仮定しよう。それを実現するためには関連分野の国会議員を納得させて、法案が出たら必ず採択される状況を作らなければならない。そうしておかなければ、法案を起案する厚生労働省の官僚は、動こうとしないだろう。大変な労力を無駄骨にしたくないからだ。厚生労働省の官僚は、財務省主計局と相談して必要な予算をつけてもらわないといけない。ところが予算を増やしてもらう場合には、自分の省の別の予算を削って省配分分の総額を昨年と同じ――昨今はどんどん削られているが――にするというのが原則だから、主計局に行く前にまず、厚生労働省内部で調整しておく必要がある。多分、自分の局内でさえ、手持ちの予算を削られるのをいやがる他の課の抵抗を受けることだろう。そこを切りぬけても今度は、省内の他の局部に袋叩きにされる。

とても、総理の鶴の一声ですべてが決まるという仕組みにはなっていない。総理も政治家だから、ある政策を通すために、他の分野の予算が減って憎まれる、という事態は避けたい。どうしようもないなと思うだろうが、これはどの民主主義国でも事情は多かれ少なかれ同じなのである。鶴の一声ですべてが決まる体制にしておいて、ある日とんでもない人物が総理に選ばれでもしたらどうするのだ?

こういう仕組の社会だから、市民の声を政策、法律にしてもらうにはかなりの仕掛けが必要となる。多くの人の目から見て正当性がある、というのがまず第一の条件。そして次には、その声に賛同する者の数を増やし、その数を署名とかホームページのヒット数とか、形にすることだ。政治家にとっては数は即ち票なので、自分の地元でそれがまとまった数になったら動き出さないわけにいかない。

市民の声を関連分野の官僚に伝えることも可能だが、中央政府の官僚が特定地区の市民の声に直接反応することはほぼないだろう。彼らは国会対策とかマスコミ対策に忙殺されているので、直接自分たちの今後の昇進に響かない市民の声に対応する時間は使いたくないからだ。官僚たちを動かすものは、有力政治家からの要望(圧力)、与党の決定、そしてマスコミでの報道なのだから、市民運動のターゲットも当然、議員やマスコミになってくる。

この章で言いたかったのは、国家や政府という大きな装置を一部の者に独占させず、できるだけ国民の多くが国家というメカニズムを理解し、「正しく使いこなせる」ようにしておきたいということだ。何しろこの世のなかは、票を持つ国民をたくみに誘導しては、私利をはかろうとする勢力に満ち満ちている。野党は一刻も早く政権交代を実現したいし、マスコミは「政局」をしかけては視聴率、販売部数をあげようとする。今の日本では、政権交代が大きな産業になってしまった。だから、国民のできるだけ多くが自分で考え、自分で判断する材料をできるだけ提供したい。

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