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街角での雑想

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2013年7月29日

唐十郎の芝居リバイバル

先週渋谷のコクーン・シアターで、唐十郎の芝居を見た。
と書いただけで、1960年代の日本人なら、腹を抱えて笑ったことだろう。唐の芝居はアンダー・グラウンド、反体制、そんなちゃんとした劇場で見るものじゃない、敗戦のあとのコンクリートがごろごろ転がるどこかの空き地に御法度の紅テントを張って、いつ閉鎖されるかわからない緊張感の下でやるものだと。

そうだよな。早口で猥雑なセリフをつばとともにたたきつける唐十郎の芝居。60年代の紅テントでも、今回のコクーン・シアターでも役者が言っていることはわからない。ただ鶴屋南北の歌舞伎のような溢れ出るエログロ、ナンセンス、そして切ない演歌の叙情、李麗仙という名前と顔が呼び起こす、半島をめぐるむき出しの感情の葛藤。これを味わいたくて僕は行った。

同じような懐旧に駆られてやってきたとおぼしき団塊世代は、そこここの席にただまばらにいるだけ。観客ももう代替わりなのだ。そう、60年代の紅テントでも、反体制を標榜し、機動隊に取り囲まれながらも、観客の大半はミーハー、人気の小林薫などが出てきて、ひょうきんな身振りでもしようものなら、キャーキャー黄色い声を上げていたものだ。エンタメは出雲の阿国の時代からそうしたもの、それでいい。

で、今回の公演はどうだったかって? 良かったけれど、60年代の、血まみれのハラワタがむき出しになったような、切羽詰まったものはもちろんない。当たり前。日本人は衣食足りて礼節を知ってしまったのだから。

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