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街角での雑想

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2020年6月14日

コロナ後 日本はどうする・何をやる?

(これは、5月27日発行のメルマガ「文明の万華鏡」第97号の一部です)

コロナは、日本の「ガバナンス」に内在する以前からの問題を、また浮き彫りにした。何と言っても、政府と個人の間の距離が遠すぎる。日本人にとって政府は、自分達で作ったものではない、「お上」、あるいは「あいつら」でしかないのだ。そこらは、北欧諸国、あるいはアメリカの地方と全く違うところ。江戸時代は言うに及ばず、明治の政府も薩長が徳川から簒奪したもので、西欧でのブルジョア民主革命とは全く違う。

政府・国民間関係の近代化

明治憲法は立憲君主制、つまり民主主義の上辺を装っているが、それが施行された明治23年11月の丁度1カ月前には「教育勅語」が天皇によって「発布」され、明治憲法は日本のよそ行きの顔(列強との不平等条約を改正するため)、本当の憲法は「教育勅語」の「汝臣民」という言葉に象徴される専制制に他ならないことが、国民に刷り込まれている。ちょっと、現代語訳を引用してみよう。

――汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む――

今でも、政府は国民にものごとの真相を教えることなく、「知らしめるべからず、依らしむべし」の姿勢。国民は国民で、自分の所得を政府から隠した上で、取れるものは目いっぱい取ろうという姿勢。政府と国民の間の関係を、近代化しないといけない。

官僚制のオーバーホール

あと、日本の官僚の限界がますます明らかになってきているのを何とかしないと。もともとは、薩長政府の下僕となるため東大等で養成されて、高等文官試験を受けて登用されたものが、薩長の力の埋没とともにどんどん力を増し、太平洋戦争で天皇や軍、そしてその後米占領軍という頭が退くと、自分達が日本の政策形成の頂点に坐る。優秀だったし、比較的廉潔で、戦後の一億総中流という社会を立派に作り上げた。

でも、日本の官僚には何かが欠けている。仕事はきついし、今や政治家、マスコミの力が強くて、口汚く罵られる、日本のために良かれと思って政策を立案しても政治にねじ曲げられる。だからキャリア官僚の一部にも事なかれ主義が染みついて、「政治家やマスコミに非難されないこと。大義のために法律を拡大解釈するような冒険をやって、行政訴訟を受けるようなことをしないこと」ばかり考える。

何よりもいけないのは、もう50年程「先進国」をやってきたせいで、日本の現状をそのまま所与のものとして疑いも持たず、その中でしか生きようとしない学生が官僚になっていることだ。小学校、中学校で集団主義が教え込まれていることも、人間の覇気を奪っている。これでは日本はジリ貧で、優等生ぶっているうちに、自分の持ち分をどんどんよそ者に奪われていくだろう。

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