Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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街角での雑想

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2007年7月29日

この頃日本で目立つこと

この頃(またはかなり前から)日本で目立つこと――まず渋滞が少なくなった。昔、東京の渋滞と言えば世界中に鳴り響いていて、外国でそのことを言われるたびに一面では恥ずかしく、他面では発展の印だという誇らしい気持ちを味わったものだ。1,2年前から駐車禁止がやかましくなったし、交差点や踏み切りにはトンネルや橋が随分できたから渋滞が少なくなった。もっともこれだけ渋滞が目立たなくなると、経済不振の象徴みたいでこれもまた恥ずかしい。

満員電車。これも少しはましになったが、何より行列乗車というのが、昔とは大違い。中学生の頃は満員電車で通学していたが、苦手な数学の教師がたまたま乗り込んできてもみくちゃにされているのを見て、快哉を叫んだことがある。
エスカレーターも10年くらい前からだったか、急ぐ人のために右側を(大阪では左側を)空けておくようになった。ロンドンの地下鉄の模倣なのだろうが、ロシアからやってきた友人などは、大いに感心する。もっとも日本人というのも「エチケット」が好きで、一度始めると凝ってしまい、プラットホームにドアができたり(自殺・転落防止とは思いますが)、終着駅では客が全部降りた後いったん閉めてから新しい客を乗せたりする。事故防止もいいが、人を過保護にしてしまう。

そして「複数形」の登場。英語の影響だろうか、本来複数形が稀だった日本語に、やたら「たち」をつけるようになった。極めつけは贅肉を取るヴァイブレーターの宣伝で、「お肉たちがみんな揺れている」というのがあった。面白半分に「たち」をつけ、親しみもこめているのだろう。もっとも、「安倍さん、かわいい」と言うのと同じで、本来もう少し真剣に議論するべき対象を、好き嫌いだけで切り捨ててしまう、豊かな時代の甘えもそこに見えるのだが。

日本人は以前より合理的になり、自分の頭で判断するようになった。一つは横断歩道。信号が赤でも、見渡して車が来なければ渡ってしまう人が増えた。アメリカに旅行して、彼の地では信号にも自分の判断で対処していることを見てきた人が増えたからか? 
そして以前なら雨がぱらぱら降ってきただけで日本人はすぐ傘をさしたものだが、今では五月雨くらいなら平気で傘なしで歩いている人が、もう3分の1くらいだろうか。これも、外国旅行での見聞のせいなのか、それとも社会が合理的になってきたことの表れなのか。

欧米に似てきたことの中に、店でのサービスがマニュアル化してきたことがある。ものを買うと、なぜか必ず両手でレシートとおつりを出してくる。こちらはレシートはいらないので、まずそれを返してからおつりを財布にしまうのだが――それだけでも随分煩わしい余計な動作だ――、先方は僕が買ったものを袋に入れ、取っ手を持ちやすくひねった上で、これも両手で捧げて僕が空中で受け取るのを待っている。手から手へ渡すことにこだわり過ぎて、こちらが別の作業で忙しいことを考えていない。中には、「早く受け取ってくれないと、次のお客さんが・・・」という感じで、袋をせわしく振ってみせる者もいる。
マニュアル化、マニュアル化・・・・・。自分の頭で考えない。何も見えない、聞こえない。先方は、「本日はお買い上げいただき・・・」の口上を一息に言ってしまわないと気がすまないらしく、その間はこちらが何を言おうが何を聞こうが存在していないのと同じことになってしまう。これは店員ではない。自動販売機のようなもので、人間と人間としての接触を拒否しているのだ。若いアルバイトの店員にこういうのが多いので、おそらく知らない他人と話をする経験が限られていたため、とは思うけれど。

世の中がこうしてだんだん乾いてきたことの極めつけ・・・魚がまずくなってきた。アメリカもヨーロッパも、それに影響を受けたロシア人も、この頃は日本食ブーム。健康にいいし、何よりステータス・シンボルだということでうまい魚を大枚はたいて買っていってしまうから、魚食の老舗たる日本には、焼くとばらばらに肉が崩れてしまうようなサケしか入ってこない。かくして、日本社会もグローバリゼーションの中にあるが、それがいいことなのか悪いことなのか、一概にどちらとも言いにくい。

コメント

投稿者: 西島 かおる | 2008年2月 3日 10:07

ここで述べられている日本は、すべて東京に限定される内容だと思います。゛東京では゛という前置きをつけてほしいと思います。私は6年前大阪に引っ越して来ました。大阪では誰もが昔から、自分の判断で信号を渡っています。幼稚園の子どもが、信号と左右の状況をよく見て、適切な判断を下して渡っているのを見た時は、かなりカルチャーショックを受けました。例えばアメリカ人も゛アメリカでは゛という言い方をせず、”ボストンでは”と言うと思います。

(河東より:おっしゃられる通りで。これから気をつけます。関西のあたりはしぶとい個人主義が根付いていることは、前から気がついていました。)

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