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街角での雑想

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2007年7月30日

いつまでポピュリズムでやるのか――選挙に寄せて

今日は参院選挙に行ってきたが、どうも空しい。

たとえ今回の選挙が契機になって政権が代わったところで天地が引っくり返るわけでもないし、むしろ昭和初期の頃のように2大政党が泥試合を延々と続ける中で政治が麻痺しても困るし、さりとて候補者ベースで投票しようにも、テレビの政見放送を見ている時間もないから(それに個々の候補者の政見が日本全体をどこまで変えるものだろうか)、有権者としてはどのように自分の「権利」を行使していいのかわからない。

民主主義と言われるが、もともと「国民一人一人の声を政治に反映する」というのも無理な話で(どうやって数千万人の声を、それもイシュー毎に集計できようか? インターネットでできるようになるだろうか?)、選挙は「国民一人一人の声を聞いた」ことにして、ものごとは国会で決めていく。言ってみれば、選挙というものには内戦や喧嘩なしに国内の利益を配分するためのガス抜き装置みたいなところがある。

もっとも、現在の議会制民主主義はもちろんそれだけではない。政党や政治家を切磋琢磨させて政策を磨かせ、有権者への奉仕を徹底させること、そして現在の政権が駄目な場合にはそれに代わることができる人々をいつも提供できることだ。一言で言えば、競争と代替政権の準備というところか。
そしてそれらの基礎となるのは政党だ。1991年、ソ連が崩壊した直後でまだ政党がほとんどなかった時代のロシア議会では、それこそ「一人一党」の状況が現出し、議員皆が選挙区狙いのパフォーマンスをテレビ・カメラの前でやろうと争ったから、何も決まらなかった。なんで政党が必要なのか、僕はその時初めてわかったのだ。

しかし今の日本の状況は議会制民主主義の形をなぞってはいるものの、どうも空しい。これだけ複雑になった現代の社会を3,4の政党で代表しようというのも、おかしな話だ。それらの政党の間で「対立軸」をわざわざ作り上げ、政策の争いということでマニフェストなどがもてはやされているが、それもどうもフィクションっぽい。

考えてみれば現在の議会制民主主義とか大統領制民主主義というものは、19世紀から20世紀にかけての欧米社会、つまり産業革命を経て社会が大きく都市化、中産階級化した時代を背景にしてできたものだ。そして国民一人一人の意見を聞く手段は選挙しかなかった時代である。現在の事情はかなり違ってきている。欧米とは少し異なる先進社会を作った日本が、独創性を発揮して考えるべき時だ。そのくらいやって初めて、憲法改正も本当に必要になるだろう。

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