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論文

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2008年2月21日

EUでは「国家」はもう過去の遺物? 

EU出張報告
         2008年2月15日
                             研究員:河東哲夫

東京財団ではこの1年、「国家論研究~国民国家を超えて」研究会で近代国民国家の特質、変質ぶりを研究してきたが、この度下記の日程でEU諸国に出張し、識者との意見交換を行った。
EU(理事会、委員会、議会の3点セット。「欧州理事会」は加盟国政府が集まってEU法等、EUとしての決定を練り上げ、首脳レベルで採択する。「欧州委員会」は自前の官僚を有し、欧州理事会から受けたマンデート、EU法を執行する。)と各加盟国との間の関係は、近年「国民国家のたそがれ」が云々される際、ひとつの焦点、実例となっている。その実態を調査することこそ、「主権国民国家」がどこまで権能を失いつつあるのかを議論するうえで、最も重要である。この出張はそのような問題意識の下、外務省の協力(懇談先の選択、アポイントメント取得、出先大使館幹部によるブリーフィング等)も得て行った。

得られた結論は、「主権国民国家こそ現在でも欧州の主要なプレイヤーであり、欧州委員会は『数あるプレイヤーの中の一人』でしかない、ということである(但し、いわゆる「マルチの外交」では、多数の票を有するEUが一つの立場で動くと、それで大勢が決せられてしまうことがよくある由。)。EUは今のところ、ヨーロッパの、ヨーロッパによる、ヨーロッパのための国連、あるいはASEANのような性格を持っている。加盟国はある時は主権国家として振る舞い、都合が悪くなるとEUを前面に立てて行動するのである。主権国民国家を保持する上で最も大きな力になっているのは言語の違い、そして各国に政治家・官僚が存在しているという事実であろう。
それでもリスボン条約が成立すれば、EU官僚は権限の拡張をはかってくるだろう。「主権国民国家はまだ強い。しかし昔のようではない。EUでやろうとしていることは、試行錯誤の実験なのだ。しかも経済の変化に合わせてこの実験も変わっていく。」というThierry de Montbrial・IFRI所長の言葉を紹介しておく。
だがその場合でもEUは、超国民国家とか国民国家の運命とかイデオロギーの範疇で考えるより、欧州委と各加盟国政治家・官僚の間のせめぎ合い、化かし合い、利用し合いの物語として捉えた方が、実像に近いのではないか?

そしてこれまで個人の自由、合理主義、人道主義の老舗であった欧州も、最近では多民族化とグローバリゼーションの荒波に洗われて自分を見失い、内向きになっている。権威主義的政体を持つ国が多いBRICsなどが台頭する現在、「価値観を共有する(?)日米欧」が結束を強めようとしても、肝心の欧州側における地盤は随分危ういものになっているのだ。それにもともと「個人主義、合理主義などの価値観は欧州でさえ少数のエリートの間でしか根付いていなかった」のであれば、日本人インテリの欧州信仰も色があせてくるというものだ。

以上の結論(特に前半)は従来の通念とは異なる。また調査相手国もEUの一部、それもEU統合強化には傾いていない英仏に限られているが(ベルギーを除く)、EUをめぐる論議をより実態に即したものとするために、あえて一石を投じるものである。


日程
1月27~29日 ロンドン
1月30~31日 パリ
2月1日     ブリュッセル

面談相手
 研究所、日本大使館員等

1.概観
小生は、1979~82年に西独ボン、1989~90年にストックホルムに在勤している。その後も年に一回は西欧を訪問しているので、その変容振りはある程度把握してきたつもりである。かつて自由と合理精神の花園のように見えた西欧も、最近では多民族化、中産階級の磨耗によって、雑然とした様相を呈してきた。
そして、短い距離の中にあまたの主権国民国家がひしめき合い声高く自己主張をしている様は、息が詰まるほどである(ロンドン・パリの間は東京・広島間ほど、パリ・ブリュッセルの間は東京・名古屋間ほどしかない。言ってみれば、西欧ではもとから究極の地方自治が行われているようなものだ)。例えば、香港上海銀行などはスコットランド人に牛耳られている由であり、英国の中に組み込まれてしまったスコットランドでも英国東インド会社の流れを組む老舗の大銀行をすっかり自分のものとするほどの存在感を維持しているのだ。今のところ日本や中国が突出しているアジアでも、いつかこうなるだろう。分野によってはタイ人やフィリピン人が突出して活躍しても一向におかしくないということだ。
主権国民国家は健在である。フランスのある学者は、「主権国民国家は手付かずで残っている。EUが新しいプレーヤーとして加わり、主権国民国家に使われたり使ったりの関係を繰り広げているというのが欧州の基本構図だ。」と述べた。つまり、EUは超国家ではない。英仏の官僚は欧州委の官僚と常に権限闘争を行っている。彼らは、相手が米国であろうと、その他の世界的帝国であろうと、主権国家としての権限を譲り渡そうとはしないだろう。特にフランスは自分が必要な安全保障能力を一式揃って保有していると思い込んでおり、ドイツ、イタリアと少々異なる。
では、日本人の一部が「超国家」としてのEUに一種の憧れ、畏怖の念を示すのは何故なのか。それはEUに対する誤解に基づくのではないか? つまり、自分の国の政府を悪いものと思い込み、政府が存在しないかに見えるEUを偶像視しているのだろうが、そのような誤解はEUにおける政策決定の現場を見れば雲散するだろう。

2.EUは「超国家」なのか?
(1)概観
EU強化を目的とする「欧州憲法条約」案がフランス国民投票等において拒否されたため、それに代わるものとして「リスボン条約」案が現在、全加盟国による批准を待っている段階である。マスコミは、このリスボン条約は「EU大統領」職を創設するものだと報じている。しかし英語でPresidentという呼称を用いてこそいるものの、その実態はこれまでの欧州理事会(EU加盟国首脳の協議体。欧州委にマンデートを下す)議長となんら変わらない。任期がこれまでの半年ではなく、2年半と長くなっただけである。それは市民が直接選ぶ大統領ではなく、各加盟国の首脳が互選するのである。しかも欧州委員長と異なり、自分のスタッフも持たない。
そしてEUは、抜きがたい大国主導の場でもある。1月29日にはロンドンで英仏独伊の首脳が集まり、サブプライム問題への対処を中心とした声明を発表した。欧州委員長も呼ばれはしたものの、会議のイニシャティブは英国から出たのである。欧州委の対外通商政策も、その太宗は大加盟国の間の力学で決まってしまうことがある。

(2)関連発言
以下に、今回出張で収録した興味ある発言のいくつかを記録しておく。
「英国外交の基本は対米と対欧なのだ。ところが対米関係はワシントンに主導権を取られ、対欧関係は欧州委に牛耳られた。どこかの第三国に制裁を課したくても、EUによって縛られる」(英国元外務省関係者)

「EUは超国家ではない。米合衆国とは形成過程が違う。50年前、何とか戦争の再発を防ごうということでできた。主権国民国家の存在を否定するために作られたのではない。」(ベルギーの研究者)

「税、軍隊、社会保障においては加盟国政府の権限が強い」(フランスの学者)

「1967年ECが結成されて以来、加盟国の外務省間の会議が行われている。1986年には大使レベルで、ユーゴ情勢の危険性を指摘する文書を発したこともある。
しかし外交、軍事面においても、EUには超国家的なところはなく、inter-stateであるとしか言えない。」(フランスの学者)

「国民国家の役割や外交のあり方は変わらないだろう。フランスが頑張っているし。」(英国外務省員)

「しかし、ルクセンブルクの欧州裁判所は、企業活動等において各加盟国の法とEU法の間で抵触が生じた場合には(注:EU法はいつもそのまま、あるいは独自の国内法に転化されるのではあるが)、いつも統合強化の方向で判決を下してきた。このことは、EUの統合強化に前向きの勢いを与えている。
とはいえ、そのEU法自体、欧州委は起草へのイニシャティブを取ることはできず、各加盟国常駐代表の会議が事前にあって、コンセンサスが成立することが必要なのである。もっとも、市民はそのようなEUの実情を知らない。
リスボン条約が成立すれば、欧州委が権限を広げてこようとするだろう(注:リスボン条約は、欧州理事会における多数決原則を強化している。但し常駐代表会議における決定も同じ多数決原則によっているかどうかは、不明である。もしこれがコンセンサス方式のままならば、改革は大きく骨抜きにされていることになる。)」(フランスの学者)

(3)対外通商交渉権限
  EUが超国家的存在であることの根拠として、域内の移動の自由(但し英国は域外国人に対して独自の国境管理を行っている。域外国人がパリからロンドンに飛ぶと、フランスの入国審査を通過せねばならない)、そして欧州委が対外通商交渉の権限を持っていることがよく挙げられる。
しかし今回聴取した限りでは、その権限もかなり相対的なもので、交渉の実質は各加盟国の間の議論によって決せられている面が強い。欧州委員会は欧州理事会(加盟国首脳の集まり。その下には膨大な各国官僚が控える)から交渉のマンデートを受けて初めて動くことが出来る。交渉が始まってからも、その模様は逐次加盟国に説明される。そして加盟国は交渉のあらゆる段階で、欧州委に自分の意見を反映しようとする。この点が、「EUによる主権の二重行使」と呼ばれるものであり、域外国は交渉権の幅が小さい欧州委のみと交渉していても埒が明かず、問題を抱える加盟国の政府とも話し合わざるを得なくなるのである。
  但し、加盟国外務省の力は低下したようだ。「かつて外務省は全ての対外交渉の窓口だった。今では欧州委が各省に直接連絡している。そんなこともあって、外交官の質も低下した。」と述べる英国元外務省幹部がいた。国民国家の「力の装置」の一つとしての外務省の権限は侵食されつつある。

(4)欧州委と加盟国政府の間の協議メカニズム
  欧州委の力が相対的なものでしかないことは、欧州委における政策決定過程を見ればわかる。「欧州委には約3万人の官僚がいるが、うち生え抜きは2万人で、1万人は加盟国からの出向者である。そして加盟国の常駐代表部は巨大である。英国は約1,000名、仏は900名、ベルギーも2,000名を置いている。彼らは欧州委と100以上の委員会を作って会合している。欧州委と加盟国の各省は加盟国の外務省を経ることなしに直接コンタクトしているが、EUへの加盟国常駐代表の多くは外務省出身であり、彼らは毎週集まってEUの主要法案を話し合っているのだから、外務省が完全につんぼ桟敷に置かれているということでもない。
  農業などの助成金交付の申請は、加盟国政府に対して行われる。」(ベルギーの研究員)

(5)ユーロ
  ユーロこそはEU「統合」の象徴として語られる。しかしユーロの硬貨は各国の間でデザインが異なるのである(後世、硬貨を発掘するであろう考古学者は、ユーロがかつて存在したことに気がつかないかもしれない)。また財政政策が加盟国政府の権限に属するため、金融政策と財政政策の境界領域では、欧州中銀の権限もぼやけてくるのではなかろうか? 今回そこまでは取材できなかったが。
  欧州中銀の金利政策は、加盟国中銀総裁が集まった理事会での議論で決められる(コンセンサスに基づいている模様。米連銀と異なり、その議事録は公表されていない)。景気が悪くなると、各国は財政を拡大し、欧州中銀に対しては利下げの方向での圧力を強める。欧州中銀は物価安定を最大の目標として、CPI上昇率を2%以内に収めようとしている。
 「しかし欧州中銀は買いオペ、売りオペの権限を有していない。欧州中銀が定めた金利を実現するために公開市場操作を行うのは、加盟国の中央銀行なのだ(米国ではニューヨーク連銀が公開市場操作を一元的に実施する。但し貸し出しは各地区連銀が受け付ける)。金利の中には信用組合的なもののように、加盟国中銀が決定するものもある。
そして加盟国の商業銀行への最終的な貸し手(Last resort)は加盟国の中央銀行なのだ。但し預金預託率等は欧州中銀によってコントロールされているのでないか。もっとも、各国中銀の総裁は欧州中銀理事会で自国の立場を通そうとしているが。」(フランスの学者)

(6)安全保障
(イ)安全保障問題は戦後、欧州の対米依存脱却のつまずきの石であり続けている。1950年にフランスが提唱した「欧州防衛共同体」(EDC)が肝心のフランス議会で承認されなかったことを皮切りに、独自の兵力を保有することになっていたWEU(西欧同盟)も名目的なものに留まっていた。EUはバルカン、アフリカ、そしてアフガニスタンでは最近積極的な取り組みを見せてはいるが、軍事費が限定されている他、法的な枠組みが未整備で(英国外交官によれば、今のところNATO条約第5条で、各加盟国軍を提供させることができる、と定めてあるのを根拠としている由)ある。
また核政策をはじめ、加盟大国のエゴ(例えば1月の中東訪問でサルコージ大統領がカタールにフランス海軍基地を設ける意向を表明したこと等)が障害となっている。
(ロ)2003年EUは、コンゴ(旧ザイール)での国連多国籍軍にEU部隊を送った。NATOから装備や軍事計画などの支援を受けない初の域外派遣である。規模は約1,400人でフランス軍が約半数を占めた。しかし司令官がフランスからドイツに代わった際には、実兵力を提供していないドイツからの司令官に対する抵抗感も見られたようである。
(ハ)サルコージ大統領は、本年春にはフランスがNATOの軍事委員会に復帰することを明らかにしている。しかし彼はその際、「NATOの中で欧州のアイデンティティーを認めること」を条件としており、これをどう具体化するかはNATO軍事委員会でこれから緊急事態への対応計画を再編成する中で明らかになってくる。リスボン条約も、EUとNATOの提携を強く呼びかけている。
しかしフランスのある研究者は、「EUベースの安全保障構想は大きくは進展しないだろう」と述べていた。
(ニ)コソヴォが独立を宣言すれば、EUは警察官と行政官を多数送り込む構えでいる(その法的根拠の説明にはかなり苦労している)。ロシアはこうした動きを強く批判している。
コソヴォについては「コソヴォのアルバニア人による独立とセルビア、ロシアのスラブ民族主義の対立」といった政治的次元の力学の他に、マスコミでは報道されない裏の事情もあることに注目すべきである。つまり、コソヴォは麻薬取引の拠点ともなっているようで(アフガニスタン産麻薬がコソヴォを拠点として西欧に流入している模様)、EUとしてはこれも押さえ込みたいようなのだ。また米国が今では欧州でも最大規模の軍事拠点をコソヴォに保有するに至っているようだ。EUのコソヴォ独立支援がもしうまくいかないと、EUが域外の安全保障問題に関与することについては世論から今後拒否されることになろう。
(ホ)EU域内では英仏が独自の核ミサイルを保有しているが、この扱い(自分の国だけを守るのか、それともEU全体の役に立てるのか)は国内政治上も微妙な問題である。英国は昨年、大論争の末、原潜発射の戦略核ミサイル、トライデントの近代化を決定したが(費用は莫大)、このとき「英国のトライデントは、EU諸国全体の防衛に使う」などと言ったら、国内世論の多くは近代化反対にまわってしまったろう。フランスでも、「フランスの核ミサイルは、建前上はフランス防衛のためだけに使うということになっているが、他のEU加盟国が侵略されたら座視できない。」という者がいた。
 
(ヘ)以下、EUの安全保障問題に関する発言を紹介する。

「EU加盟国の軍事予算を集計するとかなりの額になるのだが、研究開発予算を含めると米国よりはるかに小さくなる。日本と協力することも可能だが、Inter-operabilityを確保することが必要となる。」(フランスの学者)

「1996年ベルリンでのNATO首脳会議で、『ダブルヘッド・システム』を取ることが採択された。フルのNATO軍に加え、『欧州軍』というカテゴリーを創ったのである。後者はNATO(実際は米国)の偵察衛星、早期警戒機等の支援を受けながら、人道支援、平和復興、紛争予防を行うこととなった。これはボスニア紛争に投入された。このため、NATO司令部にはEuropean cellがある。」(フランスの学者)

「EUはRapid Reaction Forceを創設するなどと言っているが、現状では大型輸送機も持っておらず、本格的な緊急展開などできないのである。」(フランスの学者)

「EUは兵器産業の育成も進めている。2004年にはEuropean Armament Agencyを設立、兵器生産基盤を強化する方針である。例えば重複生産を削減しようとしているが、加盟国民間企業間の調整は難しく、英国は米国との協力に重点を置いている問題もある。当面の問題としては、衛星を使った位置測定システム(GLS)創出がある。ここでは英国は米との協力を重視し、仏は独と組んで独自システムを創出しようとしているが独は資金負担を嫌っている。」(フランスの学者)

(6)キリスト教会
かつてカトリック教会は西ローマ帝国統治機構の残滓として多くのエリートを吸収し、ローマ教会はそれを使って全欧州への支配権を維持しようとした。欧州各国の国王達はこれと闘い、英国などはカトリック教会の資産を接収して民営化し、ジェントリー階層を創出した。ローマからの独立は、欧州で国民国家が成立した一つの大きな条件であった。
  現在、欧州が再統合されつつあるのなら、キリスト教会にも統合への気運が出ていても不思議ではない。ふとそう思い、ある学者に質問してみた。すると彼は意表をつかれたもののごとく、しかし瞬時に小生の質問の意味(潜在的には政治的・宗教上、非常に大きな問題なのだ)を悟って言った。「(国民国家を創出する上で宗教も管理しようとした)ナポレオンは、フランスのカトリック教会司教を自分で任命した。今ではフランス政府もそこまではしていないが、暗黙の了解の下、ローマ教会によるフランスの司教任命に先立ってフランス政府の意向が聴されているようだ。」

3.EU加盟国の地方自治体権限強化?
EUをめぐる議論では、「EUが主権国民国家政府の権限を侵食しているばかりでなく、各加盟国の地方自治体の権限が強化されていることも中央政府の権限を侵食している、つまり主権国民国家は『上下から』権限を侵食されている」という見解が幅を利かしている。しかし今回、英国、フランスで聴取した限りでは、そのようなことは起きていないようであった。
(1)ブレア首相の時代、Devolution(権限委譲)と称して、中世から近世にかけて苦労の末統合したスコットランド、ウェールズの権限を大幅に復活させたのだが、これは一部の説明によれば、サッチャー改革に抵抗した炭鉱地帯を多く抱える地域であり、保守党への反感が強い、ブレアは権限を委譲することで恩を売り、保守党勢力をこれら地域からより完全に排除しようとしたのだ、ということだった。現に労働党は新設されたスコットランド議会で、129議席のうち50議席を占めて第一党となった。07年選挙では労働党は46で、スコットランド国民党の47議席に及ばなかったが、保守党は一貫して15強のラインをさまよっている。

(2)在英日本大使館で受けた詳細な説明から一部を下に収録する。英国の地方自治についての詳細な資料は、「自治体国際化協会」のホームページに掲載されている由。
①1997年、「スコットランド議会を創設しよう」というブレアの提案を受け、スコットランドで住民投票が行われ、99年には右議会のための選挙が行われた。それまでスコットランド行政を行っていたロンドンのスコットランド省の役人は殆どエジンバラ政府に移転した。但し「スコットランド大臣」というポストとスコットランド省のスケルトンはロンドンに残っている。
②1998年のスコットランド法で、スコットランド議会の権限は定められている。憲法、防衛、外交、マクロ経済政策、社会保障、原子力、入国管理は中央政府の管轄として残り、スコットランド議会はそれ以外の分野における立法機能と、国税である個人所得税の税率を3%の範囲で独自に増減税できる。(注:増税した場合、それがスコットランド政府の歳入になるのかは不明)
③スコットランド議会はスコットランド首席大臣(First Minister)を選出する。首席大臣は内閣を構成し、ロンドンのスコットランド大臣を通じて中央政府と折衝する。対EU関係は中央政府の権限に属するが、スコットランドはブリュッセルに代表事務所を有しており、欧州閣僚理事会にも出席している。
④Devolutionは財政にはあまり及んでいない。市町村に相当するCouncilレベルの税は固定資産税のみであるし、スコットランドに対する中央からの交付金の規模も増えていない。
⑤ウェールズにおいては、「ウェールズ議会」設立への国民投票(1997年)の結果は振るわなかった。投票率は50,1%であり、議会設立賛成は50,3%しかなかった。
⑥ウェールズ議会はスコットランド議会と異なり、「2次立法権」(国法に基づく条例を採択)しか持たない。ロンドンのウェールズ省の権限が依然として強い。
⑦ブレア政権は、地方自治体の首長公選制を推進したが、公選制を採用したのは12自治体に留まった。住民投票を行った結果、公選制導入が否決された自治体は24に及び、残りの200強では住民投票すら行われなかった。

(3)英国は民主主義の先進国であるが、地方自治への関心は低く、日本の方が関心は高いようだ。小生のある友人はこう述べた。「サッチャーの時代に英国は大きく中央集権化しており(日本の県に相当する単位を廃止し、市レベルに単一化しようとした)、現在でも国民はDevolutionとは言っても税源は移譲されないことを知っているので、地方自治に参与しようとしない。投票率も低い。」
英国では「金融立国」の挙句、シティからの法人税収入が国家歳入の30%、GDPの10%をも占め、外国人が50万人以上も勤務しているそうであり、むしろこちらの方が「主権国民国家」のあり方によほど大きな影響を及ぼしている。
 
(4)フランスでも、次の発言に見られるように、地方自治強化の高まりは感じられなかった。
「地方自治体への権限委譲によって中央政府が弱体化したようなことはない。地方税率は10%程度であり、中央政府はRegion(地方自治の単位。Region,Department,Cityの順)に権限を委譲するとは言っているものの税源はあまり与えていない。だから国民は中央政府の方を見ている。フランスは連邦ではないのだ。」(学者)

4.目的意識の喪失
欧州統合は当初、莫大な動員能力を有する主権国民国家が再び合い戦うのを防ぐため、第一次大戦後から提唱されるようになったものである(日本人を母に持つクーデンホフ・カレルギー伯爵が提唱したことは興味深い)。第二次大戦後、欧州統合は、ドイツが欧州の脅威として復活するのを防ぐものとして一層強く意識されるようになったし、ドイツの青年の中には敗戦国ドイツの国民としてよりも「欧州人」として国際的に活躍しようとする者も現れた。その後EUは、米国、日本に経済構造改革・近代化で遅れたことを取り戻し、欧州の利益を守るとともに、ソ連の脅威に対抗することを主たる目的とするようになった。
しかし今、ソ連が崩壊し、ユーロは確たる地歩を築き、EU拡大も一段落した現在、EU、西欧が目的意識を喪失しつつある兆候が見て取れる。そのことは今回の出張でも何人かの識者から語られた。いくつかの発言を列挙する。

「EUは目的意識を失っている。Final goal,Common projectがない。青年達もこれまでの欧州の発展の成果を当然視し、EUには過度のグローバリゼーションに対抗してくれることを期待している。EUにはそのような権能はないのだが。自分としては、BRICSや米国のようなメガ国家とも言える国家が世界の主流となりつつある現在、European model、European way of lifeを維持するためにもEUは不可欠の存在と考えている」(ベルギーの学者)

「リスボン条約は、いくつかの加盟国に残っている『自分の国が帝国だったことがあることへの追憶』によって妨げられることになろう。EU諸国は、これからEUは何をめざしどこへ行こうとしているのかアイデアを持っていない」(フランスの学者)

「今、何が問題なのか、昔のように大国ではない中でフランスは何をすべきか、何が国益か、欧州の利益なのかを決めなければならない。このことをフランスの政治エリートは未だ理解していない。英国ではもっとひどい状況だ」(フランスの学者)

5.欧州文明の行方
EU、西欧は価値観の面でも、方向感を見失いつつあるのでないか? 1973年 初めてヨーロッパを訪れた小生にとって、ヨーロッパは美と清潔さ、豊かさと自由、合理精神の花園であるかのように映った。それは植民地主義、帝国主義の「上がり」で栄え、保護主義によって守られ、格差の大きい社会(但し北ヨーロッパを除く)であったとしても、多くの者を魅了した。それは白人中心の社会だった。パリでは黒人、アルジェリア人が下働きをしていたが、完全に抑えられていたのである(英国では自国民の中に下働きをする者が大勢いた)。
今では東欧、ロシア、中近東からの移民、出稼ぎ者が増え、彼らはネットワークを形成して特定業種を牛耳り、自分達の生活・行動様式を自信をもって押し通すようになった。身奇麗だったヨーロッパの人間は今ではどことなくみすぼらしく見えるが、それは中産階級が次第に層の薄いものとなりつつあること、社会が恵まれたものとそうでない者に分解しつつある様相を示しているのでないか。いわゆる「フランス文明」など、今ではパリの高級アパートの中でしか生きているまい。歴史に思いを致せば、ゲルマン民族が浸透してきていたローマ帝国の末期もこのようであったのではないかと思わせる。
最後に、関連の発言を紹介する。

「35年前は確かに『ヨーロッパ文明』なるものを語ることができた。中世ではエリートのものだけだったギリシャ・ローマ古典教養は、17世紀頃から欧州各国共通に教育されるようになり、まさにこれがヨーロッパアイデンティティーを形成してきたのだと言える。例えば自分の若かった60年代、開始されたばかりの独仏青年交流は当初、気まずい空気が漂っていた。しかし教育が同じであり、学習する思想家・哲学者も共通していることに気がついた途端、空気は打ち解けたのを覚えている。
今では、若い世代はラテン語を理解しない。フランス文学の古典すら読んでいない。休暇になると、アメリカに行きたがる。北アフリカ、ドイツ、中南米はごく自然な移住対象地となった。今では「ヨーロッパ文明」なるものが残っていたとしても、『ヨーロッパ文明達』と複数形でしか言えなくなっている。ヨーロッパの社会は多民族化し、Political correctnessというか物の言い方にも気をつけなくてはならなくなった。」(フランスの学者)

「ヨーロッパ文明は個人主義、合理主義、人道主義で特徴付けることができる、などと威張って言えたものでもない。そのような価値観を身に着けたものは社会の10分の1程度であり、残りはグローバリゼーションにやみくもに反対してデモをするような連中だ。彼らは他ならぬ10分の1のエリート、そして政府に反対してデモっているのだ。」(フランスの学者)

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