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論文

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1985年12月 1日

「アジア的価値」の神話を超えて

はじめに 「ダイナミックな」見方が必要

 冷戦後の世界においては、ハンチントンの「文明の衝突」が指摘したように、これまでは米ソ対立の陰に隠れていた、異なる価値観の間の対立が、より鮮明な問題として浮かび上がってきたように見える。本誌にも掲載された「フォ-リン・アフェア-ズ」の、マブバニとリングルの間の論戦も、その一例である。
 価値観の差をめぐるこうした論争の背後には、冷戦後の世界で進行中の政治・経済上の利益の再分配をめぐる争いが基本にあり、もしかすれば価値観の差は主要な問題ではないのかもしれない。だが、価値観の差は、少なくとも国民間の好悪の感情に影響し、政治・経済上のやりとりの激しさにかなり影響を与えているという意味で、無視できない問題である。
 ところが、価値観の違い、特に欧米とアジアの間のそれをめぐって行われている議論の多くは、歴史的経緯や、地理的な多様さを捨象して、現状からのみ出発した、「スタティック」で表面的なものに止まっているように見える。
 社会や文明は、一つのところに止まりはしない。政治、経済、社会は相互に影響し合いながら、全体としての姿を変えていく。時には既得権益構造が固定化しあらゆる発展を妨げる場合もないではないが、アジアの多くの国では幸いに、社会はそこまで固定化していないと思う。現在の時代における、諸文明間の差異を未来永劫に変わらないものとし、相互の衝突を宿命的なものと見なすことは、相手を異質なものとして突き放すか、自分の価値観を相手に強制するかの、不毛な選択しか生まないだろう。
 歴史的・地理的に十分広い視野をもち、将来の変化の可能性も十分見据えた、「ダイナミック」な見地が必要なのではないか。それによって、異なる価値観を持つ者同士、互いにもう少し寛容な気持ちが出てくるのではなかろうか。
 とはいえ、価値観というものは、民族性という科学的分析が困難なものにも関わっているので、明快な結論は出しにくいかもしれないが、ここではまず、欧米とアジアの現時点での価値観において最も差が顕著であると思われるものについて、議論を始めてみたい。
西欧は、昔から個人主義だったのか?
 個人主義の問題は、アジアと欧米諸国の間の価値観をめぐる差異では、最も大きなもののように思われる。西側の個人が比較的自由に物を考え、しゃべるのに比し、アジアでは国、社会の一員としての役割を個人に優先させたり、自分の属する組織の威を借りて人に接することも多く、これが欧米の人間に嫌悪感、そしてある場合には恐怖をも与えているのではないかと思われるからである。
 しかし、こうした差は、宿命的なものなのだろうか? 曰く、ヨ-ロッパ人は狩猟文化で肉食だから、精力的で自己主張が強く個人主義的であり、日本人は稲作文化だから協調的で集団主義的である、というような。
 確かにア-リア人は、アジア諸民族の多くに比し、まだヨ-ロッパに移動する以前の長い間、遊牧民族でいた。彼らは部族社会を形成し、部族の長たる王の権力は、部族の集会によって制約されていたようである。
 だがこれは、東西の価値観の差を宿命づけるだけの根拠にはなるまい。例えば、アラブもモンゴルも遊牧民族であり、強い自己主張を持っている。日本人の祖先の一部も、シベリアにいたモンゴル系遊牧民族であったかもしれない。また、西欧文明の源泉の一つとされているロ-マ帝国は、遊牧や牧畜よりも農業に依存した経済を有し、歴代皇帝の中には、「アジア的」な人権無視と残虐性を見せた者も数多い。
 つまり、アジアだから集団主義、西欧だから個人主義という、宿命論的な分類は、歴史的・地理的な視野の広がりを欠いたものなのである。個人の経済的自己完結性が高い遊牧・狩猟社会、そして近代の都市社会では個人主義的な要素が強く、共同体への経済的依存度が高い農村社会では集団主義的要素が強くなる、ということなのではないか。
 ヨ-ロッパの人間は、ともすればギリシア・ロ-マ時代以来、自分たちは一貫して個人主義をはじめとする現在の価値観を奉じていたようなつもりでいるが、これは歴史の現実というよりは思い込みである。ロ-マ帝国を滅ぼしたゲルマン民族は、ビザンチンとアラブの文明を媒介して、ギリシア・ロ-マ文明を後から再発見したのである。学問や商業を振興し、宗教的には寛容だったアラブ文明が、西欧に東方貿易を奪われて以来沈滞し、今ではイスラム原理主義の場として西欧から警戒されているのは、歴史の皮肉である。
 西欧の中世は、日本の江戸時代と同じく、生産性の向上と商業の発達、そして一部の知的エリ-トによる神学=当時の人文科学の発達を伴った意味で、以前言われていたような暗黒の時代であったわけではない。にもかかわらず、西欧中世の農村は、共同体や隣人の干渉が強い社会であり、男女混浴、家族の雑魚寝も普通で、プライバシ-の概念もなかったようである。
 こうした西欧の社会で、広範囲な価値観の変化が起こったのは、一七世紀の頃であることを示唆した研究が、いくつか発表されている。一五〇〇年から一八〇〇年のイギリス社会の変化を克明に追ったL・スト-ンの「英国における家族・性・結婚」(邦題「家族・性・結婚の社会史」 勁草書房)を見ると、一五五〇年から一七〇〇年の間に、血縁関係及び共同体の衰退が起こったこと、一六四〇年から一八〇〇年の間に親子や夫婦の間の関係に、支配・服従関係よりも自然な情愛が勝ってきたこと、そしてプライバシ-の重視も目立ってきたことが、示されている。
 一五世紀から一八世紀のフランス社会の変化を追ったロベ-ル・ミュシャンブレッドの「近代人の発明」(邦題「近代人の誕生」 筑摩書房)では、雑魚寝や男女混浴そして魔術師までも見られた中世の農村生活が、支配階級として台頭した都市住民から蔑まれ、彼らの間で今日ヨ-ロッパ的マナ-として知られる上品な作法が広まっていった過程が描かれている。
 洗練された行動様式は、当時のアジアの支配階級にも見られた。しかし、西欧におけるこうした変化は洗練にとどまらず、「個」の完成というかなり明確なイデオロギ-を伴った。ルネサンス、そしてデカルト以降の哲学は個性と理性の価値を確立し、宗教革命は個人を、教会を経由することなく神と直接対峙させることによって、個人を解放した。
 こうした西欧社会の変化は、新興ブルジョア層にまず起こり、その後工業化による生活水準の上昇で都市住民の大半、農村住民の一部にも及んで現在に至っている。アジアの貴族階級のマナ-が支配階級の秘密クラブの合言葉のようなものであったとするならば、西欧における変化はもっと拡散力を持ったものであった。
 これらの事実は、西欧を今日の西欧たらしめた大きな契機、特に個人主義の普及の契機が一六世紀からの経済発展にあったことを示しているのではないか。経済発展による生活水準の向上は、両親、親戚、知人に対する個人の経済的依存性を低下させる。個人は地縁、血縁から解放されていく。
 つまり、西欧も発展の初期には現在と違う文化を持っており、現在の西欧文明をもたらしたのには、経済発展が大きくあずかっているのではないか。それを、「現在の西側的パラダイムを採用しない限り、経済発展はできない。即刻、西側のモデルを採用せよ」と言わんばかりに迫るのは、倒置された議論ではないか。

西欧経済発展の陰の犠牲

 しかも、一六世紀頃からの西欧の経済発展の契機が何であったかを見ると、周知のことながら面白いことに気がつく。
 西欧中世の経済は、アジアとの貿易をトルコが制していたことにより、ハンディを負わされていた。これを破るべく、ヨ-ロッパ人が自力でアジアに到達した大航海時代は、経済繁栄の中心をアラブ、アジアから西欧に移す契機となった点で、現在にまで尾を引いている大事件だったと、つくづく思う。角山栄氏や川勝平太氏によれば、当時のアジアは、生産・貿易両面で西欧を凌駕しており、ここから流入した陶磁器、砂糖、綿織物、絹織物などは、西欧における生活ぶりを大きく変え、輸入代替品の生産を促すことによって、産業革命の引き金となったと思われるからである。
 また「新大陸の発見」は、中南米からの金銀の大量な流入をもたらした。一五〇〇年から一六五〇年までの間に西欧が保有する金銀の量は、約三倍になったと評価されている。この結果生じた工業産品、奢侈品の価格上昇は、農村経済にその富の源泉を持っていた封建領主たちの地位を低下させ、西欧における絶対王権の確立を促した。絶対王権は国内に統一市場をもたらして、経済をいっそう発展させていく。
 新大陸からの金銀の流入が西欧経済発展にもたらした影響の大きさについては、定説がまだない。また、この金銀が、イギリスの産業革命の原資となったものでもなかろう。しかし、「新大陸」のアステカ帝国、インカ帝国等の征服が鉄砲の力と陰謀によって行われ、金銀の採取が現地人を奴隷化して行われたことは、確かである。また、イギリスの産業革命 綿織物の大増産を契機としたが、インドの綿織物工業の犠牲の上に行われたことも、おそらく確かである。
 つまり、一六世紀以降の西欧諸国の経済発展は、その多くが自力によったものであるにしても、鉄砲の開発という偶然と、植民地の犠牲にも負っていることは、否定できまい。しかも西欧文明は、革命や戦争の流血を繰り返しながら、現在の発展した段階に至っている。
 こうした事実を忘れ、経済発展の途上にある後発国に西の現在の価値観、制度をそのまま押しつけようとすれば、謙虚さを欠いたものとして、相手から感情的な反発を呼ぶことになる。それに、どのような制度を押しつけようと、諸利害を調整するやり方は、個々の国の発展段階に見合ったものに結局のところなってしまうだろう。

多神教と一神教と

 アジアと欧米の間の価値観の差として、個人主義と並んでよく指摘されるものは、多神教ないし汎神論と一神教の差である。欧米における一神教的アプロ-チの限界を指摘し、「アジア的な」汎神論的アプロ-チ絶対的な価値を認めず、価値の差を相対的なものとして、その間に妥協をはかろうとするものの優秀さを標榜する意見も、最近では多い。
 しかしここでもまた、宿命論は正しくないと思われる。周知の如く、ア-リア人はもともとは多神教であったし、西欧における以前の多神教的異教の名残は、キリスト教における三位一体論のうちの精霊の存在、そしてクリスマスなどの多くのキリスト教習俗の裏にうかがわれる。
 インドに移住したア-リア人の思想も、当初は多神論的であったが、思索が進むうちに、「宇宙の原理」という、哲学的色彩が強いながらも一神論的な認識に至っている。それは仏教においても同様であり、当初の汎神論的性格が、例えば日本 典型的な多神教の
国とされるの浄土真宗では一神論的なものになっている。
 欧米の人間は、かつては自分たちも汎神論の世界に生きていたことを忘れ、合理主義そして科学的精神は一神論の世界にのみ可能であるかのような、傲慢な態度を見せることがある。
 しかし、合理精神や論理的・科学的思考は、多神教の世界に生きていた古典ギリシア時代現在の欧米文明の源泉とされているものにも発展した。イスラム哲学の大家ガザ-リ-が言うように、論理の進め方というものは、概ね人類に共通したものなのではなかろうか。西欧では、唯一神の探究がキリスト教神学の発達を促し、後世の科学の発達を準備したのは確かだが、イスラムのガザ-リ-においても、デカルトの理性論やロックの認識論と同様の考え方が、既に一一世紀に示されている。こうしてみると、科学の発達が西欧にのみ生じたことは、人種や価値観の差によるものというよりは、何らか別の要因によって、説明したほうがいいのではないかと思われる。
 他方、シュペングラ-の「西欧の没落」以来、西欧の合理主義、自然科学の行き詰まりを指摘する声は、まるでマルクス主義者たちがこの七〇年間資本主義の崩壊を予言してきたように、連綿として続いており、それがまた現在、「アジア的価値観」の優位性の論拠の一つとされることがある。
 確かに、欧米の自然科学 人間の理性を神の地位にまで高めようとするものの精華とも言える宇宙論、素粒子論などにしても、最後の究極のところでは、不可知なものが露わになっている。宇宙の起源は推測できても、なぜそもそも空間があったのか、なぜビッグ・バンが起きたのかを明らかにすることはできない。素粒子もその全ては存在が実証されておらず、またそれが物質の最小単位であるとの保証もない。
 それに、自然科学が進み、キリスト教の力が後退するにつれ、欧米の人間は精神的な渇きを覚え、東洋の超論理的・神秘主義的な思想に関心を示すことも多い。これをもって、一神論の行き詰まりとはやし立てることは容易だが、論理的アプロ-チが行き詰まった時
神秘主義的アプロ-チが現れるのは、歴史の上で繰り返されているようでイスラム教においても、そうした歴史がある 、別に一神教の終焉を意味するものでもあるまい。それに、物事を黒白の二つに分けることによって、理論を発達させてきた西欧の科学は今、カオス理論、ファジ-理論等の登場により、まだまだ複雑な現象を解明できる余力があることを示している。

「アジア的価値観」は可能か?

 最近日本だけでなく、アジア諸国においても、「アジア的価値観」を称揚する動きが見られる。その動機は、経済発展の結果としての欧米文化の急速な流入によって、自分の文化的アイデンティティが失われるのを防ごうとするものから、冒頭のリングルが言うように、民主化・開放化に向けての欧米の要求に抵抗し、既得権益を守ろうとするものまで、様々である。
 だがこうした動きの中で、数百年かかって作り上げられた西欧の価値体系、哲学に匹敵するほどの、明確で、かつ国民の多くにも受け入れられるものを作り上げた例は、まだないように思われる。「アジア的価値観」の構築は、果して可能なのか? 仏教、儒教、ヒンズ-教、イスラム教、そして様々のシャ-マニズムに基づく価値観が混在するアジアにおいて、そのようなことを無理に試みても、かえって自閉症的な行き詰まりに陥るだけではないか?
 例えば、「アジア的価値観」を謙譲、他者への思いやりに求める議論もある。しかし、こうしたものは西欧にもあるどころか、キリスト教、西欧市民社会の基本的要素の一つである。「アジア的な価値観」を、その多元主義、汎神論の伝統に求め、対立の先鋭化しがちな一神論の欧米社会と違って、「自己主張を抑え、利害の対立を丸く収める」「和」ことに求める試みも、おそらく成功するまい。対立点をぼかした玉虫色の暫定的な解決は、例えば欧州連合(EU)も得意とするところであるし、のっぴきならない利害の対立が起これば、青筋たてて怒りだすのは、アジアの国も同じだからである。
 アジア=「和」を優先する社会、欧米=「個」を優先する社会、というステレオタイプは、十分に客観的な議論だろうか。アジアの日本で、終戦直後の社会や満員の通勤電車において果して「和」があったかどうか。本当の「和」というものは、衣食住が足り、他人を個人として認める余裕が出来て初めて、成立するのではないか。「個」のない「和」は、全体主義的な社会を作る危険を持っている。
 人間と自然を対立したものとして捉えるのではなく、「『我執』を捨てて、自然のままに生きる」ことが、「アジア的価値観」であるとの見方も多い。だが、「自然のままに生き」て、乳児が死亡するままに放置していいのか。アジアでも古来、為政者たちは灌漑水路や堤防を整え、人々は森林を焼き払い切り倒して耕地を広げる等、自然との闘いに従事してきたのではなかったか。
 またインド哲学、密教などにおける、悟りによって宇宙との合一感をめざす神秘主義は、一部の知的エリ-トを個人的に救うだけであって、一般大衆全体はそれにはとてもついていけない。神秘主義的な価値観は、社会全体の価値観とはとてもなりえないだろう。
 アジアには、如来の前には人知は無である、とする仏教思想もある。このような思想はキリスト教にもあるが、これが不可知主義となって思考の停止状態を招くと、科学の進歩を止め、国民の福祉水準の向上を阻害する。不可知論を唱える人でも、地球破滅の日には、人知の産物である宇宙船に殺到し、別の惑星に脱出しようとするだろうことに鑑みれば、これもまた、「アジア的価値観」として採用できるものではあるまい。
 こうしてみると、アジアの過去に棹さして価値観を再確立しようとする試みは、どうもしっくり来ない。変わりつつあるアジアの社会、特に若い世代は、別のものを求めているのではないか。四〇〇年前の西欧と同じく、アジアでは今、経済発展による個々人の経済力の上昇が、社会や家族への過度の従属から人間を解放しつつあるのではないか。この結果生じてきた個人主義化の傾向は、アジアの論者が言う「欧米文明の悪しき影響」に基づくよりも、むしろ人間の本性によるものであり、人為的な手段で押し止めることはできないだろう。
 アジア諸国では、「欧米の個人主義の悪影響」が云々されているが、それは欧米社会の否定的側面しか見ていないことによる。欧米の青年の多くが、二〇歳ともなれば精神的、そしてしばしば金銭的にも両親から独立し、市民社会の一員として生きるべく、礼儀を心得、躾けられた人間になっていること、また欧米の社会には個人主義の反面、他人への愛情、博愛精神がキリスト教によって植えつけられてきたことなどが、無視されている。世界のいたるところで活躍している欧米のボランティア、ノ-ベル平和賞をもらったマザ-・テレサ女史などは、他ならぬ西欧文明の産物である。
 欧米の個人主義は、アジアで言われるほどに乾いて堕落した社会を生んでいるわけではない。友人のネットワ-クに入ってみれば、これほど親愛の情に彩られた社会も珍しい。アジアの一部では、欧米での「個」に対してアジアでは「家族」を前面に立てるべきだとの議論も見られるが、中国の宗族に比し、日本では単系家族が主流であったと言われるように、アジアにおいても「家族」の概念は様々である。また欧米の家族関係には、父母や祖父母への慣習としての服従はないが、家族の間の情愛にはよほど自然で細やかであり、アジアの家族に優るとも劣らない。アジアでは、欧米の映画などにおけるセックスや暴力の氾濫が問題にされているが、実際の欧米社会は概ね健全で質素である。
 青木保氏等が指摘してきたように、アジアの新興中産階級は、かなり共通した生活様式や文化を有し、しかも自己主張を明快にするようになっている。実際、外国の空港では、旅行者の服装や言動からだけでは、日本、韓国、台湾、香港、タイ、シンガポ-ルなどの出身を判断することは難しい。だが、こうした新しい傾向は概ね風俗の段階にとどまっており、彼ら新しい世代は、未だ自分の哲学的・思想的背骨を有していないと思われる。だからこそ、彼らの自己主張が単なる放埒と堕落に結びつきかねないことを、旧世代が懸念しているのだろう。
 この中で、アジアで今必要なのは、伝統的価値観にしがみつくことによって、社会の変化を人為的に押し止めようとすることではなく そんなことをすれば、新興中産階級そして青年層の反発を呼ぶだけである、社会の変化の先にあるべきもの、即ち新しい
理想を求めることではないのだろうか。伝統的価値観を失い、理想も持たない社会は、経済発展の中ではあたかも集団カジノであるかのように、金儲けにのみうつつをぬかすものに化し、人間の尊厳を失わせるからである。

では何が可能なのか?

英国のサッチャ-前首相は最近の自伝で、「『中流階級の価値観』とは、社会の多様性と個人の選択の自由を促進し、熟練した技能とまじめな労働に対する正当な利益と見返りを提供し、国家の行き過ぎた権力に対する効果的な歯止めを維持し、そしてひとりひとりに私有財産を幅広く分配することを意味するものなら、これこそ私が守ろうとしているものにほかならない」と言っている(日本経済新聞「私の履歴書」)。
 これは、西欧近代の市民社会の理想である。それは、欧米においてもまだ完全に実現されているわけではなく、また知的エリ-トや一昔前のヒッピ-達からは、息のつまるような平等主義、あるいは偽善の香りのするものとして反発を買ったものであるが、最大多数の最大幸福をもたらす点では、今のアジアで産業化社会が当面めざすべきものとして、まだ十分追求に足るものではないか。
 こう言うと、それは欧米の価値観の模倣だと言われるかもしれない。だが、独立した個人が自律的に互いに住みよい社会を作っていくのが、市民社会の理想だとするなら、それは「鼓腹撃壌」などの東洋的な価値観とそれほど隔たっているわけではない。また、平等主義的色彩が強い点では、江戸時代以来の日本の発展のあり方は、欧米の市民社会モデルを上回っているとさえ言えるのではなかろうか。
 他方、先進国の側は、既に述べたように、発展途上の国々に対しまず近代の価値観、制度を採用し、それから経済発展を始めろと言わんばかりの、性急なアプロ-チを取ることの是非を、もう一度考えてみる必要があるだろう。西欧でも、普通選挙権の普及までには、一七世紀に経済発展が始まってから実に三〇〇年余を要したのであるし、米国においても、つい最近まで公民権の問題が大きな論争の種になっていた。価値観、制度の急激な転換は、社会不安を増大させる可能性がある。
 経済発展に伴い、社会における対立は次第に和らぎ、価値観も変わって、制度の段階的な改革も可能になることに着目する必要がある。逆に、経済の破綻が、国のなかの諸民族・諸階層の間の対立、そして原理主義的な動きを激化させることは、ロシア、ユ-ゴ・スラヴィア、そして中近東の一部の例から明らかである。近代西欧の四〇〇年に及ぶ発展の歴史の中で起こってきた紛争と流血を、他の地域には避けながら進ませるのも、先進国側が示すべき知恵なのではないだろうか。
 現時点での価値観の差を恒久的なものと見なし、そこから外交政策を作るならば、対立はいつまでたってもなくなるまい。後発国の経済発展を助けるとともに、その条件整備のためにも、資源・エネルギ-問題、環境問題、人口問題などを着実に解決していく方が、現実的なアプロ-チなのかもしれない。
 他方アジアの側も、これまでの「欧米支配」への反発が、自信過剰に化すことのないよう、十分心していかねばならないと思う。アジアの経済発展はまだ脆弱なものを内包しており、内需中心の安定した発展を実現するまでには、まだ時間がかかる。また、国内に構造的な所得格差、階級格差の問題を抱えたままの国々もある。「二一世紀はアジアのもの」などという感情的なスロ-ガンを掲げるよりは、自主的な改革とグロ-バルな開いた協力関係をめざすべきものと思う。
 欧米諸国では、二〇世紀を通じて有効だった多くの価値観が、現在揺れだしている。民族国家は経済のボ-ダ-レス化と地域自治の動きの強化の中で、政党政治は社会の多様化の中で、市民社会のプチブル的な美風良俗の価値観は、離婚の増加や同性愛運動など感性の解放によって、それぞれその有効性を問われだした。
 面白いことに、こうした変化の一端は、産業化を始めて僅か一二〇年足らずの日本においても現れてきた。後発国の変化のスピ-ドは速いのだ。そうならば、経済発展の彼方に現れる二一世紀の社会のあり方を、アジア諸国が欧米先進国とともに自ら体験しながら考えていくことも、これからは次第に可能になっていくだろう。
 例えば、西側の民主主義の制度は、社会の多様化、民間組織の発達、インタ-ネット等通信手段の発達によって、これから直接民主制の方向に変わっていくものかもしれず、その場合アジア諸国は民主制の面では一九世紀、二〇世紀を飛び越えて、一気に二一世紀的な制度を採用することになるかもしれない。
 こうしたことの結果、世界は多様性を失い、単一の「二一世紀型ポスト産業化社会」に収斂してしまうのだろうか? 確かに、経済発展と文化的アイデンティティの喪失の危険という二律背反は、この明治維新後の日本が十分味わった。また、山崎正和氏が指摘しているように、この数百年にわたる西欧の発展も、実は農村社会、原始宗教的文化に根ざすアイデンティティの喪失の歴史であった。
 だが、均質化したとよく言われる西欧を見ても、英仏独全ての発展過程、そして現在の自由・民主主義のあり方も実は多様である。例えば、一九九〇年に出版されたE・トッドの日本名「新ヨ-ロッパ大全」(藤原書店)では、西欧における伝統的な家族関係の人類学的類型の違いによって、プロテスタンティズムの受容度、自由と平等の概念の内容にも差があることを示していて、非常に興味のあるものになっている。西欧に一般的と言われる合理主義をとってみても、ドイツでは観念論、フランスでは合理的唯物論、イギリスでは経験論的性格が強いというように、それぞれ性格を異にしている。
 つまり、歴史や風土に根ざす民族的特性というものは、産業化を経ても、政治の手法や芸術などに、必ず残るということである。「アジアの価値観」をめぐるこれまでの論議には、植民地時代以降の白人優位の世界への感情的な反発も見られるが、日本を含めたアジアは、もっと自信と余裕をもって、市民社会の建設をめざすべきである。
その中における伝統と現代の間の均衡点は、社会が自ずと見つけるものであり、当局者が強制するべき問題ではない。

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