Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
ChineseEnglishRussian

論文

Automatic Translation to English
Automatic Translation to English
2005年6月 6日

「天が落ちる」時 - ソ連崩壊始末記

 中国の言い方では、「天が落ちる」時がある。世の中がひっくり返って、黒が白に白が黒になり、財産など何の意味もなかったように失われる時、人間はまるで物体のように時代の荒波に流されていくままになる。中国で王朝が代わった時、日本の幕末・終戦直後、フランス革命、ロシア革命等々、世界史上の激動はいずれも政府の放漫財政による超インフレに彩られている。インフレは人々の資産の価値を時にゼロとし、権力の真空は富の所有者、即ち支配階級の暴力的な移動を引き起こす。

 日本にいると、毎日のように電車への飛び込み自殺があるにもかかわらず、国がなくなるはずはない、政府がなくなるはずがないという慢心がエリート層を覆い、しかもその思考は国内で完結して、外国のことと言えばワインの銘柄についての知識を披瀝して足れり、という者も大勢いる。だが、国や政府が消滅した例はわずか15年前にある。ソ連である。91年の秋、ソ連邦の役所を訪問した者は、幹部が毎日去っていく中、残された秘書達が廊下に集まり、不安げにささやきあっていたのを目にしたことだろう。 この小論では、ソ連の崩壊後、ソ連圏と呼ばれた地域が今どうなっているのか、これからどうなるのか、経済的にはどのような意味を持っているのか、につき説明してみたい。

西欧の価値観、富、力に惹かれた東欧とバルト諸国

 「ソ連圏」は、ソ連の15の共和国、東欧諸国、そしてモンゴルから成っていた。中近東、アフリカの一部、そして北朝鮮にもソ連のくさびは打ち込まれ、西欧、日本の野党にもソ連の影響は及んでいた。

 しかし80年代後半、EU統合の進捗、ゴルバチョフによる民主化(即ち共産党の弱化)、そして指導者の老齢化と世代交代、という不安定要因に直面した東欧諸国は、89年後半、なだれを打つようにソ連圏から離脱し、ベルリンの壁の崩壊は「ソ連圏」崩壊を決定的なものにした。東欧もまちまちで、相対的に遅れた国々では民主主義の旗印の下で実は利権の持ち主が代わっただけだったかもしれないが、チェコスロヴァキアやハンガリーのような国ではソ連圏からの離脱は、自由と個人の尊厳を重んずる西欧文明への回帰、と明確に捉えられていた。

 西欧文明への回帰を求める心情は、北欧やドイツの影響を強く受けたバルト三国(北からエストニア、ラトヴィア、リトアニア)も大同小異で、エストニアなどはソ連の時代からロシア語も話したがらないロシア嫌いで通っていた。この三国ではソ連崩壊の2年ほど前から独立運動が盛んになり、91年1月にはリトアニアで流血の弾圧事件が起きている。なお、ロシアからリトアニアを抜けると、ポーランドの北にカリーニングラードというロシアの飛び地がある。これは以前はドイツ領でケーニヒスベルクと呼ばれ、哲学者カントが一生同じ時間に同じ場所を散歩して住民の時計代わりになっていた、古い港町である。ここをロシアのEUへの出口として注目する向きもあるが、リトアニア領を通過するトランジットの問題がいつ悪化するかもわからず、経済的にも不振を極めていることから治安や気風も悪いと言われている。

 バルト三国の南に接するベラルーシは、趣を異にする。ここは、以前からベラルーシ語がほとんど使われず、ロシアとの一体化が経済的・文化的にも強かった。現在は、集団農場の議長出身のルカシェンコ大統領が権威主義的な統治を続け、欧米諸国からは総すかんを食っているが、安定志向の大衆からは概ね支持を受けている。ルカシェンコとしてはロシアと再び合体して経済を改善し、自分自身もより高いポストに上りたいようだが、ロシアは余計な負担を嫌がってこれを敬して遠ざけている。

 フランスの国民投票でEU憲法が忌避されたこと、本年秋にはドイツで総選挙が予定されていることは、EU統合・拡大の方向を当面不透明なものにするだろう。これは、バルト三国とロシアの関係にも微妙な影響を及ぼすに違いない。しかしバルト諸国は民度が高い上に賃金はまだ高くないので、EUへの生産基地として注目されるようになるかもしれない。

ウクライナとモルダビア

 ウクライナはもともとロシア発祥の地キーエフを擁する国だが、西半分は歴史上ほとんど常にポーランドの影響下にあったため、ロシアからの独立気分が強かった。この国ではソ連末期からようやく独立運動が起こったが、人口や国土がフランスなみの大きさを持っていること、工業生産・兵器生産においてロシアと緊密な分業関係にあることから、バルト三国の独立とはまるで別のマグニチュードを有する問題であった。この国の国民が91年12月の国民投票で独立を選択したことが、エリツィンによるソ連邦破壊の最後の一撃を可能にしたのである。ロシア共和国の大統領に公選されていたエリツィンは91年8月クーデターを乗り切った余勢をかって、ゴルバチョフから権限を取り上げようとし、そのためにはソ連邦を消滅させることが手っ取り早いやり方だったから、12月ベラルーシにウクライナ、ベラルーシの大統領を集めると、ソ連邦の消滅を無理無体に宣言してしまったのである。

 ウクライナは、ソ連が復活するかどうかの鍵となる。それだけにウクライナ独立当初は西側も、積極的な支援の姿勢を見せた時があった。いや、ウクライナだけではない。ロシアも含めた旧ソ連諸国全てに、日本及び西側は前向きの支援姿勢を示したのである。だが、旧ソ連の諸国はこの70年、ソ連型社会主義の下で生きてきた。メンタリティーが西側とまったく異なる。西側の「豊かさ」への法外な期待、金銭感覚の麻痺とアカウンタビリティ感覚の欠如、国民から遊離したエリート達のシニシズムと贅沢と腐敗、経済計算を無視して政治家の個人的な好意に全てを期待する甘さーーーこうした数々の悪徳は西側をひるませ、結局本格的な開発援助はできずに終わったのである。

 昨年末ユーシェンコがロシアや国内一部勢力による妨害にもかかわらず大統領に当選し、世界はウクライナの改革と民主化に大きな期待を寄せている。米国の大政党の援助を受けたNPOは、自分達が指南した「オレンジ革命」の成功に気をよくしている。だが、ものごとはおそらくそう急速には進むまい。ユーシェンコ大統領を支えているのは、前任クチマ大統領を支えていたのと同じ「大資本家」達である。チモシェンコ首相は以前、ロシアからの天然ガスの輸入ビジネスをしていたことがあり、その背景は複雑である。

 黒海の北側、ルーマニアに接するモルダビアは、ワインやコニャックで有名だが、ヨーロッパでは最貧国である。この国でロシア人が固まって住んでいる沿ドニエストル地域はロシア軍に守られた独立国のようになっており、密輸等の温床になっているとされている。モルダビアは共産党政権であるにもかかわらず、この問題があるために、EU、NATO向きに国の外交路線の舵をきっている。

コーカサスの三国

 黒海の東からカスピ海の西にかけて、夏でも雪をいただくコーカサスの山々が並んでいる。これはチグリス、ユーフラテス河の水源であり、東西南北の交通路が交差していることから、山あいの谷毎に違う民族が住む、と言われる程の諸民族混住の地である。かのチェチェン人も、グルジアとロシアに挟まれた地域に生きている。指揮者のゲルギエフはグルジアの北にあるロシア領北オセチア出身だが、このオセチア人は鉄器や金細工で有名な古代のスキタイ人の子孫と言われている。この地方の多くは、古代地中海文明の一部であった。ギリシア神話のアルゴス船はグルジアにやってきて金の羊皮を見つけたのだと比定されている。黒海沿岸にはギリシアの植民都市が並び、今でもギリシア語はその名にとどまっている。

 このロシア、ウクライナとシリア、イランの間にあるコーカサスには三つの国がある。そのうちアルメニアは最も古く、最もヨーロッパ文明に近い。作家のサロヤン、指揮者のカラヤン、テニスのアンドレ・アガシに見られるように、アルメニア人は古来世界中に移民しており、その商才はユダヤ人さえ恐れた程だと言われている。閉鎖的だったソ連の時代から、アルメニアだけは特例として海外からの仕送りや往来がより自由だった。人口は300万で市場としては小さいものの、勤勉で緻密であることから日本人ともよく合う民族である。古来隣の大国トルコに圧迫されてきたこと、別の隣国アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフという飛び地(現在はアルメニアが実効支配している)の領有権を争っていることから、ロシアによる庇護に大きく依存している。

 グルジアは風光明媚で気候も温暖、果実とワインに恵まれた国である。その強いクラン、利権意識は独裁者スターリンを生み出した土壌ともなったが、他方いったん友人となればこれほど楽しい相手はあるまい。ゴルバチョフの時代の節酒キャンペーンでブドウの木が切り倒されたこと、その後寒波もあったことから、果樹・ワイン産業が大きな被害を受けたもようで、その後経済は立ち上がっていない。2004年11月シェヴァルナゼからサーカシヴィリへの政権交代は、米国NPOの指南を受けた「革命」の例としては最初のもので注目を浴びたが、その後大統領の盟友だったジヴァニア首相が「一酸化炭素ガス中毒」で急死するなど、事態は単なる利権争いではないかと思わせる様相を早くも見せ始めている。外国が経済援助をしようにも、アカウンタビリティへの意識が全く異なるので、大きな支援は困難である。グルジアには、アゼルバイジャンからロシアを通らずに黒海へ抜ける「バクー・ジェイハン」石油パイプラインが通っているが、通過料収入は僅かなものにしかなるまい。

 アゼルバイジャンは、カスピ海沿岸の石油のおかげでこれからの経済成長が期待される国である。但し、前アリーエフ大統領の息子が世襲していることを西側NPOがどのように捉えるのか、石油利権に配慮して穏健にすませるのかが注目されるところである。目下アメリカが、イラン及び石油資源をにらんで兵力を配置することを考えている節があるが、この国の南部にはイラン系住民も多数おり、当面目が離せない。

中央アジア

 カスピ海の東は、オリエント文明だ。天山山脈から流れ出るアム・ダリヤ、シル・ダリヤの両大河は、あたかも黄河と揚子江、チグリスとユーフラテスがそうであったように、古くから農耕文明を育んだ。それはメソポタミアの流れをひくオリエント文明の一部であり、インド、中近東、トルコ、マグレブ諸国までの大きな地域がこの文明の下にある。中央アジアを砂漠、遊牧民族というイメージでくくってしまったら、それは大きな間違いなのだ。

 中央アジアには5,000万人の人口がいるが、石油景気に沸くカザフスタンを除いては所得水準が低く、未だ大きな市場にはなり得ない。日本政府は、ロシアと中国の裏庭に相当するこの地域にASEANのような勢力ができることを望んでおり、そのために昨年8月川口外相(当時)中央アジア歴訪の際、「中央アジア+日本」と称するフォーラムを立ち上げた。メコン河流域開発計画のようなものが、これからの参考になり得る。

 日本政府は以前からこれら諸国にODAを出していて、累積額は2,600億円に上っている。ロシアが自らを開発途上国と認めないためDACリストに載っておらず、従ってODAは供与できないのに比べると、日本外交の足場はいいのである。

 中央アジア経済の弱点は、海から遠いことである。何をするにしても、運送費が費用をふくらませる。日本政府の円借款も使ってウズベキスタン領内に作られている新しい鉄道路線は、中央アジアからペルシャ湾への動脈を作るものとしてその効果が期待される。

中央アジアと言うと、イスラム、それもイスラム過激主義という言葉が条件反射のように返ってくるが、中央アジアではイスラムは常に穏健なものにとどまっていた。イスラムについてはすぐ否定的な連想が浮かぶが、実際は古来からのオリエント文明の習慣や習俗の集大成的な性格も持っていて、中央アジアでの実体は日本における仏教のようなものを想像すればいい。

 天山山脈からカスピ海に流れ込むアム河、シル河の流域にはフェルガナ(関東平野と同じ面積)等、豊かな耕地が広がっているが、その他は草原ないし土漠、砂漠である。カスピ海の東に広がる砂漠には、トルクメニスタン共和国がある。この国の南部には古代オリエント文明の遺跡が多数眠っているし、オスマン・トルコの故地でもあるらしい。トルクメニスタンは天然ガス大国で、首都のアシハバードは中近東のドバイなどと同じく、近代的なたたずまいを見せている。しかしその中には太陽を追って刻々と向きを変えるニャゾフ大統領の金の立像もあり、そのことに表れているようにこの国ではニャゾフ大統領なしには何事も決まらない。

 その東にはカザフスタン共和国が、日本の7倍という広大な姿を横たえている。この国の北部には豊かな石炭資源を利用した産業が栄え、ソ連時代開拓された農業地帯もあるが、現在はカスピ海周辺でとれる石油からの収入でおおいに潤っている。この収入を背景に経済改革が中央アジアで最も進み、政府は製造業や中小企業の育成に重点を置いている。しかしこの国は人口が1,500万人と少なく、ウズベキスタン、タジキスタンに比べると文明の周縁地にあって工芸や農耕より遊牧が生活の基本であったこと、政治にネポティズムが相変わらず強いこと、本年末に大統領選挙を予定していることから、このまま一直線に伸びていくとも思われない。

 カザフスタンの南にはウズベキスタンがある。これら中央アジアの諸国はかつては一体の地域、または遊牧民族の領域で、現在の国境で国として成立していたことは歴史上一度もない。ウズベキスタンも同様だが、この国は2,500万人と中央アジアで最大の人口、最大の軍隊、そして最大の農耕地帯と大型航空機も作る発達した工業を持っている。サマルカンド、ブハラといったペルシャ、イスラム文明の中心地を擁し、クシャン王朝、チムール帝国等、周囲に覇を唱えた大帝国の拠点でもあった。インドのムガール帝国は、チムール大帝の曾孫バブールがはるか南に遠征し、そのまま居ついて開いたものである。

 この国は91年に独立して以来、綿花モノカルチャー体質を脱却して、食糧、エネルギーの自給体制を確立したが、それ以上の経済改革になかなか乗り出せないでいる。工場等の国家資産が多く、それを民営化するだけの資金と人材が不足していること、国家資産の急速な民営化は新興資本家の政治的野心をかきたて国内情勢を不安定化させること、地方の知事達は保身のために地元の企業への手綱を手放したがらないこと、国民自身、公共料金の値上げやインフレしかもたらさない「改革」に反対であること、などが原因である。ウズベキスタンも他の中央アジア同様、中世から染みつきロシア・ソ連時代に増幅された強い権威主義的体質を持っているが、今のところ権威主義は家父長制を引きずり、しかも我の強い国民を治めていくための必要悪的なところがある。

 5月、フェルガナで暴徒が獄吏を撃ち殺して仲間の囚人を解放し、その後親戚郎党を呼び出して集会をさせていたのを政府軍が大量の犠牲を出しつつ鎮圧したことは、記憶に新しい。アフガニスタンに隣接するウズベキスタンでは、これまでもテロリストによる小規模の侵入は数回あったが、一般国民がこれほど犠牲になったのは初めてである。日本、西側のウズベクへの政策は、当面控えめにならざるを得まい。

 ウズベキスタンの東には、タジキスタンがある。ソ連邦の最貧国と言われていたが、文明的には古くて由緒のある地域である。アレクサンドル大王もここまで遠征しているから、当時のペルシャ文明はここまで及んでいたのである。タジクはソ連邦崩壊の後の利権、ポスト争いに外部の宗教勢力も絡んで悲惨な内戦になり、1998年には国連の活動に加わっていた学者の秋野豊氏が現地の暴徒に殺されている。そのこともあって、日本政府は積極的な技術・資金支援をしている。現在では内戦も終わり、経済は回復基調にある。世界最大級のアルミ精錬工場を有する(水力発電で電力が安価なため)他、ソ連時代からの工場は数多く、しかもウラン鉱石の埋蔵量が大きい。良質な綿花の産地でもある。そして国民は優秀で勤勉である。

 タジキスタンの北にはキルギスがある。パミール高原を擁するタジキスタンと同様、この国は天山山脈という観光資源を有する。日本からスイスに行く距離の半分で、スイスと同じ風景が楽しめるのである。しかし経済開発はこの国では遅れているし、債務支払いのリスケを既に2回も行っている。社会主義時代の依存体質が強く残っている。この国では3月に、アカーエフ大統領が強制的に退陣に追い込まれた。キルギスでも民主主義が勝利したとしてこれを囃す向きもあったが、結局は変わり映えのしない者達に利権が移っただけであるとの失望感が、国民の間では支配的になっている。

ロシアはどこへ?

 では、ソ連の中心であったロシアはどこへ行くのか? 中国が21世紀の主要なプレイヤーとして台頭している中で、ロシアの影はこの頃めっきり薄くなった。

 ロシアの大都市は、石油価格の暴騰で一見活況を呈している。だが貧富の格差は大きい。エリートと大衆は農奴時代の伝統が残っているのか、別人種であるかのように生きている。エリートは大衆の福祉より高価な外車やアフリカでのサファリに夢中で、大衆はこうしたエリートから国家の富を奪い返して山分けすれば良い暮らしができると思っている。だから経済はゼロサムで、新しい価値を創造するよりは、今あるものを奪い合う重商主義の時代にあるかのようである。

 98年外債依存経済の破綻でルーブルが4分の1に切り下がってから、輸入代替の食品産業、軽工業は成長したが、工業生産の大宗を占めていた軍需を民需に転換することは容易でない。大石油企業のユーコスを政府が政治がらみで強引に解体したため、石油投資は下降して、高値の中で石油生産はかえって足踏みを始めている。米国への石油輸出が米露関係を変えるものとして喧伝される時もあるが、アメリカの精油所や港湾はもう能力いっぱいで、ロシアからの原油を受け入れるだけの余裕はない。

 プーチン政権は生活の安定、治安、国際場裡での国の威信回復を求める国民の輿望をになって成立した。しかしプーチン大統領がエリツィン時代の野放図な民営化の見直しに乗り出せば、自分を大統領にしてくれた旧エリツィン勢力との大きな摩擦を起こすだろう。国の安定と威信の回復のために、プーチン大統領は自分の出身母体である旧KGB勢力に依存しているが、インテリはこれを自由の制限として反発し、国民はその他ならぬ旧KGB勢力が利権の奪い合いをしている様を見て、政権への不信を強めている。プーチン大統領の支持基盤は浸蝕されており、その支持率は下降気味である。

 ロシアでは日本文化ブームが続いているが、日本企業は一方で投資を期待されていると同時に、他面では嫌われてもいる。日本人はロシアの経済的後進性にあからさまな軽侮を示しがちな一方では、大企業はすっかり官僚化し、ロシア人が何を提案しても反応さえ返ってこないことが多い。日本から社長が出張してきたから是非会ってくれと言われて無理して会えば、老齢の社長はずっと居眠りして部下だけしゃべっていた、何か都合の悪いことがあるとすぐ領土問題のせいにする、こうした恨み言は何回も聞かされた。

 ロシアではロシアに合ったビジネスのやり方が必要である。彼らは契約よりも、個人の間の信頼関係を大事にするから、ロシア担当を短期間で代えてはならない。ロシアの企業家は米国と同様、即断即決だから、こちらも権限を現場に譲渡(但し、リスクを限定した上で)しなければならない。またロシアでは袖の下等、コンプライアンスにもとる慣行も強く残っているので、これはロシアを良く知る人間に「アウトソーシング」するのが適当だ。

 ソ連圏の崩壊は世界を変えた。米ソ関係を軸に凝集していた世界の各国は、古代のゴンドワナ大陸にひびが入ってできた大陸塊の如く、新たな居場所を求めて漂流を始めた。ソ連の崩壊は、人間の欲が時には国をも滅ぼすこと、過度の国有化は国民を依存体質にし改革を困難にすること、そして財産所有・自営の伝統を有することが如何に大事であるかを如実に示す。また、経済の弱い社会で民主化を拙速に進めれば、それは政策の争いよりも利権の奪い合いにしかならないことも、もっと認識されてしかるべきである。いずれにせよ東欧、バルトの一部を除いて、旧ソ連圏の停滞は長期に渡って続くだろう。 だが、国の外に一歩出ると、そこは激しい陣取り競争の場である。今や成長著しい中国と、9月11日事件以降圧倒的優位の軍事力を発揮して恥じない米国に挟まれた日本が、気がついてみたら世界に居場所がなかった、ということもあり得る。「天が落ちる」のは、別にソ連の上にだけではない。(以上)


 ロシアを除き、どのCIS諸国にもODA、円借款を出し得る(リスケ国を除く)状況にあるが、円借款が最も出ているのは■、■である。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/25