Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

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2002年5月 6日

ロシア 2002年モスクワ

モスクワは変わった。パン屋の前にくすんだ色のオーバー姿の市民が行列を作っていたのははるかな昔――今となってはなぜか懐かしいのだが――、ボクシングや空手できたえ昼日中から殺しあいをしていたマフィアとやらも、この頃ではとんとその姿を見かけない。夜になるとイリュミネーションがずらりと並ぶ十九世紀ヨーロッパ風の広壮な建物をこの世ならぬ幻のように夜空に浮かび立たせる目抜き、トヴェルスコイ大通りにはブランドもののシックなブティックがひしめき、その賑わいはさすがに上海には及ばないものの、最近安手のマッサージ屋ばかり増えた六本木界隈よりもエレガントで活気を呈している。

そう、活気。これが今のモスクワを一言で表す言葉かもしれない。八年前までは、人々の顔には「改革」の混乱からくる疲労と絶望しかうかがえなかった。今でもそれは残っている。だが、将来への希望がまだ午前十時の太陽くらいの明るさで、かなりの割合の人々の顔にさし始めたのも確かな事実だ。

並木通りの一角にできた古風なカフェ「プーシキン」では昼ともなれば、近くで働く華やかなオフィスレディー達がそれほど高くないランチで談笑し、横で奏でるカルテットのワルツは、あたかもここがウィーンであるような幻想を呼び起こす。企業家や金持ち達は時にはマネー・ロンダリングのため、次々に奇抜で豪華なレストランを店開きし、中にはガラスばりの床の下一面の水槽に一メートルにもなんなんとする蝶鮫が何匹も泳ぎ回るものまである。企業家、作家、デザイナー達は、毎晩のように開かれるレセプション、ディナーをはしごしては夜遅く、夫人や愛人とともに思い思いの好みのクラブに繰り出し、人生を謳歌する。

こうしたハイ・ソサエティのかたわらでは、もっと「堅気」の市民のためにその名も「えーい、ままよ」という名のロシア風お好み焼きのチェーン、奇妙なサムライ姿のボーイやハッピ姿のウェイトレスが入り口でいっせいに「いれっしぇいめせー」と客に奇声をあげる――なぜかそっぽを向いて叫ぶ者もいるが――日本食レストランのチェーンなど、一食千円そこそこですませられる手頃な場所もどんどん増え、薄暗い中庭の物置かと見紛う入り口から地下への階段を下りていくと穴蔵にタバコの煙の渦巻く中、学生やボヘミアンの貧乏アーチスト、音楽家、そして近くのラジオ局のスタッフ達のたむろする超安のカフェ・レストラン「O・G・I」などというのもある。こいつはアメリカのバーンズ・アンド・ノーブルなどのカフェつき書店をちょっとひねったつもりなのか、一階に上がって行くと本屋になっていて、安っぽい探偵小説やエロ本であふれる街中とは打って変わって「本格的な文化」の香りのする本が天井までぎっしりつまっているのだ。この店のコンセプトは、ソ連時代からロックにかぶれ反体制扱いされて職にもありつけなかったのが、自由になったロシアで「プレイボーイ」のロシア版を創刊してハイ・ソサエティの仲間入りをした、ある著名な音楽評論家によるものだ。

一組三百万円もの寝室家具セットをいくつも並べた大きな家具店からものの五分も車に乗れば、自分で組み立てる超安家具のチェーン、スウェーデンのIKEA――こいつは入ったら最後、一キロほど店内を歩かされ、やっと出口にたどりつく代物なのだ――がその威容を丘の上に聳そびえ立たせ、その下には客の車が大げさに言えばおよそ数千台はあろうかという感じでびっしり並ぶ。

そう、ロシアは完全に消費経済になったのだ。工業の六0%以上が兵器生産に関与していたあのソ連経済、武器製造マシーンとも言えるあのソ連経済が、消費経済になったのだ。一度美しい商品を買う喜びを味わった者なら、いくら生活が保証されていたとは言え、もう二度とソ連の昔に戻ろうとは思うまい。そしてこのことは、今後のロシアを考えていく上で、ものすごく大切なことなのだ。マスコミでは、モスクワは世界で一番物価の高い都市だなどと叩かれてはいるが、普通の市民はそんな高いところでものは買わない。少しばかり郊外に出ると、そこには露店、コンテナ店が通路に数百軒も立ち並ぶ大市場がそこここにあって、こういうところで買い物をすれば一人月百ドルで何とか暮らしていけるそうだ。

何でこんなことをくだくだ言うのかというと、ことは日本とロシアの関係の今後にかかわってくるからだ。外交官は何年かに一度、住む国を変える。これがどんなに大変なことか。日本の中での引っ越しでも十分大変なのだが、住む国が変わるとなれば言葉も変わり、子供の学校も変わり、そして何よりそれまでの友人、人脈がゼロ――ゼロになるのだ――になってしまう。そして前にいた国と同じくらいの密度と広がりの人脈を一年くらいの間に築き上げて、そしてまた......。

どこへ行っても社会での日常生活というものは、それまでいた国での記憶をしばしの間カラにして、あたかも頭の後ろをハンマーでガーンと撲られて頭の中が真っ白になってしまったかのような、自分は一体全体どこの何者なのか、ひょっとすると何の意味もない存在ではないのか、と思わせるほど重いのだ。人間は日常生活に没入すれば、それにかまけて外国のことなど通りいっぺんの理解ですませてしまう。

ロシアにはもう商店の行列はない。モスクワではもうマフィアの撃ち合いはほとんどない。ロシアは昔の「怖いソ連」でもなく、九四年頃までの哀れな状態にあるわけでもない。危機から脱し、G8の一員として膝つきあわせて話し合える国、そして生活と文化は世界の中でも最も面白い国の一つになってきている。そんなことを聞いてもただ、へえーっと半信半疑で聞き流すだけ、相手の実態と変化を知らずただこれまでの思い込みだけで接するようなことがあれば、それが世界のどの国であれ相手を怒らせかねないだけでなく、時には外交やビジネスの上でのチャンスを逃すことも十分あるのだ。

ロシアとの関係で言えば、領土問題の解決が第一の課題だ。これを解決しなければ、わだかまりも解消されず、日米中露という大国がバランスを維持しながらアジア・太平洋地域の安定と発展に貢献していく上で、日本外交のロシア方面はいつも凹んだものであり続ける。つまり領土問題の解決とは、解決した時我々が万歳と言ってあとはロシアを忘れるといった「自己目的」なのではない。関係発展へ向けてわだかまりを除くためには、どうしても避けて通ることのできない、もっと前向きのものなのだ。

領土問題はどこの国でも、いつの時代にも、難しい。ロシア人はいつもは北方四島のことは考えていないが、戦後あらゆる手段で自分のものだと教え込まれてきた領土が日本に渡された――彼らの解釈では「返す」ではなく、「渡す」なのだ――と聞けば、「何だ、何だ。一体どうしたんだ」と憤慨するかもしれない。
「日本がロシアの弱みにつけこんで領土を取り上げた。これでは他の国も同じことを要求してくる。大変だ」と感ずるかもしれない。ロシアの政治家の中にはこうした感情を煽って反対運動を盛り上げ、得点を挙げようと狙う者も出てくるだろう。しかもロシアはただでさえ、経済発展、チェチェン問題、米国、NATOとの関係、その他もろもろの政策課題に常に忙殺されていて、政権にとってリスクの伴う領土問題に取り組むことは、大きな決断を必要とする。

ロシア側もそうだが、日本側のアプローチも細心の注意を必要とする。四島の返還は我々の悲願だが、それを言うだけではロシア側は動かない。交渉は冷徹な計算に基づいて行われるもので、感情によって動かされるものではなく、ただ懇願するだけでは自分の立場を低く見せることになるかもしれない。かと言って、毅然としてテーブルをたたきこちらの立場の正当性を声高に述べたてることが解決につながるかと言えば、そうでもない。そのようなことは四十年余もやってきており、領土問題解決の必要性についてはロシアの指導部はもう認めているのだ。

ロシアの国民に北方領土問題の法的・歴史的経緯を説明することは、ロシアが民主化して以来、ロシアの新聞・テレビも通じて随分やってきた。だがいくら放送し、報道してもらっても、人はそれを必ず見ているわけではない。彼らは帝政ロシア、ソ連以来の長い伝統で、「お上の宣伝」にはすぐ眉にツバをつける。外国政府の言うことについてはなおさらだ。しかも我々が広報すれば、領土問題の解決に反対する連中が得たりや応とばかりに、反対の大宣伝攻勢をかけてくる。マスコミはこれで購読者が増える、視聴率が上がると思って、論争をあおり立てる。これでは問題の解決には資さないだろう。

では、どうするのか。まず、日本自身が「強く正しい」国であることをいつも示していることだ。軍事力のことを言っているのではない。外交、経済力、自衛力によって日本の安全保障と国際的地位を揺るぎないものに保つことを、言っている。「正しい」とは、ロシアとの関係で姑息な手段を使わず、不必要に激して机をたたくこともなければ、下手に出ておもねることもしない、ということだ。

ロシアでの日本のイメージは高い。「高貴なサムライ」、「深い伝統を有する洗練された日本文化」は、今やロシア人の間ではブームになっている。モスクワに寿司屋が百何軒あるだけではない。料亭ばりの高級割烹も、工芸品を売る専門ブティックもあり、村上春樹の小説は本屋に平積みになっているのだ。こうしたイメージに適う振る舞いは、必ず尊敬される。我々の交渉の相手の知的・文化水準は高く、彼らの価値観はソ連時代の統制マインドを残しながらも、西欧のリベラリズム、個人主義の影響も強い。こちらも、深い伝統に根ざした個というものを前面に出していくのが、効果的だと思う。

北方領土の解決には、プーチン大統領の決断が欠かせない。今のロシアの状況では、大統領が決断すれば、政治家も国民も納得するところまで来ている。これを実現するには、日本が強く正しくあり続け、ロシア側に政策上の重点を置いてもらわねばならない。

歴史上、領土問題が解決されたのは、二つの場合だ。一つは戦争、もう一つは友好関係を進めながら静かに好意的に解決していく場合だ。九一年にソ連がつぶれロシアができて以来、民主化と市場経済を進めるこの国と、日本は友好関係を深めてきた。何百人もの企業の若手マネジャーに研修の機会を与えるなど、経済改革をノウハウの提供などによって助けてきた。何よりもこの数年、双方の首脳が互いのテレビに放映されて友好のジェスチャー、パフォーマンスを相手国民に示したことが、どれほど雰囲気を良くしたかはかりしれない。

相手を知らないことは恐怖を生む。相手がどんな行動に出てくるか、わからないからだ。九二年九月にエリツィン大統領は訪日を直前にキャンセルしたが、その背景には日本への知識不足から訪日の成果を読み違えたことがあったろう。以前ではロシア政府の役人やジャーナリストには、日本と聞くと何となくよそよそしい者もいたが、今では多くの者がオープンで友好的だ。不必要な警戒心と恐怖がなくなったのだ。

冷戦の終わった今、北方領土問題は対決の中ではなく、こうした友好関係の中でしか解決できない。相手もわかっている。日本の立場を、日本の気持ちを。それをどう解決していくか。日露双方は関係を進めたいとの気持ち、そのために領土問題を解決しなければという気持ちは同じであり、同じ舟に乗って彼らもそこから逃げられないのだ。「俺とお前」で話し合い、時には駆け引きもやるものの、忌憚なく解決に向けて話し合っていくしか、解決の道はない。

友好関係を進めることは、領土問題を棚上げにすることではない。北方領土問題と言えばすぐ、ロシアへの経済協力の是非を論ずる向きがあるが、ここで言っている友好関係は日本国民の負担を伴うものではない。ロシアの経済力は未だそれほどではないにしても国際政治における存在感は大きく、またその外交は活発で得点を挙げるのに巧妙だ。そうしたロシアに時にはいろいろ第三国への伝言を頼み、頼まれたりして、外交面での協力を進めることは、日本にとって得にこそなれ損にはならない。経済関係においても、日本にとって利益になる案件があれば、採算性の範囲で公的融資を出して損になることはなく、現にサハリンでは石油、天然ガスの開発に協力している。シベリアにはまだ多くの石油や天然ガスが眠っており、ここから米国やアジアへの輸出を考えれば、採算に合うものもあるかもしれない。

ロシア人の多くは、「日本は北方領土問題のために経済関係を止めている」と思い込み、日本からそっぽを向きがちだ。「いや、そんなことはない。利益のあがる案件なら公的融資もついている。だが、領土問題が解決しなければ、国民の負担を伴うような大型低利融資が出せないことは、わかるだろう?」と言えば、ロシア人は明るい顔になって、「ああ、そうか。そりゃ、もちろんだ。日本はロシアとの普通の商売はやる気があるんだな」と応えてくる。

ロシア人は友人を大切にする。コネ社会の伝統があるだけに尚更だ。同時にロシア人は、他人の面前で恥をかかされることを嫌う。極度に嫌う。国際的に孤立することが多かったからでもある。自分の非を悟っていても、おおっぴらに言い立てられれば依怙地になるのは、万国共通だ。譲ることが自分にとって危険だとなれば、尚更だ。一晩酒でも酌み交わしながら、「お前と俺は随分長いこと一緒にやってきたな。ところで俺には、こういう困った問題があるんだ。どうしたら解決できるかな」と持ちかけるのが、ロシア人と問題を解決する上では、どうしても避けて通れない手続きなのだ。この前の劇場テロの時、ロシアの厳しい情報管理は内外の批判を浴び、未だに残るソ連的体質を垣間見させた。だが、だからと言って膝つきあわせた話ができないわけではない。

ロシアでは、二00六年にG8サミットが開催されることになった。また、ロシアは、米国、NATOとの関係も一応けりを付けて、友好関係を確固たるものとした。国際石油価格は高めに推移し、国内の生産も回復トレンドにある。国民は明日への希望を感じだし、企業家はこの十年で初めて将来の投資計画を安心して立てられるようになったと言っている。インテリは少々ものが言いにくいとこぼしながらも、我々には自由にものをしゃべり、社会が安定しニュースがつまらなくなる中でショー・ビジネスや映画産業に転身をはかるジャーナリストも増えている。野党も政府との対決は避け、必要な改革法案は次々に議会を通っていく。

ロシアは混乱期を過ぎ、以前よりも少しばかり余裕をもって周りを眺め始めた。「誰もただじゃ助けてはくれないが、攻めてくる奴もいない」という、ごく当たり前の考え方が定着し始めている。主要国とのロシアの外交で、まだ大きな前進がないのは日本だけになった。日本との関係改善に政策上の重点を置いてほしいし、それだけの余裕と度量が今のロシアには出てきて不思議ではない。

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