Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

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2005年5月 5日

2005年5月アメリカ風景

1.「アメリカ的」なるもの

 毎年1回はアメリカのどこかに行って、この複雑で奥深い社会のパルスを測るようにしている。この連休はボストンとプリンストンに行った。タクシーの運転手が聴いているBGからして何となく自由だし、地下鉄の大道芸人の奏でる曲はプロはだしで、ああやはりアメリカはいいなと思う。僕がアメリカに初めて来たのは70年代のヒッピーや反ベトナム戦争の運動盛んなりし頃だから、「アメリカ」と言えば「自由の国」という条件反射が身に染みついてしまった。それが、あのテロ事件以来すっかり変わって、自由とか民主主義の価値観を自由とか民主主義からは遠いやり方で広めようとする人たちが増えてからは、僕もすっかり幻滅している。

  そうなると、あばたもえくぼの逆で、「アメリカ的なるもの」の陰の部分がやたら目に付く。郊外から僕の乗った地下鉄は、5分もするとエンコして、乗客はバスに乗り換えさせられた。ニューヨークからプリンストンに行く郊外電車のトイレの鍵はかからず、ブレーキがかかるとドアがするする開いてしまう。僕の席はちょうどその脇にあって、そこを通りかかった乗客が何気なくトイレの中を覗きこみ、あわてて目をそらしていくのがおかしい。
 上下左右ともまっすぐな線になっていない歩道の縁石、ひびわれた舗装、薄っぺらいベニヤでできたようなレストラン。役所や大学の建物はしっかり作ってあるが、手抜きや老朽化したインフラはそこらじゅうにあって、これは箱庭のように隅々まで手の入った西欧の街とはまるで違ってがさつだ。ボストンからニューヨークへの列車は、大声でしゃべりまくるビジネスマン、ひっきりなしに鳴る携帯、うるさく咳き込む人、「みんなさん、今日はいい天気だねえ。次は何々の駅だからねえ」といったべらんめえな車内アナウンスーーー西欧のくつろいだ静寂とは全く違う下世話ぶりだ。

 そしてプリンストン大学のシンポジウムでは、ホテルからピックアップされ、運転手が「ここだよ」というのでマイクロ・バスを降りれば出迎えもなく、参加者たちはどの建物のどの部屋に行っていいのか戸惑う有様。だが、いったん議論が始まると儀礼とか偽善なしの白熱した本音の意見のやり取りが始まって、「ああ、アメリカは真剣勝負の国なんだ」という快感にまた酔うのである。

 アメリカの社会は、移民社会でも生産性をあげることができるように、極力マニュアル化、システム化されている。成田からボストンに行く時にはシカゴでいったん降りて、入国手続きをしなければならない。その2時間足らずの短い間に荷物をいったん受け取って税関を通しまたチェックインして別のターミナルへ行く、という複雑なオペレーションを迫られるのだが、ものごとはすっかりシステム化、流れ作業化されているから、英語さえできれば時間は十分ある。うまくいったと思っていると、ボストンに着いた時に荷物が出てこないのだ。このユナイテッド・エアラインズのシカゴ経由便では先回も同じ目にあったから何ということもないし、10人程の乗客が同じ目に会っていた。

 もちろん荷物はだいたい見つかるのだが、なぜか必ず次の朝の6時に電話をしてきて人をたたき起こし、「荷物が見つかったぜ。今日、何時頃届けに行くからな。あばよ」といった感じだから、こちらはいつも消耗させられる。それにその日は荷物が届く前に行動を開始するから、着ているものが肌にまつわりついて気持ちが悪い。ユナイテッドは生産性とやらを上げるために無理な乗り継ぎ時間を設定し、不便のつけは乗客に押しつけているのだ。いや、これはアメリカ社会全体がそうなっていて、マニュアル化、合理化のつけは消費者が負担させられている。

 9,11テロの余燼はまだくすぶっていて、何か物音がすればすぐ腰に手をかけ「寄らば撃つぞ」と身構えるーーーたとえて言えばこのようなワイルド・ウェスト的な気配がインテリの間にさえちらつく時もある。他方、早春の青空と若葉の下のボストンはどこまでも平和で、地下鉄に乗る25セントがどうしても足りなければ見も知らぬ通行人が恵んでくれる気前良さも、まだ残っている。
 そして、嗜好とか趣味は確実に向上しているようだ。以前は、アメリカ人は「舌のない」、「味のわからない」人たちだ、と言われていたが、この頃は様々のレストランがインテリアやメニューに意匠を凝らし、腕のいいシェフは皆が知っていて、彼らが店を替わるたびに客もついていってしまうそうだ。

2.東アジアはまだ遠い

 今回、MITとタフツ大学で「東アジア情勢の変化と日米関係への影響」と題する講演をしてきた。双方とも20名ほどの学生と院生が出席したが、アジア系の者が半数以上を占めていた。僕が言ったことは、

①現在の東アジア情勢の変化は何百年に一度の大変動で、一言で言えばアヘン戦争以前の構図、つまり中国の冊封体制に戻るベクトルが動きだした。アヘン戦争以前に比べると日本、米国、韓国、ASEAN諸国等の比重は比べものにならない程大きいものの、韓国、台湾、ASEAN等は次第に中国になびきだしている。この中で、日米同盟はいつかアジアの中で孤立していく危険性もある。

②冷戦が終わって民主化が実現したアジアの国々、特に韓国では、青年を中心に権威にとらわれない自由な立場から戦後の歴史を再検証しようという気運が強い。そしてこれらの国の政権はポピュリスト的性格が強く、こうした世論をもろに政策に反映させようとする。これに対して「賠償問題等戦後処理の問題はすべて法的に決着がついている」というような、木で鼻をくくったような対応をすると逆効果になる。オープンな議論が必要な時代になった。

③中国での反日運動は、学生や大衆の生活への不満のはけ口となった感がある。それゆえに、反日運動は中国政府が看過できない危険性を帯び始めたと考える。「歴史」を強調してきたこれまでの中国政府の対日姿勢の、一つの転換点にさえなるかもしれない。

④朝鮮半島をめぐっても、台湾をめぐっても、当事国は本当は現状の維持を望んでいる。であるならば、1975年ヨーロッパで「欧州安保・協力会議」が発足して国境の現状維持について合意したのと同じようなことをアジアでもできるだろう。
 経済・金融面についてもマルチの協力が進んでいる。欧州のEUと同じく、これには米国が入っていなくともいいかもしれないが、安全保障面でのマルチの協力は米国なしには語れない。日本、韓国、台湾の市民が手にしている高度の自由は、米国の参与なしには守っていきにくいだろう。

⑤(学生の質問に答えて)日本にとっての第2次大戦は、欧米を相手にしては帝国主義・植民地主義国同士の争い、中国等を相手にしては植民地獲得戦争、こういう二面性をもっていた。前者については正々堂々と戦って負け、「戦犯」が罰も受けたのだから、法的にもモラル的にも決着はついている。後者については、賠償等の法的決着はついているとしても、モラル的には反省するべきことが非常に大きい。しかしだからといって、未来永劫いつも日本が謝らされるのでは納得できない。西側の国で、かつての植民地に対して過去の罪を謝罪したところがあるだろうか?

⑥(学生の質問に答えて)「東アジア文明」とも称すべき、よく似た社会が東アジアの大都市に生起しつつある。中国・朝鮮・日本の伝統文化を基礎にして、その上に日本・米国の現代文明を載せたものである。近代性と豊かさにおいて、欧米の都市を上回りつつある。特に青年世代が権威から自由になり、オープンになっている。日本が今後も貢献できることは、自由な社会、所得格差の小さな社会の良さを東アジア全体に身をもって示していくことである。

 じっと聴いているアジア系の学生には、日本に対する敵意はうかがわれない。ただタフツ大学で、あるアジア系学生が日本の憲法改正とその狙いについて聞いてきた時、僕は目からうろこが落ちたような気がした。日本人は、中国が現状ーーーステータス・クオーーーを破壊する危険な勢力だと思っているけれど、中国や韓国は日本こそがステータス・クオーを破る国になることを恐れているのだ、と。

 聖徳太子以来、日本は中国を中心とした同盟体制、「冊封体制」に入らず、中国からは「まつろわぬ国」と警戒された。であるが故に日本は明治維新の際、中国に縛られることなく開国、西欧化の道を進むことができたのである。そして日清戦争、日韓併合で冊封体制を完全に破壊することになる。中国は当時、そうした日本を「鬼子」と呼んだ。アジアの諸国は日本がまた「鬼子」となってアジアを危地に陥れることを恐れ始めたようだ。日本人には海外に軍事進出をしようなどという気は全然ないことを、タフツ大学の学生はわりと簡単に納得してくれたが、もっと広い大衆にはどうしたらわかってもらえるだろう。

 「アジアにおいて日米同盟が次第に浮いた存在になっていく可能性」については、米国での危機意識はまだほとんど無い。それに一般論として言えば、アメリカにいるアジア系留学生は相変わらずアメリカの力を信奉し、日本のことを悪く「言いつける」ことで、自分の国の地位を向上させようとしがちだった。プリンストン大学のシンポジウムでは、「米国はアジアではこれまで、日米同盟を機軸に、それぞれの国との二国間関係をうまく調整することによってアジアの安定をはかり、米国の国益を実現してきた。こうしたアプローチを変える必要は、当面感じていない」ということを明確に述べるアメリカ人もいた。

 だが、このシンポジウムで特徴的だったのは、日本、米国、韓国、中国などの参加するシンポジウムをやると、以前ならアジア側参加者はわざとらしくアメリカ的な振る舞い方、ものの言い方をしてみせて、アメリカにすり寄ろうとしたものだが、今回はそのような素振りを見せる者は一人もいなかったことだ。東アジアは、それだけ自信をつけてきたのである。

3.「原理主義」の背景

 アメリカと言うと、僕はこの頃考えこんでしまう。70年代にはあんなに自由に見えたアメリカが、どうして宗教的原理主義の跋扈を許すようになってしまったのか、と。イランとかサウジのことを言っているのではない。他ならぬアメリカの国内のことを言っている。リベラルの牙城と言われるマサチューセッツ州でも、「この頃は家の近所にも、自分の信仰を押しつけようとする人が増えてね。怖いのよ」と言う友人が何人もいる。

 70年代以来、アメリカの社会では一貫してマイノリティの権利が向上してきた。女性の権利、黒人の権利、ゲイやレスビアンの権利などなど、どれもPolitical correctnessという万能のスローガンに保護され、社会は窮屈な程だ。そのしわ寄せを食った者は、宗教原理主義に逃げ込むというわけである。

 もうひとつ、アメリカの社会は自由で開放的であるが故に、弱い者にとっては耐えられない、という問題がある。この国ではいつも大声を上げて、「自分は何ができる」、「自分はこういう立派なことを考えている」と宣伝していないと、皆忙しげに横をすり抜けていってしまうのだ。「自由の中に放り出され、誰も頼りにできない時の恐怖」は、ロシアなどの社会主義圏からアメリカに移住した連中がよく言うことだ。

 社会から落ちこぼれそうな者たちは、自己証明を必死に探す。一見もっともそうで、「できる奴ら」も黙らせることができるようなもの、それが宗教的原理主義なのである。そして宗派の中には、社会の弱者に狙いを定め、積極的に布教活動をしかけていくところがある。彼らはまだ共和党を支持しているが、共和党は本来裕福な者、成功した者を基盤としてきた政党だ。民主党がそのリベラル色を抑制すれば、宗教的原理主義者も民主党支持に変わっておかしくないだろう。

4.「個人史」の豊穣ーーー多民族社会

 アメリカ人の個人史、家族史を集めてみたら、きっと壮大な曼陀羅のようになるだろう。それぞれが違う国からやってきて、そして祖先が祖国を捨てた時はたいてい何か大きな歴史ドラマがあって、そしてまるで違う背景をもった異性と結婚していく。日本の神主の家系に生まれたインテリ女性がアメリカ人の学者と結婚してもう何十年も暮らしていたり、漁師としてアメリカにやってきた日本人が戦争中ユタの日系人収容所に入れられたものの、その息子はハーバードを卒業して大学教授になっていたり、終戦直後の日本にラトビアから避難して今ではMITで働いているユダヤ系女性がいたり、とかである。

 ガンタナモ基地でコーランが冒涜されたと「ニューズウィーク」が報じて以来、イスラム諸国では反米デモが燃えさかっている。だが僕は思う。欧米とイスラムーーーどちらも相手の実像についてものを言っているのかどうか。イスラムと言えば後進性の代名詞のようになってしまったが、イスラムとは実はメソポタミヤ以来のオリエント文明の集大成のようなものではないのか? 十字軍には西欧で食いはぐれた貧民達が何千人もくっついてきたようだし、イスラム圏で保持・発展させられていたギリシア・ローマ文芸が、中世ヨーロッパの科学を発展させたことはもう誰でも知っている。

 アジアとの平等な交易で繁栄していたイスラムからその商権を取り上げたのはヨーロッパ人で、その後彼らは武力にまかせてアジアを植民地にして隷属させ、その富を搾取して産業革命を達成した。こうして貧しくなってしまったイスラム社会の利権を特権層が宗教絡みで独占しているのが現在の姿であるとするなら、我々はイスラムを非難するより、彼らの悲運に同情し、助け、彼らの社会の富を独占している特権層を批判していくべきなのだ。

 イスラム側の米国認識も、時代がかっている。彼らにとって米国は、十字軍以来の「憎き白人」の代表なのだ。偽善的で、セックス・マニアで、何かがあるとすぐ銃に手をかけるーーーこれが彼らのアメリカ認識だ。ところがそのアメリカは、今や多民族国家なのだ。西欧ではチャドルをつけた女性は疎まれるが、アメリカでは町中は言うに及ばず大学でさえチャドルをつけたアラブ人女子学生はごく普通の存在だ。しかも生き生きとしている。イスラム諸国でアメリカの国旗を燃やしている連中は、こうしたことを知らないだろう。

 この連休、アジア系マイノリティーの研究では第一人者のポール渡辺教授に話を聞きに行った。ボストン南郊、アイルランド人の多く住む街区を過ぎると、抜けるような青い空、白い波頭の碧い海のほとりにマサチューセッツ大学の近代的な建物がそびえ立つ。その裏はケネディ家の牙城、ケネディ図書館だ。このモダンな茶色の化粧煉瓦仕上げの建物も、近寄ってみるともうそこここにひびが入り欠けている。

 ポールは言った。1970年代、ボストンでは人口の85%が白人だったが、現在は50%程度。アメリカ全体では白人はなお70%、中南米系が12-13%、黒人もほぼ同比率、アジア系が5%だ。これが2050年になると、白人は50%以下になり、中南米系が25%、黒人が15%、アジア系が10%になる。今でもハーバードでは学生の30%以上がアジア系だし、カリフォルニアの大学ではその比率は50%以上になっている。

 こうした変化の大半は新しい移民によっている。これまでもアメリカの歴史は移民の大量の流入と同化の繰り返しだったが、今回の流入は大量で、しかも文化的背景が大きく違うために、彼らがアメリカ社会に同化するかどうかは議論の的になっている。アメリカには実はドイツ系が最も多いのだが、彼らは自分たちがドイツ出身であるとはもはや考えていない。このように、一世は同化が難しいとしても、二世以降は同化してきたのがこれまでの歴史だった。同じ事が中南米系にも起こるかどうかは、ポール渡辺にもまだわからない。

 彼は、続ける。インド人のITエンジニアなどは、故郷と行ったり来たりしているから、それほどアメリカの社会に同化しない。彼らがヴェンチャーを起こそうと思えば、その資金は同族の経営する銀行などから入手しやすくなっているし、とにかくアメリカの政府というものが彼らには益々縁遠いものとなっている。もっとも、低賃金労働者はそれができない。中南米系は集団主義的でアメリカの個人主義となじまない、と言う者もいるが、下層階級はどの民族でも集団主義的なものだし、二世以降ではアメリカ社会に同化してくるだろう。

 多民族化は、アメリカの外交にどういう影響を与えるだろうか。僕はこのことを、ポールと議論したくてやってきた。アメリカで数の多い、ないし有力な民族の出身国に対するアメリカの外交はマイルドなものになる、と言い切れるのかどうか。イスラエルやメキシコに対するアメリカの政策はやはり随分穏健なものになっている。だが、数が多いわりには、中国系アメリカ人は中国の共産党政権への支持を連邦政府に働きかけているわけではない。黒人も、その多くがアフリカのどこが故郷かわからない、という点で、最もアメリカ的なアメリカ人と言っていい。それにそもそも、ニューイングランドであれば、人々の出自というのは興味の対象にもなるが、カリフォルニアに行くともう関心も示されない。

 日本語を話さず(その代わり、英語はやたら難解な文語調なのだが)、さりとて幼時から自分が「他人と違う」外見であることを意識し、アイデンティティーに悩んできたポールも、60歳に近くなった今はもうだいぶふっきれてきたようで、こう言うと長い話にけりをつけた。

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