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論文

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2005年6月 7日

大阪経済雑感

5月26-28日、大阪に出張した際の個人的雑感を、次の通りお送りします。

1.歴史の蓄積

(1)大阪が都市として成立した時期は、江戸とそれほど変わらない。しかし、モノとサービスの生産において大阪は、江戸より古い伝統を持っている。

(2)堺には釘など鍛冶の古い歴史があって、種子島から火縄銃がもたらされた時、堺の鍛冶屋は短期間でその製造をマスターし、日本は火縄銃の保有数で世界一になった、とものの本にはある。

鎖国の中で河内地方では綿花が栽培されるようになり、幕末には家内織物工業も育っていた。更に奈良の生駒山系から流れ落ちる水流を利用して水車が使われ、水車で金箔や伸銅が作られていたようである。山から流れ落ちる水流を利用した水車というと、アメリカのニュー・イングランド地方やアパラチア山脈麓の繊維産業が思い浮かぶ。

(3)そしてもちろん、世界で最初の先物市場を発足させた、大阪の米市場の存在がある。

 また住友は元禄時代に幕府から別子銅山の利権を得、元禄時代から日本の銅精錬の3分の1を手がけていた(1700年頃日本の産銅量は年間6,000トンで、世界最大であった由。また当時の日本にとっては当然、最大の輸出品目であった由)。その後住友は石炭の採取と輸出でも大きな資本を蓄え、それを基礎に当時の日本で最も強力な民間銀行を設立した。

2.日本近代経済史における軍需の意義ーーー大阪陸軍造兵工廠

(以下、造兵工廠についての叙述の多くは、武庫川女子大学の三宅宏司教授の講演録によっている)

(1)ソ連経済を語る時、軍需はもっとも重要なファクターになる。明治以降の日本経済の発展を語る時、軍需が果たした役割がこれまで看過されてこなかっただろうか?「日本経済は中小企業が基礎になっている。」と人が言う時、ではその中小企業がどのように起こってきたかについて十分な認識はあるのだろうか?

(2)現在、東大阪は金型等製造の中小企業のメッカの一つとして知られる。だが、大阪城のすぐ横に東洋一の軍需工場「大阪陸軍造兵工廠(通称「砲兵工廠」)があって、40万坪の敷地、6万4千人の工員(臨時工を含めて)と、現在で言えば1兆円もの売り上げを誇っていたこと、その大工場が1945年終戦の文字通り前日、8月14日の大空襲で壊滅したこと、大阪の大企業の多くがこの陸軍工廠と取り引きし、技術提携する中で育っていったこと、東大阪の中小企業の多くはこの陸軍造兵工廠で働いていた工員達が作ったものであることは、もう誰も覚えていない。

(3)戦争がからむ事柄については日本人は健忘症で、「日本はもともと優れているから、中小企業という大変結構なものが自然にあるのだ」と言わんばかりの態度で、ロシアや中央アジア諸国にお説教を始め出す。

 だが宮田自転車は銃身を作る機械を流用してできた会社だし、ダイキン工業や日本スピンドル製造のような大企業も、もとは陸軍造兵工廠のOBが設立したものである。まだ終身雇用が確立する前の時代に働いていた戦前の工員達は、腕と工具を携えて渡り歩く気風を残していたのかもしれない。

 神戸製鋼所も住友金属工業も、大阪陸軍造兵工廠と緊密な関係にあったし、工廠が化学製品を多量に使用したことから、周辺には化学工業も育ったのである。この強い軍需色があるからこそ、大阪の企業の中には今でも防衛庁御用達で、自衛隊OBを幹部として受け入れているところがいくつかあるのである。

(4)大規模な陸軍工廠は戦前、東京、名古屋、大阪と、後の大工業地帯になったところに置かれていた(うち東京、大阪のものは明治3年設立。大阪のものは、幕府が長崎に設立していた長崎製鉄所のオランダ製機械機器を、西南戦争のリスクを避けて大阪に移したことがその発生である由)。

 埼玉の川口市は江戸時代から鋳鉄工業を有していたが、赤羽に作られた陸軍工廠は川口の企業の上得意になったことだろう。大田区は東大阪と並んで金型等、日本工業の技術力を支える中小企業の揃った町として知られるが、ここは第1次大戦の特需を契機に生起し、満州事変、中国事変での軍需を背景に急成長したものである。日本特殊鋼(株)などはこの頃できたが、陸軍から鉄砲生産を請け負っていたのである。大田区は第2次大戦での爆撃で壊滅的打撃を受けた後、朝鮮戦争関連物資、兵器の製造で息を吹き返した。

 日清戦争で清政府から得た賠償金(清政府予算の3年分に相当すると言われる)は八幡製鉄などの新規国営工場建設に回されただけでなく、日露戦争の準備のために陸軍・海軍工廠にも回されたはずである。

(5)今日、我々はロシアなどの旧社会主義諸国や開発途上国に対し、明治維新以来の日本の経済発展は自力だけで、しかも平和裡に達成されたかのように得々として説きがちだが、欧米の経済発展のプロセスと同様、日本経済の発展も戦争の歴史と切っても切り離すことができないのである。ロシアやウズベキスタンが民需生産を充実させることができないのを見て、我々はこれら諸国を見下しがちであるが、これは我々が自らの歴史について健忘性多幸症に陥っているためである。平時に、民需生産だけで経済を立ち上げるのは大変難しいのだろう。

 軍需偏重だったロシアが、軍需を民需に転換する資金もノウハウも持たずに苦しんでいるのを見ると、大変な悲劇を伴ったとは言え、日本の軍需生産が強制的に大幅削減されたことは、経済にとっては大変なプラスになったのだとしみじみ思う。

3.大阪経済も底を打つ

(1)大阪は、基幹産業を何度か失ったことのある町である。明治維新で廃藩置県が行われると、大名がコメをカネに替えて消費に回していたコメ経済がなくなり、大阪の市場もなくなった。また戦争では大阪造兵工廠という、今の愛知県にとってのトヨタのような存在を失っている。

(2)明治以後の大阪が築いてきた繊維・織物産業は戦後まもなく斜陽化し、鉄鋼、化学、アルミ等の素材産業も中国等にやられ、家電、自動車も空洞化した。関西空港はふるわず、中国等に進出した大企業に置き去りにされた中小企業は、生産高を半減させている。この2,3年で住友銀行等、合併絡み等で本社を東京に移した企業も多い。

 この中で費用がかかる割には税収入の薄いベッドタウン部を抱える大阪府の財政は極度に悪化し、大阪で最も豊かなところに位置する大阪市は豊かではあるものの、架空残業等のスキャンダルが表面化して大騒ぎになっている。大阪はこの3,4年ついておらず、万博でにぎわう名古屋に追い抜かれるという恐怖感にさえかられるようになったのである。

(3)しかしこの1,2年、大阪は中国向け素材輸出が好調で、この部門を中心に設備投資も上向き、失業率も現在5,9%程度にまで下落した。現在は日本全体と同様、海外における素材需要が一服したことから、大阪経済も「踊り場」にさしかかっている。

4.東大阪の中小企業とその現状

(1)東大阪クリエーション・コア

 これは、経済産業省、地方自治体が出資して作られた、地元先端技術製品の陳列場、商談相談所であるが、当初の構想は役人ではなく、地元中小業者達が徹底的に議論して決めたものである由。出展物は単なる発明の域を出ていないものもあるが、いずれも高度の技術を示しており、付近の高校生も大挙して見学に来ていた。

 官主導で作られる同種のセンターは、通常官僚臭ふんぷんたる清潔な建物が閑散としていることが多いが、東大阪のセンターには活気があった。このセンターに片道切符覚悟で当初から勤務している、下田参事のような人の存在が大きいのであろう。

(2)地元の声・足りないものは資金より人材そして情報

 金属加工・金型などいくつか工場も訪ねたが、ここでの話は次に集約できる。

(イ)金型生産は、周辺大企業の海外流出で生産が半減する等、3年前までは大変な状況にあった。業者の数も4分の1以下に減った。しかし、東大阪の人たちはもう慌てていない。かつてのような右肩上がりの経済は二度とやってこないものと腹をくくり、そういう前提の下に前向きに事業に取り組んでいく気になっている。

 (ロ)東大阪の金型企業は、大企業の海外流出で、一時は製品の30%もを輸出していた。だが大企業は、現地調達率を高めるために現地企業から調達を始めるようになり、日本からの輸出も減っていった。しかも日本の大企業はひどいことに、金型製造の技術を海外の現地企業に出してしまった。彼らは、日本の下請けにも海外に出てきてもらいたいのだろうが、責任は取りたくない。だから、はっきり一緒に出てきてくれ、とは言わない。我々は明日から中国に出るが、あんたのところももしやる気があるんだったら出てきたらどうかね、という言い方をする。東大阪の中小企業の中にはこうして、日本の大企業を深く恨みに思っているところがある。

 (ハ)海外進出は、中小企業にとっては大変なことのようだ。労務管理、生産管理、経理からすべて一流の、社のエースを送らなければならないからだ。」

 (ニ)中国に対しては、「中国に何もかも取られてしまった。裸になって、さあ、持ってけ、といったところさ」と言う社長もいる。しかし反中というわけではなく、怒りはむしろ下請けを捨てて出ていってしまった日本の大企業に向けられている。それに、中国人の製造能力には懐疑心を隠さない。「中国人はじっくり腰をすえたビジネスは苦手である。脚の速い、濡れ手に粟的なビジネスをやろうとする。金型などは、彼らの対極にある。金型もデジタル生産化の趨勢にあるが、最後のミクロン単位の仕上げは手作業でしかできない。コンピューター付きの工作機械といっても研磨刃が減ったりするから、その分狂いが出るのを防ぐことはできない。」というのが、地元の認識である。

 (ホ)資金よりも、人材不足の方が深刻である。「最近の青年は人から言われたことは一応やるが、自分で前に進もうとする意欲が見られない」として、若い女子を採用してみようかと考えだした企業もある。以前は一定期間は目をつぶって社内で訓練していたものだが、最近は人材を遊ばせておくだけの資金的余裕もない。

(ヘ)そして、周囲の状況がよく見えず、外国との取引も自分では出来ないところにも、東大阪の中小企業が抱える問題がある。「ものを作ることは比較的簡単」でも、彼らが困っているのは、マーケット・リサーチ、顧客獲得、マネージメントの能力の欠如である。市場での需要を調査したり、インターネットで注文を取れるような能力と時間がない。

5.何が可能か?

 以上、限られた所見の中で、大阪経済の発展のために考えたことは、次の通りである。

(1)中小企業のマーケット・リサーチ、外国の顧客とのリエゾン代行

 商社OB等のネットワークを作り、地元中小企業製品のマーケット・リサーチ、外国の顧客との連絡等を代行してもらうことはどうだろうか? 官側が定額謝金を出し、企業が出来高歩合制で報酬を払えばいいのである。

(2)関西国際空港の活用

 米国企業で、中国に工場を有するものは多い。彼らは半導体等部品を、米国からアジアの工場に不断に運送する必要に迫られている。従って、関西国際空港の対岸に大型保税倉庫を作り、米国や日本の企業が中国、ASEAN諸国にある自分たちの工場に部品・半製品を迅速に届ける体制を作ればいい。但し、関連作業はできるだけ自動化し、人件費部分を下げる必要がある。

(3)地方統治メカニズムの整理

 大阪には府、中央各省の出先(「何々局」という存在)、市が並立している。雇用創出の役割も果たしていようが、行政改革の余地は大きい。(以上)

コメント

投稿者: GENSHIN工業 | 2007年5月20日 03:53

私は、金型関係に携る29歳の意気込みだけ社長をしています。意気込みとは実際に東大阪の金型企業が年々減少しているなか何とかして金型を全企業の方々にいきわたるような方法を毎日毎日考えてます。なぜかそれは金型一筋で生きてきた方々・もうかなり年配の先輩の方々・これから金型業界に進路を決めている若者たちの希望を私はこのような方々の夢・希望を決して絶つような事をしてわならないと思います。そこにはまず一人一人家庭があり一つの企業が倒産してしまう事によって、そこの社員の方々の家族にまで路頭に迷わせる事になり社長さんの名誉・家族全て奪われるからです。これを国もしくは実地団体の方は見て見ぬ不利しているのかそれとも仕方ないと思ているのか議論ばかりで行動しているのがよくわかりません。私はまだまだ倒産していくではなくもう倒産していく事のないそれぞれの家族が安心できるような金型業界に出来たらそんな事を毎日考えてます。決して綺麗ごとではなく誰かが今、行動せねばです。方法はあるはずですしないなら私同様まず学習してからきっといい提案があるはずです。私自身提案はありますがどの範囲まで可能か不可能か今からまた色々調べないとだめなのですが一刻も早く何かの形をだしこの東大阪に繁栄をもたらしていきたいと思います。諦める事よりまず勇気を持ってもっと東大阪自体上場さすきで皆さんが行動に移してくれたら皆が幸せになると思います。今私達がもし腰を上げて大掛かりな取り組みをしたらそれが10年20年先には必ずいい結果が出ているに違いありません。先の事は関係ないではなく私は将来の子供達のためにも色んな事をたくし夢と希望のもてる世の中にしていきたいとそこまでおもています。このホームページを読んでついつい熱くなりましたが今その解決策を私自身考えているのも事実なので余計に熱くなりました。すみません。

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