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日本・歴史

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2022年6月 7日

高千穂に天孫は降臨したか

(5月25日にメルマガ「文明の万華鏡」第121号を発行しました。それの部分です。
全文は「まぐまぐ」社のサイトから購入ができます)

5月の連休(と言っても、筆者には365日年中連休なのだが)、九州の高千穂に初めて行ってきた。一日で東京郊外から高千穂まで行くのは結構大変で、延岡から高千穂までタクシーで行く羽目になってしまった。

高千穂というのは、霧たちこめる高山のてっぺん、マチュピチュのようなところかと思っていったら、そうでもなくて、ここは古来、有明平野から大分方面に抜ける街道の宿場だそうだ。たたずまいは箱根の湯元あたりに似ている

街の中心から10分ほど坂を下ると、よくポスターなどで見る神秘的な高千穂渓谷に出る。この渓谷はポスター通りの素晴らしい景観なのだが、けっこう小ぶりではある。
で、ここに神々が降臨したかと言うと、文書に残る証拠はない。ここの他にも高千穂を名乗るところは九州に数か所ある。そのうち霧島の高千穂峰は、老舗高千穂の住民に言わせると、明治になってから「指定された」もの。もう一つ、考古学者の故原田大六氏が主張している九州北部にあった伊都国から奴国への■権力移行が天孫降臨で、高千穂もこのあたりにある(平原弥生古墳)という説も捨てがたい。

ここの老舗高千穂については考えられることは、大陸からやってきて有明平野に居を構えていた権力が、近畿方面の制覇をめざして九州東岸に移動する時、この高千穂を通った可能性があるということ程度。現にここから東に90キロほど行った海岸にある大御神社には、高千穂に降臨したあとの瓊瓊杵尊(ニニギのみこ)が海を眺めにやってきたとか、東征途上の神武天皇一行が立ち寄ったとか、神武天皇の兄、三毛入野命が高千穂神社に参ったという言い伝えがある。また北東に90キロほど行った宇佐神宮にも、神武天皇一行が東征の途上滞在したという言い伝えが残っている。

延岡は通っただけだが、面白かった。タクシー運転手から取材すると、ここはまったく旭化成とその下請け企業の城下町。水資源も全部抑えているのだそうだ。別に悪い話ではない。

そして次の日、湯布院近くの由布岳のふもと、塚原高原の熊谷牧場にある恵里菜というペンションに泊まった。高原牧場を見渡す絶景。部屋は二階建てで、「あっちの部屋」、「こっちの部屋」という二室、そして離れの一軒家しかない。露天風呂もあった。

三日目は別府に立ち寄った。ここに来たのは50年以上前。大学のオーケストラで演奏旅行をしていた時だ。木造旅館の並ぶ温泉町だったが、これが今では瀟洒な白いホテル、マンション類が立ち並ぶリゾート。小高い丘から見下ろすと、別府湾は右側に円錐形の山が海に突き出し、リオデジャネイロのコパカバーナと瓜二つ。真っ青な海。地中海的な陽光。今ちょうど、マルタ・アルゲリッチが恒例の別府アルゲリッチ音楽祭の締めのコンサートをしようという時。彼女が毎年ここに数週間も滞在して飽きないのは、ピアニストの伊藤京子など関係の人たちへの友情と、温泉と青い海の魅力なのだろう。国東半島には杵築、豊後高田のような江戸時代の街並みも残っている。


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