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日本・歴史

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2019年4月28日

天皇に人権はあるのか  令和を前に

(これは4月24日に発行したメルマガ「文明の万華鏡」第84号の一部です)

 天皇の生前退位が迫る。この機会に天皇制を再度考えてみたい。
世界に「国家元首」は数多い。米国やフランスでは直接選挙で選ばれる大統領(文字通りの最高権力者)、ドイツ、インドでは連邦・州議会の代表が選ぶ大統領、そして英国を筆頭に血筋で継承される国王と様々だ。その中で日本の王は7世紀、それまで単なる「倭王」の地位に甘んじていたのが、「天皇」を名乗る。「天」命による「皇」帝、その心はバチカンの権力を否定した西欧近世の「王権神授説」に似て、中国皇帝による日本国王授権を否定し、完全な独立を標榜したものだったろう。

以後日本の皇室は、1974年まで公称3000年続いたエチオピア皇室(最後のハイレ・セラシエ皇帝は陸軍クーデターで銃殺され、国はいくつかに分裂)と並んで万世一系、中国や欧州諸国のような王朝の交代もなく続いてきたことになっている(その点については異説が多々ある。少なくとも、継体天皇で血統は大きく替わっているはずである)。「日本」のアイデンティティーを世界に示すものとして、かけがえのない存在である。

しかし幕末・明治維新、そして昭和の敗戦と新憲法と、天皇の地位をめぐって繰り返された激動がもたらしたねじれは放置され、天皇という生身の人間個人にその負担がしわ寄せされている。生まれの故に否応なしに天皇となり、プライバシーはほぼゼロ。国家の象徴と祭り上げられ、総理大臣の任命、法律の公布等「国事」に携わりながら、これは全て内閣の助言と承認を要するものとされ、責任は内閣が負う。そして「国政に関する権能を有しない」ため、政治的な行為・発言は厳に控えるべきものとされる。酷な立場だ。

こうなった歴史を振り返る。江戸時代、天皇の権力は限りなく無に近づいた。しかし幕末の開国に当たって、天皇の権威が意味を持つ。と言うか、孝明天皇が開国の是非についての発言権を主張して、たちまち幕末政治の台風の目となったのだ。

最終的に天皇を抱き込んだ薩摩・長州が錦の御旗を押し立てて討幕を実現、明治22年には(旧)憲法を発布し、天皇をトップに立てて実質的な薩長支配を制度化するのである。天皇は「統治権の総攬者」として、明治23年の発足当初から混乱を極めた国会を何度も解散するなど(薩長勢力に言われてのことだったかもしれないが)、実際に権力を振るう。

国会発足と軌を一にして発布された明治23年の教育勅語は、天皇をトップとする絶対主義的支配の原則を定めた。前年の明治憲法が「日本にも憲法がありますよ」と欧米列強に示して不平等条約を改正してもらうためのタテマエ、外向けのものだったとするなら、教育勅語の方は国内向けのホンネの憲法だったと言える。国民に主権はなく、天皇の「臣民」として皇室国家の為に尽すこととされた。また天皇家に伝わった祭祀は神道として、宗教の上を行く国家イデオロギーに昇華。それまでの神仏混淆は改められ、全国の神社は内務省社寺局の下に一種の国教会として存在することとなる。

明治政府の役人は、本来は天皇家の内部事項である祭祀にまで踏み込み、明治4年には皇室祭祀令を定めることで、今話題となっている大嘗祭等を法律で明文化、かなり細かい式次第まで法律化した。今日、宮中祭祀では長時間の正座を必要とされる等、現代の人間にはそぐわない点が指摘されているが、明治の役人が決めたことなら今変えても問題はあるまい。

昭和の敗戦は、この絶対主義的構造を破壊し、天皇の権力を江戸時代のレベルに近づけることとなった。日本の武装解除と戦後行政を円滑に行うために天皇の権威を必要としたマッカーサーと、日本の「国体」、つまり支配・利害構造を共産主義から守るために天皇を必要とした日本エリート層の利害は一致して、天皇制は残されることとなったが、新憲法で与えられた地位は前述のように中途半端。戦争責任の問題も不問のまま、極東裁判でけりがつけられた。

そして新憲法は天皇を国家の「象徴」と定めるも、明治憲法にはあった国家の「元首」とはしていない。奇妙なことに、日本には他の国家にはどこでもいる「元首」はいないのである。おそらく現憲法は占領中、つまり主権のない時代に策定されたので、元首もいないのであろう。言ってみれば日本は、憲法がない英国(その代わり「権利章典」がある)とは異なるが、1949年の西独時代に策定した「基本法」を憲法として使っているドイツと似て、暫定国家的性格を残しているのである。

さりとて、天皇に実質的な権限―例えば憲法に違反すると思われる法律には署名しない等―を認めた途端、天皇は左右相対立する諸政治勢力の政争の核となり、幕末の勤王・佐幕さながらの社会の分裂を起こすだろう。天皇制廃止の動きも出てくる。

天皇制は、21世紀の新世代にも納得してもらうには、あまりにも過去のしがらみに取り巻かれている。それをいきなり破壊するのは無理なので、まず全国の古墳の大々的な発掘調査を認め(これまでは天皇家のプライバシーだということで、なかなか許可が出ない)、本当の日本史を明らかにすることあたりから始めてはどうか。キトラ、高松塚、藤の木等々の古墳からの最近の出土品は、当時の王朝のユーラシア大陸との紐帯を余すところなく明らかにしている。

天皇、天皇家に対する尊敬、親しみの感情が、神話ではなく真実に基づくものでなければ、天皇制は22世紀に向けて続きはせず、側近達も失職することになるだろう。

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