Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
ChineseEnglishRussian

最近の出版・メルマガ

Automatic Translation to English
Automatic Translation to English
2023年1月 5日

ウクライナ戦争についての様々のトピック

(これは12月28日に発行したメルマガ「文明の万華鏡」第128号の一部です)

 ウクライナ戦争について、あまり報道されていないことの数々。

第2次大戦での米国のソ連援助は、今のウクライナ援助と酷似
 
ゼレンスキー大統領は21日ワシントンを訪問。バイデン大統領から18.5億ドル分の追加支援をもぎ取った。Kiel研究所によれば、ウクライナは10月までに世界40か国から938億ユーロ相当の援助を受けており、うち米国は523億ユーロ、EUが292億ユーロを負担している。ウクライナの2021年GDP推計額は約2000億ドルなので、ウクライナはGDPの半分強に相当する支援を得ていることになる。これは大変なことだ。

 と思っていたのだが、第2次世界大戦での米国の対ソ連援助(1941年のLend and Lease法による兵器・食料などの無償供与)はなんと、これに勝るとも劣らない規模のものだった。先日、ついでがあって、その規模を調べて、仰天した次第。Wikipediaによれば、それは総額113億ドル、インフレ率をもとに計算すると現在の価値ではその約20倍、つまり2000億ドルを越える。これを使って、40万台以上のトラック、13万台以上の戦闘用車両、267万トンもの燃料等石油製品、450万トン分の食品、1900両の蒸気機関車、120両の戦車等が供与された(Wikipedia)。

 だからこそ第2次大戦を生きたソ連市民は、米国製コンビーフの味を懐かしく思い、バンジョーの音色も高らかに得意げに踊ったのだ。もともとお互いに大きな国で、大雑把で、世界のことを気に掛ける「(はた迷惑な)使命感」に満ちている点で仲間的なところがあり、相性はいい。今でも政治では反米、ビジネスや文化では米国移住を夢見るのがロシア人なのだ。

 しかし、チャーチルにけしかけられてノルマンディーに上陸するまでは、「ソ連を使ってナチをたたく」やり方を続けた当時の米国。何やら今の米国にそっくりだ。ちなみに今は、チャーチルに相当する政治家は欧州にいないから、米国はずっとウクライナに参戦しないだろう。

フィンランド戦争とのアナロジー
 
今のウクライナ戦争は、1939年のフィンランド・ソ連戦争に擬せられている。後者は11月に始まったために「冬戦争」と呼ばれているのだが、西側マスコミはウクライナ戦争をも「冬戦争」と呼び始めている。そしてこの戦争の立役者、フィンランドのマンネルヘイム元帥(のちに大統領)の名が、「ウクライナのマンネルヘイム・moment」として言及され始めている。

1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密議定書で、独ソは東欧をそれぞれの勢力圏に分割することで合意。ソ連はバルト三国とフィンランドへの圧力を強め、フィンランドに国境線の変更、軍事基地設置とソ連軍駐留等を要求、フィンランドが拒絶したことで11月、壮烈な戦争となった。ソ連は、これらの行為に対して12月、国際連盟から追放されている。

フィンランドは翌年3月まで戦うが結局、国土の10 %、工業生産の20 %が集中するカレリア地峡をソ連に譲り渡すという条件の講和条約を結び、3月13日に停戦が成立した(以上Wikipediaより)。4か月間の戦闘で、ソ連軍は少なくとも12万7千人の死者を出していた。フィンランド側は、約2万7千名を失っている。

1940年6月、マンネルヘイム元帥は、ともに戦ってくれたスウェーデンの義勇兵に対して、停戦を説明し、支援に感謝するスピーチをしている。今、西側のマスコミでは、「ゼレンスキーのMannelheim Moment」として、彼が領土の割譲を国民に説明し、停戦に応ずるタイミングはいつかという議論が起きている。

メドヴェージェフ再び登場
プーチンの腰巾着メドヴェージェフ元大統領は、2011年9月、自分が党首の「ロシアの統一」党大会で、プーチンへの「禅譲」を飲まされて、それまでの「メドヴェージェフ大統領・プーチン首相」が「プーチン再大統領・メドヴェージェフ首相」に逆転した。その後も彼は鳴かず飛ばず。首相としては政府の抑えがゆるいため、2021年1月突如、首相を更迭される。そして国家安全保障会議に本来は存在していない「副議長」なる肩書で宥められ、今に至る。

これが2021年夏ころから、ウクライナについての過激な発言を繰り返すようになる。趣旨は、「ウクライナは独立した国家ではない。ロシアと一体だ。ロシアはウクライナについて何をしてもいい」ということ。同じことをプーチンも言うようになるのだが、まるでメドヴェージェフがアドバルーンを上げてそれへの反応を見て、プーチンが踏み出す―ーこういう風に見えたものだ。

メドヴェージェフは大統領時代、「プーチンのProtégéではあるが、プーチンとは一味違うリベラルで、SNSも使いこなす」近代的指導者として通っていた(若者たちは自分たちの人間とは思っていなかったが)。その資産を自らぶち壊すような超保守的な論調で売り込みを始めたのだが、その裏には、2024年の大統領選に出たい、そのためにはロシアで唯一ともいえる力の基盤、国家保安庁の支持を得ておきたい、という魂胆があるのではなかろうか? あるいはプーチン・国家保安庁の方にそのようなもくろみがあって、メドヴェージェフには今から準備させておこうということなのかもしれない。

そのメドヴェージェフが12月21日、何とコロナ騒ぎ真っ最中の北京に現れて、習近平と会談したというのだから驚く。プーチンは今何かを企んでいて、彼の行動をつなぎ合わせると、どうもウクライナでの大攻勢、キエフ攻略ということになるのだが、メドヴェージェフの北京訪問もその布石、つまり中国の支持を引き出す(そのために近く中ロ首脳会談をオンラインか何かで計画しているようだ)ことであったかもしれない。もっともマスコミに発表されている限りでは、習近平はウクライナ戦争についてあくまで政治的な話し合いによる解決を求めた、ということになっているのだが、コロナ感染者数ももう発表しないことにした中国のこと。コロナ・ヴィールス以外にも、何か土産をメドヴェージェフに持たせたかもしれない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/4227