Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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日本安全保障

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2016年11月 4日

米大統領選でまた露わになった 戦後の日米関係

(これはメルマガ「文明の万華鏡」に掲載した論文の一部です。全文は「文明の万華鏡」をご覧ください)

日本にとって、「世界」というか国際政治の相手は長らく朝鮮半島、そして中国の諸王朝だけだった。江戸時代にはオランダ(18世紀半ばまでGDPで英国をしのぐ経済大国)も視野に入って来たものの、オランダ商人達も実は日中間の貿易を仲介する方で儲けていたのである。アヘン戦争の時から英仏露米も、極東国際政治のプレーヤーとして登場し、日本も「開国」への要求を突きつけられるようになった。その中でなぜ米国のペリー艦隊が先頭を切って日本を「開国」できたのか、それは多分、英仏露は1853年(まさにペリー艦隊来襲の年)からのクリミア戦争に忙しく、他方米国は1848年カリフォルニアを入手したばかりで、アジアへの関心が高かった。そして日本周辺でマッコウクジラを取りまくる米国の捕鯨業者達が日本の港での補給を求めて、米議会に日本をこじあけるよう圧力をかけていたことがあるだろう。

そこらへん、渡辺惣樹氏の「日本開国」に詳しいのだが、米国も明確な目的意識を持たずにペリー艦隊(当時の米艦隊のうち相当な部分)を派遣した。日本との貿易にさしたる期待があるわけでもなく、せいぜい捕鯨ロビーの圧力が具体的圧力としてある程度。当時、米国商人達は既に中国に地歩を築いていて、日本を脅した後に寄港したペリーに対して、「何も利益にならない日本などより」太平天国の乱で危なくなっている中国にいてくれと懇願している。ペリーが1854年日米和親条約を結ぶと、米国は1856年にハリスを領事として派遣して、1858年日米修好通商条約を結ばせている。米国は1861年に南北戦争が始まったこともあって、その後しばらくは外交どころではなくなった。

(アジアでの主要関心はいつも中国)

米国にとっては、極東地域での主要な関心はいつも、「中国で稼ぐ」ことだっただろう。それは日本にとっても、当時の英国にとっても同じ。列国は、巨大な中国利権をめぐって合従連衡を繰り返していたのである。日ロ戦争で日本を支援した米国のユダヤ資本は、日本がロシアからせしめた満州鉄道の利権に割り込もうとして果たさず(鉄道王ハリマンの来日事件だ)、その後は対中向け共同借款協定の音頭を取ることで、英国、日本の対中利権に割り込もうとした。

ここで面白いのは、米国は当時、今のような緊密な関係を英国と持っていたわけではない、むしろ独立戦争の時以来の英国に対する対抗心が前面に出てくることが多かったということである。例えば、1853年のクリミア戦争で、米国は表向き中立を貫くが、実際にはロシア軍に支援を行っていたらしい(前記「日本開国」渡辺 惣樹)。

1937年、日中戦争が始まると、中国国民党政府は日本との争いに米軍を引き込もうとする。同年には国民党の有力者、宋子文・前財務長官を米国に送り込み、ホワイト・ハウスにまで工作の手を伸ばす。彼の妹で蒋介石に嫁した宋美齢は、ヒラリー・クリントンと同じウェルズレー・カレッジの卒業生で、流ちょうな英語と米国流の物言いで、米国世論をすっかり中国寄りにしてしまう。日本が真珠湾開戦に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」は草案の段階で蒋介石にも回付されており、「もっと厳しくしろ」という彼の要望を受けて、最後通牒的なものとなったのである。だから太平洋戦争は、中国が日中戦争に米国を巻き込み、太平洋側から日本を攻めさせたものと言える。日本は完膚なきまでに負けた。古代ギリシャの昔だったら、男は皆殺し、婦女子は奴隷として売り飛ばされて、日本は遺跡になっていたことだろう。ローマに滅ぼされたカルタゴのように。

(マッカーサーは現代の征夷大将軍?)

戦後、米軍による占領の全貌はまだ勉強していない。それでも、個人としてのマッカーサーの役割が随分大きかったように見える。戦後の西独では、米占領軍司令官は「顔がない」。初代アイゼンハワーは別にして、その後4年間で4人も替わっているし、ドイツは英国、フランス、ソ連軍にも占領されていたからだ。

戦後日本の場合、中国は内戦状態で、日本を米国と分割占領するどころの話しでなかったし(古い話しで恐縮だが、663年白村江で日本海軍が唐海軍に大敗した後は、中国使節が兵力を伴って九州北部に駐留している)、英国もソ連もマッカーサーに押さえつけられ、戦後日本の行政には形式的な参加しか認められていない。そしてマッカーサーは、当時の米国民主党政権の下で共和党から大統領選に出ることも考えていた政治家志向の男なので、「日本を破り、戦後日本をまともな国に変えた男」という実績を欲しがっていたと思われる(「マッカーサーと日本占領」半藤一利)。

だから日本をとにかく「平定」するという点で、マッカーサーと日本のエスタブリッシュメントは手を握ったのである。終戦間際、日本政府はすったもんだのあげく、「国体の護持」を条件にポツダム宣言を呑んでいるが、その時どうやって米国と話しを付けたのかについては、十分な研究を見たことがない(戦争していても、欧州などには日本の大使館が随分残っていて、ここを通じて交渉することもできたはずだし、日本の要人たちも米国の友人たちと書簡の交換もしていたはずなのだが、誰か研究していないのだろうか?)。とにかく、米軍が日本を占領した時には、天皇の命運については保証はなく、日本のエスタブリッシュメントはマッカーサーの出方を戦々恐々として見守っていたのである。

しかしマッカーサーはマッカーサーで、300万余もの日本軍がろくな抵抗もせず、霧のごとく消え失せてしまったこと(これは、現在のアフガニスタンやイラクのことを考えれば、いかに不思議なことかよくわかる)、日本の官僚は使いでがあること、そしてこれらを全て差配しているのは天皇で、天皇を処分すれば日本は混乱し、司令官としての自分の功績は地に落ちると思い込み、天皇をどうしたものかと考えあぐねていたようだ。

占領開始後1カ月もたたない1945年9月27日、有名な天皇とマッカーサーの会談が行われ、ここで天皇は「自分はどうなってもいいから云々」と言ったことにマッカーサーが感動し、天皇を処分しないことを決心したということになっているのである。「なっている」というのは、この会談の記録は今に至るも明るみに出ず、本当は何があったかはわからないからである。この会談は吉田総理が事前にマッカーサーに持ち掛けて、おぜん立てをしたもので(前掲半藤書)、だとすれば、両者事務レベルでかなりの仕込み、シナリオ書きが行われていたかもしれない。

いずれにしても、これでできた構図は、天皇陛下―マッカーサーー日本政府というピラミッド構造で、マッカーサーはあたかも現代の征夷大将軍の如く、共産主義の脅威を追い散らし(戦前から共産主義は日本政府中枢にまで入り込み、ソ連の工作を受けやすくなっていた)、天皇の権威を利用して日本の統治を司り、日本の官僚達を使ったのである。

(日本の対米依存の由来)

こうして日本は武装解除された上で、それを憲法9条で恒久化、1951年サン・フランシスコ平和条約で独立を回復した後も、同時に結んだ安全保障条約によって米軍の日本占領は駐留と名を変えて継続(米軍は日本の基地を自由に使用する権利を認められた一方、日本を守る義務を負っていない)という、構造が固まった。その後右安保条約は1970年、もう少しましな形に改定されて――野党勢力はこれを対米従属の強化だと言い立てて、岸政権を倒したが――、第5条で米軍が日本を守る義務を規定している。

日本は、冷戦と日米安保体制から最大限の経済的利益をあげた。日本は憲法9条を逆手にとって、安保面での米国への協力を最小限のものとし、他方米国への大量の輸出で高度成長を維持し、先進的社会を築くことができた。

日本人は献身的な勤勉さでこの繁栄を築いたのだが、それは外国では尊敬を呼んだ一方で、武装解除されたあげく勝者の米国に安保も経済も依存し、原爆投下の罪も問えずにいる弱者として軽侮の念も呼んでいたのである。

(冷戦後の日米安保)

冷戦が終わりソ連の脅威はなくなったが、中国が台頭した今、日米安保関係は双方にとって相変わらず必要だ。しかし基本的状況は随分異なる。と言うのは、ソ連は米国を核ミサイルで破滅させることのできる唯一の国――今でもそうである――だった一方で、米国にとってはさしたる経済的利益をもたらす存在ではなかったのに対して、中国は(未だ)米国の存亡を脅かす力を持たない一方、経済面では米国にとってはアジアでダントツの稼ぎ相手なのである。そして報道によれば、米国は1973年以来(つまりキッシンジャーの秘密訪中を契機として)、日本には一切通報せず、中国に兵器や技術を供与していた(2015年11月27日週刊現代)。中国をソ連に対抗させるためだろう。

これが何を意味するかと言うと、日米安保と米軍は、中国に対して抑止力としては作用するが――「日本に手を出せば米軍が加勢するかもしれない。やばいから日本に手を出すのはやめておこう」と思わせること――、例えば尖閣に中国がしかけてきた時には、米国はしっかり対応してくれないかもしれないということだ。「尖閣は小さな無人島で戦略的に何の価値もない」というのが米国側の理解だが、中国がここにヘリコプター、ミサイルを配備すれば、南西諸島・沖縄、そしてひいてはグアムの安全は随分危なくなるのだが。

今回の大統領選で、トランプは日本や韓国、NATOの欧州諸国などをやり玉にあげた。「日本は米国にモノを輸出して儲けている割には、米軍への払いが少ない」というのである。日本の場合、米軍への「思いやり予算」(年間約2000億円)をそのまま自衛隊の装備費に回せば、随分防衛力を充実できるほどのもので(自衛隊の新規装備取得費は年間7000億円程度)、トランプの言い分は事実を歪曲しているのだが、問題は彼の言うことは米国社会で議会から大衆までほぼ一貫して持っている誤解だということだ。日本は戦後、日本と米国のほんの少数の「玄人」連が、秘儀のようにして日米関係を護持してきたが、一般には双方において相手に対する無理解、不満がくすぶってきた。

日本では社会主義を奉ずる野党たちが、日米関係の大小あらゆる問題を取り上げて政府攻撃の具にしてきたのである。そこを「玄人」連が何とかごまかしながらやってきたし、今回の大統領選でもクリントンが勝利すれば、トランプの言ったことは忘れられて、なあなあの日米関係が続いていくのだろう。

(日米関係棚卸し)

しかし、そのままでは多分いけないのだろう。と言うのは、米国経済の活力は何とか安泰だとしても、外交、内政両面で、米国の「ガバナンス」が劣化と言うか、コントロールを失い、世界での米国の力を弱めてきたからである。例えばシリアでは、軍・CIAはホワイト・ハウスの対ロ宥和路線に抵抗しているし、ネオコン的な民主化勢力が世界中でレジーム・チェンジをしかけては騒擾状態を作り出し、米軍の介入、同盟国の関与を強要する。

日米関係もこれまでのように「玄人」の合理的判断で、秘儀的に運営していくのは難しくなる一方だろう。僕は、世界の警察官として行動するには、米国が一番ふさわしく、かつ米国にしかその力はないものと思う。国連軍など、できるはずがない。日本にとっても、戦後、営々として築いてきた自由で繁栄して格差の少ない社会を維持していくには、米国との協力が不可欠だ。

他方、戦後日本が米軍に過度に依存してきた面――例えば海上自衛隊は米空母部隊の防護を主たる目的としているため、今でも独力で海上戦を行う力に欠けるようだ――、不平等な面――日本上空空域の管制権を米軍に大きく取られている、米軍関係者は在日米軍基地に着陸すれば査証なしで日本に入国できる等――は是正し、かつ自力で対処すべき局地戦への対処能力は充実させるべきだと思う。そして、何よりも米国の核の傘がなくても、核の脅威を除去できる技術手段を開発しなければならない。

日米同盟を捨てるのはもったいない。それどころか危険だ。日米同盟がある限り、米軍事力は少なくとも抑止力としては作用する。日米同盟を破棄すれば、局面によっては戦前のように、米中が揃って日本に向かってくることもあり得るし、その場合、日本はまた惨敗することになるのである。だから日本は日米安保を堅持し、その中でも米国への一方的依存をできるだけ減らしていくことだ。例えば、米軍が日本を守る際には自衛隊が米軍を守ることも明確化--つまり集団自衛権の行使――する。そしてトランプの輩にどうこう言われないよう、日本は安保面での役割を米国人にもっと見えるものにしないといけない。米軍の東半球での展開には日本の基地使用が不可欠であることを、米国民に知ってもらいたい。一方、アジアではNATOのような集団安保の枠組みがない故に、米軍がことさら目立って野党に批判材料を与えるので、豪州、シンガポールなどと相互の基地利用の集団的枠組みを作ることも一案だ。

クリントン政権が誕生すれば、安倍政権は対米関係で安心してしまい、これまでの関係継続で良しとするかもしれないが、もしこれから更に数年も権力の座にあるつもりならば、当初の志のように戦後体制の棚卸しを目標に掲げるべきなのだ。それが時代の変わり目の長期安定政権の責務ではないか?
そしてくどいようだが、「戦後日本の清算」とは戦前の国家至上主義に戻ることであってはならない。国際的には無用の紛争が起きないようにし、経済成長と民主主義が広がるようにする前向きなもの、更にはAI等が生み出す未来の未知の文明にも前向きに取り組めるような、そうした世界を作り出すことである。

(妄執を抱えた世代の退場)

戦争前後にまつわる様々の怨念を抱えた人たちが、これまでの日本の政治を動かしてきた。その一つの端に社会主義、ソ連・中共にシンパシー、そして米国に反感を持つ人たちがいて、この人たちは民主党、鳩山政権でやっと来たわが世の春を謳歌した。そして反対側の端に、「慰安婦? 南京虐殺? そんなものは言いがかりだ。存在していない。いわれのない非難を撥ね返し、日本人の誇りを取り戻そう」と叫ぶ、戦前日本ノスタルジック派がいる。この人たちは安倍政権に贔屓の引き倒しの期待をかけ、わが世の春が来たと思って甘酒まで用意したのに、桜が一向に咲かないのでくすぶっている――こういう状況にある。

しかし、もう年金で暮らすようになっている我々世代は、自分の妄執より、これからの世界を生きて行かねばならない後進世代の気持ちの方を大事にしなければいけないのでないか? よくゆとり教育の世代は駄目だと言われる。しかしゆとり教育は当初こそ混乱を生んだものの、小中6年通じてこれを経験した世代は(ゆとり教育は2002年から9年しか続いていない)自分で考えて自分で解決策を見つける癖がついていると言う(10月12日Diamond Online)。若い世代の考えることを軽視するべきではないということだ。

今の世界では、防衛力強化即徴兵制ということにはならない。陸上での大軍の正面衝突という局面は、もはやないだろうからだ。つまり若い世代も、安全保障の問題をすぐ徴兵に結び付けて頭から拒否する必要はないということだ。普通の人にとっては、日本をどの国が占領しようが、生活に大きな変化はないように思えるかもしれない。むしろ威張っていたエリート連中が懲らしめられていい気味だ、と思うかもしれない。しかし自民党が解党されて、中国共産党日本支部が幅を利かせたり、大企業は軒並みに中国企業に吸収合併され、幹部には中国共産党員が天下り、日本人社員を奴隷扱いし出したら、やはり困るだろう。日本を守るということは、憎いお偉方の利権を守るために戦争で死ぬことではなく、自分たち自身の生活を守ることなのだという自覚を持ってもらいたい。
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