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日本安全保障

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2015年10月 8日

ロシア極東にどのように投資するべきか

(これは、月刊「ロシア通信」10月号に掲載されたものの原稿です)
     
 9月初め、ウラジオストックで「東方経済フォーラム」が開かれた。またほぼ同時に、「ウラジオストック自由港法」にプーチン大統領は署名している。東方経済フォーラムでは合計1.3兆ルーブル相当の契約が調印され、中国からは汪洋副首相が出席したと報じられた。日本はまた例によって出遅れたのか? そう思い込む前に、ロシア極東はナンボのものか見てみよう

ロシア極東、つまりサハ共和国からカムチャツカ地方までがそうだとすると、人口はざっと630万、それだけ。北海道の人口約540万とほとんど変わらない。これがロシア極東の市場規模であり、かつ労働力の基盤なのである。日本海側の諸県は、地元特産の農産物などを輸出しようとしているが、ロシア極東の市場は飽和している。そういった産品のバイヤーの数は限られていて、日本の諸県に引っ張りだこになっている割には、日本からの輸出は増えない。

アムール河を隔てた中国の東北地方(旧満州)三省プラス内蒙古の人口はざっと1億3500万、ロシア極東の20倍強、しかも中国東北地方は大慶油田を抱えているので、石油化学、自動車工業、軍需工業と、経済力はロシア極東の20倍を優に超える。マトリョーシカなどロシアの土産物も、元はと言えば中国の東北地方で作られている。「ロシアには1億4000万人の市場がある、ロシア極東を『生産基地』として使えばいい」と言っても、人口の大半が住むロシア西部まではシベリア鉄道で9000キロ強、運賃がかかり過ぎて、極東で生産する意味はない。ウラジオストックで乗用車を組み立てている日本メーカーもあるが、これはシベリア鉄道の輸送条件で優遇措置を受けているからできる話しなのである。

ロシア当局の持つ危機感

ロシア極東の人口は、ソ連崩壊以前には800万人あった。25年間で20%強減少したのである。ロシア当局は危機感を持っている。と言うのは、ウラジオストック周辺の沿海地方をロシアが手に入れたのは1860年の北京条約。それまでここは、清朝の勢力圏だったからで、今中国は返還を要求していないとしても、ロシアとしては尻がむずむずする思い、人口まで減っている。それに、極東への物流の幹線はシベリア鉄道一本しかなく(大陸横断ハイウェーどころか、ろくな自動車道路さえまだ無い)、それは極東地方では中国との国境の至近を走っているので、有事にはいとも簡単に遮断されてしまう。ロシア革命直後の1920年にはこの地方は「極東共和国」として、1922年まで本土から切り離されてしまう。1918年にシベリア出兵を始めた日本とロシア本体が、交戦状態に入るのを避けようとしたのである。

つまりロシア極東は脆弱なのだが、それでも折角手に入れた太平洋への出口、死守したい――これがロシア政府の気持ちだろう。だからロシア政府はこれまで何度も、極東開発計画の類を打ち上げては予算の重点配分を約束してきた。その効果が上がらないのは、ロシア極東に住むロシア人の多くに地元への愛着がなく、「こんな(・・・)アジアの地にいるより、モスクワへ帰りたい」と思っているのも一因だ。彼らの多くはソ連時代、無料教育の片としてこの地方に強制配置され、強制期間を勤め上げた後もモスクワやサンクト・ペテルブルクに帰るつてを失い、滞留しているのだ。

そして重点配分されたはずの予算は、実際には配分されなかったり、送金の途中で横領されて蒸発する部分が大きい。2007年9月、当時のズプコフ首相は閣議で、「サハリン州での地震被害復興予算が支出されたのに、それがまだ現地に届いていない」として担当者を叱責したが、その後11月にも同じ発言を繰り返している。また2012年11月には、ウラジオストックでのAPEC首脳会議のための予算を浪費したとしてパノフ地域開発省次官が逮捕されている。

今回のウラジオストック自由港法は、外資を呼び込むための一種の特区を設置するものである。トルトネフ副首相が苦労してまとめたもので、外資は従業員の健康保険負担率を大きく軽減される等、評価するべき点はある。しかし何でこの地域に外国人が工場を建てて様々の困難と闘わねばならないのか、闘うだけの価値があるのか、という一番肝心なところがわからない

極東自身は市場としてはいかにも小さく、ロシア西部に搬出するのも現実的でない。となると残る販路は日本・韓国・台湾・東南アジア・米国ということになるのだが、日本企業にしてみれば北に寄り過ぎ、労賃は高く、しかも十分に労働力も集まらない地に何で投資するだろう。しかもわざわざ東方経済フォーラムの直前に、メドベジェフ首相など閣僚が北方領土を訪問するのは、日本人をなめたもので、デリカシーに欠ける。日本人は踏みつけても、もうかるものには群がってくるとタカをくくっているのだ。それがたとえ真実だとしても、極東への投資は大変なだけで儲からない。

極東は助けて助かるものなのか

日本はこれまで、そのロシア極東を助ける方向で努力してきた。北方領土問題を解決するためには、この地方の当局者や住民の支持が必要だし、またロシア極東の発展を助ければ中国に対するバランス要因となるからである。ところが現在、中国経済は停滞の色を深めていて、日本にとってはロシアを引き込んでまでバランス維持に努める必要性は下がってしまった

それでもロシア極東で儲けたいと思う人は、次の点に注意して進めるべきだろう。まず、中小企業はロシア極東に安易に手を出すべきではないということである。と言うのは、ロシアは中小企業の場合、社長しか相手にしないから、問題が起きるたびに社長が出かけないと片付かない、しかも通関のような技術的な問題でも、社長が現地に10日程は滞在しないと片付かない、という問題があるからである。ロシアで良くある荷役や通関上のトラブル、合弁相手の裏切り、そのすべてに社長が1週間も2週間も現場で貼りつけになっていたら、その企業は成り立たなくなるだろう。

だから、ロシア極東は大企業向きである。そして投資の対象は製造業ではなく、やはり資源関係だろう。冷戦たけなわの1970年代、日本は「シベリア・極東開発」と称して官民一体、当時の金で10億ドル以上もの輸銀融資をつけて、サハリン石油・ガス、森林資源、原料炭等の開発を進めた例がある。当時は今里広記、永野重雄等、個性と意気のある財界人が経団連を足場にシベリア開発の旗を振った。今、同じようなことが、2013年に設けられた「日ロ経済交流促進会議」とその傘下の「官民連絡会議」に期待されている。

1970年代に比べると、重厚長大産業が財界をまとめる時代ではもはやない。日露両国政府、そしてロシア極東に事務所を持つ商社の参画も得て、様々な分野での輸出・投資案件を精選していかねばならないだろう。
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