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2012年4月12日

インド旅行記 バンガロール

">バンガロール

「バンガロールはインドでは別世界。IT(ソフト開発)の中心地で、豊かな中産階級の住む町」ということになっている。だから僕はバンガロールというと、軽井沢のような洒脱な高原の町に一本(だけ)大通りが通っていて、その両側にござっぱりした近代的ビルが並んでいる、並木道の木陰のカフェではインド人や外人が歩道にせり出したパラソルつきのテーブルに座って談笑――という光景を想像していたのだ。ところが今回来る直前にウィキペディアを見てみると、なんと人口800万を超えるインド第三の都市というではないか。しかもウィキペディアのページには、見たこともないような近代建築が並んでいるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB。これで僕は、バンガロールという街がすっかり見当つかなくなった。実際、まさに着陸しようという飛行機の窓から見ていると、灯りが地平まで果てしなく続いているのだ。

 空港には、今回声をかけてくれたバンガロール大学の日本語教師若林さんが出迎えてくれた。韓国の現代自動車の小さな小さなタクシーに乗り、スーツケースは屋根にゆわえつけ、バンガロール市内に出発だ。ところがこの現代自動車、インド人どころか鈴木自動車もビックリするほどよく走る。エンジンの馬力も操作性も抜群だ。そこで大学の迎賓館と言うか、中級官僚用の宿舎でやれやれと荷をほどいたのはいいが、シャワーの湯もタオルも、トイレット・ペーパーも、洗面所のコップも――ああ、そしてインドでは必須の蚊取り線香も――なかったのは既に書いたとおり。

 水シャワーを浴び(モスクワに住んでいたころは、毎年5月のまだ肌寒い頃、「点検のため」に1カ月も地区の給湯が止まったので、水でシャワーを浴びていた。やればできるのである)、二つあるベッドのうちの一つのシーツをはいでタオルとし、まあこれも想定内、インドに修行に来たと思えばいいのだと思って寝に着いた。翌朝食堂に行ってみると、英語が通じない。隣で食べているものを指して、「あれ」と言う。ウェイターは腰巻きをして足は剥き出し。なぜか腰を曲げてなよなよとスリ足で歩く。どこか違和感を感じたが、みると裸足なのだった。
 そこでその日はとるものもとりあえず、まずタオルとコップとトイレット・ペーパーを買いに出たのだったが、案内の若林先生、ふだん耐乏生活をしているらしく、そこらの雑貨店で買いそろえようとして、結局2時間走り回ったあげく揃わなかった。と言うのは、広いバンガロールの中を移動するための車道が少なく、混雑してどうしようもないのだ。

 バンガロールでも、人力車はもう姿を消し、牛もいないが、ムンバイとは違ってバイクが多い。ムンバイより雑然とし、町にメリハリがない。
2012 2 インド 122.jpg未来都市のような部分は僅かで、歩道もろくにない粗悪な舗装道路の両脇に傾いたような商店が立ち並ぶ、いわゆるインド的な情景がどこまで行っても続く。自分がどこにいるのかわからなくなる。分散型都市とでも呼ぼうか。バンガロールは別に、ITだけの街ではない。軍需生産の中心地のひとつなので、元から先端技術を受け入れる素地はあったし、経済規模も大きい。
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 だが、バンガロール大学の外国語科の建物は、極めつけの粗末さだった(内部はきちんと整頓されていたが)。
2012 2 インド 121.jpgここでは日本人の先生方が3名ほど教えておられる。うち一人の方は急病で、僕の去った後、なんと死去された。この大学ではフランス語、ドイツ語の履修希望者が多いそうで、学部長とも会ったが、日本語には関心が薄いようだった。とは言え、中国語を履修する者は3人だけで、韓国語履修者も少ない(このふたつの言語は、IT企業で教えているのだそうで)。ロシア語に至っては、勉強したい者がいないというから、ロシア専門の僕としては悲しくなる。
ここの日本語科は大学院レベルまであって、インド人の日本語教師を磨いているのだ。僕の「講演」でも10名ほどの大学院生が聴きに来て、日本語での早口での講演を面白がって聞いていた。

 インド南部の人たちは、感覚的には日本人に近いものがあり、あまり自我を前面に出さない。大学院で学ぶ日本語教師のインド人女性には主婦が多いのだが、いい意味で協調的というのだろうか、感じがいい。日本に行ったことのある人も多く、「私の子供、『また日本に行ってカレーを食べたい』と言って聞かないのですよ。日本のカレーライスおいしいからね。そう、『インド人もびっくり』っていうコマーシャルのこと、若林先生が教えてくれました」と言って、笑わせてくれた。

 彼らのうち数人は講演の前日、僕の希望で郊外の村に連れて行ってくれた。バンガロール南西のJanapadalokaというところには、民芸品を集めた博物館があった。大きな催しの翌日で閉まっていたのだが、日本語教師のインド人女性が機転を利かせて、「私、この博物館の創立者とは親戚なのよ」と吹いた途端、館長が出てきて一同を案内してくれたのには驚いた。陳列品の中で面白いと思ったのは、石をくりぬいて作った鍋。土鍋と言うか石鍋と言うか。
2012 2 インド 133.jpg土鍋以上に保温にいい。量産したら、日本でも売れるだろう。このあたりの売店の土産物は、実際には中国製が多かった。この頃は、ロシアの土産物も中国製の時代。

 今回は、「農村」に連れて行ってくれるよう頼んでおいた。45年も前に見たサタジット・ライ監督の「大地」に出てくるような、「貧しい農村」を見たいと思って。ところが、そういう農村はもうバンガロールの近くにはないらしい。連れて行ってもらったのは、村と町の中間くらいの大きさで、木工工場をもつ村だった。
2012 2 インド 143.jpg街路は碁盤の目に通り、土で作った粗末な家に草ぶきの屋根が乗っている――といったものでは全然ない。ここはイスラム系の住民が多くて、ある工場に入ったらそこは女生徒たちばかりが木工をやる棟、写真を撮ろうとしたら「だめ、だめ!」と言われてしまった。男性の働く工場、というか作業場も見たが、皆熱心に働いているし、仕上げはちゃんとしている。値段が申し訳ないほど、安かった。
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それにしても、土壁に草ぶきの屋根の粗末な家が泥でこねたような道ばたに散在しているような「本当の農村」は本当にもうないのだろうか。インド人の日本人教師に聞いてみたら、「本当の村はもっときれいなんです。川があって。葉を皿の代わりに使うので、ゴミも出ません。住民は裸足で歩いていますが」ということだった。ムンバイの日本総領事館で聞いたところでは、「農村は貧しく、水くみに毎日3時間もかけている婦人が多い。そのため井戸掘りや、灌漑が非常に重要なのだが、日本政府がやっている『草の根・人間の安全保障援助』は他の国にはない機敏で地に足のついた援助ができるので、井戸掘りなどにぴったりで、インド社会からの評価は高い」ということだった。やはり、「本当の農村」はあるのだ。インターネットで探して見たら、http://www.flickriver.com/groups/indianvillages/pool/interesting/ などが面白い。

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