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インド

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2012年4月12日

インド旅行記 ムンバイからバンガロールへ

南インドは日本人向き――「ちゃんと」している
 これまでの僕の経験では、インド人は何かを頼んでできないと、ものごとを解決するより言い訳する方に専念したり、私用電話が多すぎたり(コネに依存して生きているので、コネを終始確認し合っているのだ)という例が多かった。これは1990年代のロシアのような何でもありの世界なのだと思って今回も行ったのだが、勝手が違っていた。

ムンバイからバンガロールまでは国内線に乗ったわけだが、空港ターミナルは国内線用なのにもう米国の大都市の空港並みだった。ロシアよりやや上の水準を行く。ムンバイ空港のカフェで働くインド人は、自分のやるべきことを完全に理解していて、きびきびと、そして客に接していた。その様は、アメリカでの標準を上回る。そして、飛行場の荷物検査などいろいろなところでは自発的に行列を作り、――そしてここがロシアや中国と違っていて感心したところなのだが―――横入りする者がいない。

ちょっと高めのレストランでクレジット・カードで払う時、90年代のロシアであったようにカードを不正使用されることを恐れた僕は、ウェイターに「大丈夫だろうな?」的なことを言った。すると彼は憤りを抑えた声で決然と、「そんなことはございません。私もインド人ですから」と言ったのだ。そこまでブランドになっていれば、安心だ。インドは、あと5年もすると、見違えるように良くなっているのではないか?

と思ったのだが、それはバンガローの迎賓館と言うか、中級官僚用ホテルで裏切られる。シャワーの湯が出るのは朝だけ、トイレット・ペーパーはない(あとで入手したので念のため)。それでもシャワーの湯が出てこないのはモスクワ暮らしで慣れている、と思って水でシャワーを浴びようとして、ふと気が付くとタオルがない(だから余分なベッドのシーツをタオル代わりにした)。歯を磨こうとするとグラスもない。受付の老人に文句を言うと、インド訛りの英語に歯が欠けているから、ますます言っていることがわからない。これでは、インドは何年経っても変わらないだろうなと思った(冗談)。

 ムンバイからバンガロールへの国内線は、中産階級の世界だった。モラル、そしてエチケットがあった。人々は知的で、Modestに見える。ロシアの国内線の殺伐とした空気より文明的だ。そして機内で上映した映画は、中産階級に属するインド人青年の生活を、まったく欧米的なように描いていた。

 それでも、インド人は欧米の白人とはやはり異なる。一神教でものごとを黒白に割り切り、産業革命を経て能率の権化になった西欧の白人とは違うのだ。インド人は時間にルースなところがあるし、既に書いたように私用が多い。そして大型の式典のようなイベントの細部を計画、運営するのは苦手だと言われる。

「ヒンズー教には3億の神がある。すべての家庭に自分の神がいる」と言うインド人がいた。二分法でものごとを割り切るキリスト教、イスラム教の世界とは違う、仏教に近いのだ。財閥もその多くはファミリー企業で、人事は不透明なのだそうだ(例外はタタ財閥で、ここは総合職を研修したうえで、実力主義で処遇する。タタは珍しくちゃんと法人税を払っているそうで、タタ家の信奉するパーシー教、つまりゾロアスター教のなせる業だと思いたくなる。
 
バンガロールへ

 というわけで話を戻すが、4日目にはムンバイから本来の目的地バンガロールへと飛び立ったのだ。
乗ったタクシーの運転手は、なぜか知らないがしつこくアメリカの悪口を言う男だった。こういうのはアラブ、イラン系に多いのだが、インドで会うとは。日本人は原爆を落とされて怒らないのかとか、イラクで大量破壊兵器はみつからなかったじゃないかとか、言うことを聞かないとすぐ敵だと言ってくる、なにも悪いことをしていないのに干渉してくる・・・云々かんぬん。うるさくなって僕は言った。

「なんでそんなにアメリカのことを気にするんだい? 君の生活がよくならないのは、別にアメリカのせいじゃないだろう? 君はイスラム教徒か? イスラム地域の生活が悪いのは、アメリカより欧州の植民地主義のせいだぜ」
 運転手は納得したのかアメリカのことを言うのはやめて、生活の話を始めた。
「一日4、5回はモスクに行くんだ。日本人は仏教か? 日本は自由なんだそうだな。ここでは自分の子供を監督して、職業も結婚相手も決めるんだ」
 僕が、「いや、君の息子もいつかは勝手に結婚相手を連れてくるだろうよ」と言うと、イスラムの運転手は目を細めて嬉しそうな風。僕はたたみかける。「社会とか風習は変わるんだよ」
 運転手は続ける。「ここは汚職がひどいんだ。警官? もちろん全員。でもみんな給料では家族を養えないからな。値段がどんどん上がっている。ところで現代自動車って、日本の会社か? (こちらは沈黙) 日本はすごいよ。25年前に買ったサンヨーのラジカセ、まだ使っている。今は、日本の製品も質はそうでもないそうだな。それでも、日本人は頭で稼いだんだよ」

空港に着く。600ルピーの約束だったので、つりをもらうつもりで1000ルピー札を出す。すると敬虔なイスラム信者の運転手は、「つりがない」。(それでも、200ルピーは「持っていた」)

ムンバイとバンガロールは隣の州なのだが、飛行機で1時間少し南下する。もう夜になった。下は陸地のはずなのに灯りが見えない。見えてもまばらで暗い。まるでシベリア上空を通り過ぎる時のようだった。それから3日後、バンガロールからデリーに帰るときは昼で、下がよく見えた。空港を飛び立って30分も経たないうちに、大地は赤茶けた砂漠のようになり、なるほど何もなかったのである。溶岩が噴き出てできた、デカン高原というやつだろう。それでも所々に、白一色の大都市が見える。村もわりと集住していた。バンガロールからデリーまでは2時間半もかかる。稚内から鹿児島くらいまでの距離だろう。亜大陸と言われるゆえん。

デカン高原というとなぜか「デカン高原の赤犬」という言葉が頭のなかに浮かんできて、何だったのだろう、シャーロック・ホームズか、いやあれはパスカルヴィル家の犬だ、と思って、これを書いている今、「パスカルヴィル」をインターネットで検索すると船橋の賃貸アパートがトップで出てきたりして、現代はどうも散文的でいけない。で、結局わかったのは、「デカン高原の赤犬」はキップリングのジャングル・ブックに出てくるということでした。モーグリの育て親、オオカミのアキーラを殺してしまう悪い動物だ。ジャングル・ブックはもう少し北の話だと思っていた。

バンガロールはインドのシリコン・バレーと言われているが、このデカン高原、さしずめカリフォルニアのNapaバレーにも似て、今ではワインも作っている。飲んでみたら、コクは足りないが香りが高いいいワインだった。

インドの経済

 バンガロールに着くまでの間に、インド経済の鳥瞰図をお話しておく(州の位置については、次のサイトをご覧ください)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA%E7%94%BB。インド経済の中心はいくつかあり、デリー周辺、西部のムンバイとその北のグジャラート州(知事が外資誘致に熱心)、南部のバンガローとさらに南のチェンナイ(昔のマドラス)が主なものである。カルカッタを中心とする中東部に住むベンガル人は、芸術や哲学論争には優れているが、このあたりの経済は後れている。カルカッタでは共産党政権による州統治が30年も続いて労組が強くなり、資本が逃避したのも一因だそうだ。1月7日のEconomistを読むと、1960年には全国の工業生産の13%を占めていたカルカッタが、2000年には7%に落ちていたのだそうで、周辺の西ベンガル州も含めてインド全国への外国からの直接投資中、2%しか得ていない。現在の州首相Banerjee女史は国民会議派に近い政治家だがポピュリストだそうで、政権につく前にはタタ財閥による自動車工場建設に反対してこれを失った人物である。共産主義とポピュリズムは双子のようなもので、現代の日本でもこれを一身に体現したような政治家たちもいるけれど、カルカッタも運に恵まれていない。

バンガロールの南、インド半島が海に突き出たところの西半分にはケララ州がある。ここは中国で言えば温州のように、全国をまたにかけて商売するヴェンチャー的商売を手掛けるものが多数いるのだそうだ。識字率が高いわりに、地元の仕事が少ないのが一因で。            --続く

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