Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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日本史

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2012年1月 5日

日本で高まる核武装論議

前から気になっていて、まさかと思っていたが、このサイトの左下、1click投票という欄の一番下「結果を見る」という個所をクリックしてみていただきたい。今後の日本の安全保障戦略として、中立を選択する人が実に全体の57%強に達していて、そのうち「核兵器を持った上で中立路線をとるべし」とする人が21.5%もいるのだ。僕などがかねがね支持してきた、「日米同盟を基礎として中国とも友好関係」という行き方は、もう24.3%の支持しか得ていない。

イラク戦争が強めた米国への反発、金融恐慌による米国の弱体化が、このような状況にまで日本世論を持ってきたのかと思う。日本国内はがたがたなのに。

まず「中立」を選んだ人たちのことだが、周りの情勢があまりに厳しすぎるから、「そっと放っておいてもらいたい」という気持ちが強いのだろう。そして実際には日本の大きさと力では、完全な中立とか自立が無理なこともわかっているのではないか。

今の自衛隊の兵力のまま「自立」したとすると、おそらく米国、中国、ロシアとこぞって日本の港を自国海軍のために使わせろと言ってきて、日本国内は大騒ぎの末、横須賀は米国、長崎は中国、のような割り振りをすることになりかねない。

経済面でもTPPなどやめて半分鎖国でもしたいのだろうが、それは自分たちの生活水準の多くは、輸出があるからこそ維持されていることを忘れてしまっているのである。輸出が減れば円の価値が下がり、それは日本国内でインフレを起こす。

では、通常兵力を充実させれば自立できるかというと、それにも限界がある。核兵器で威嚇されたらお終いだからだ。だから、「核を持ったうえで中立」を選んだ人は、その点を考えているのだろう。

日本が核を持っていないことは、例えば村田良平・故元外務事務次官も問題視していて、その「村田良平回想録」の中で種々のやり方を論じている。「回想録」下巻の318頁以下には次の大胆な言葉が続く(一部はしょってある)。

「私は、かねてから何らかの『引き金の共通化』の方式はありえないかと考えてきた(注:これは村田元次官が大使も務めたドイツが採用しているやり方。短距離発射の核爆弾に対して、ドイツ政府はNATOのアメリカ人司令官と発射決定権をシェアしているのである)。
核ミサイル装備の潜水艦で、米海軍と海上自衛隊の要員が共に乗員となっていて、基国から日本に対して核攻撃が行われた際には、日本の要員が米国製の核ミサイルを報復として発射するというシステム」
(注:要するに米国の「核の傘」の下にいるだけでは、本当に有事に傘を開いてくれるかわからないので、日本人が同乗して傘を本当に開いてもらう、ということ)

320頁には次の言葉がある。
「独自の核抑止力を持つとの日本の要請を米国も拒否できない日が、それ程遠くない将来到来する。米国がこれをあくまで拒否するなら、在日米軍基地の全廃を求め、併せて全く日本の独力で、通常兵器による抑止力に加え、フランスの如く限定した核戦力を潜水艦を用いて保持するというのが理論的な帰結。」
(注:勇ましいが、日本は米国と過度に対立すると、米国の仮想敵国となりかねない。身を守るのが目的なのに、かえって強敵を増やすことはない。それにここで村田元次官が言う態勢が整うまでに、20年はかかるだろう。これでは実用にならない)

村田元次官はわりとあっさり、核兵器保有論を唱えているが、核兵器を日本が持つかどうかを議論するに当たっては、次のことも考える必要があると、僕は思っている。

1.報復攻撃用の核兵器を日本が保有する場合、それは日本本土に置いてはならない。核兵器による先制攻撃の対象となりやすいものを本土に置くことは、危険である。

2.結局、潜水艦発射の核ミサイル(または核兵器搭載の巡航ミサイル)が日本にはもっとも適当だろう。これは、自力開発はほぼ無理だ。結局、村田元次官の言うように、米軍の核をシェアさせてもらうしかない。これを米国とどのように費用分担し、発射決定をどのように共同で行うか、の問題になる。

3.一連のシステムを独自開発、独自所有しようとするのは、時間がかかる上に、米国までも仮想敵国に回してしまうことになりかねない。

4.それに日本人は原子力発電であれ、国家統治であれ、大きな「装置」を強い指導力をもって動かす能力に乏しいのではないか。感情論に瞬時に傾きやすい世論を持った日本の政府に、核兵器を持たせていいのか?


 
ーー今回の日本核武装論の背景は、中国が強大化するなかで米国の力に陰りが見えていることだろう。だが米国経済は盛り返すだろうし、今の状況でも世界における米国の力は中国をはるかに上回る。中国は、米国に圧迫された国々にとっての駆け込み寺の存在を出ていない。

感情に動かされて、中立や核武装などの考えに飛びつくと、結局戦前の日独伊枢軸のような誤りを再度冒すことにならないだろうか。


コメント

投稿者: 望月喜市 | 2012年1月17日 02:33

僕は、スイス型(十分知ってはいないが)の防衛タイプを選びたい。核を持たないタイプで自国を守る、モデルの模範生になることこそ、原爆被爆国日本の義務であり、そう主張する権利を持つと考える。あなたの考えでは、なぜ日本を他国が侵略しよう,核攻撃しようと考えるのか、という理論ずけがない。最大のリスクは、北朝鮮だが、ミサイルを日本に打ち込んで何を得ようとするのか、東京を狙えば、獲得したい獲物を自ら破壊することになるし、それ以外を狙ったとしたら、世界の世論の猛反発で、自国自身が壊滅する。核はもっていても、利用できない、そういう状況に世界システムはなっている。最小限の自衛力で、経済的繁栄を遂げるという日本モデルは、米国の核の傘下にいなくても、可能ではないか。

投稿者: 河東哲夫 | 2012年1月26日 00:14

望月様のご指摘について:私は、日本の核武装は慎重に考えるべしと書いているのです。
他方、ご指摘の点についてお答えすれば、私が心配しているのは、日本が核攻撃を受ける可能性よりも、日本が「核攻撃するぞ」と言って威嚇される場合です。威嚇されただけで、日本は国論を二分する論争が起きるでしょう。
これに対処するには、日本自身が核武装して抑止力とするよりも、別の手段で相手の核兵器を無効なものにしてしまう方法を開発するべきだと思っています。

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