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文学

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2010年11月27日

使い捨ての時代 永遠の忘却

11月26日日経夕刊で作家の常盤新平が書いている。「何もかも使い捨てのような時代が来てしまった。何もかもマニュアルどおりのような世の中だ」と。

同感。「何もかもマニュアルどおり」というのは、最近のファスト・フード店でのサービスなど。決められた口上と手順だけは明るく親切げにてきぱきやるが、それと違うことをこちらが求めたり聞いたりすると、あわてるか、それとも急に冷淡になって「申し訳ありません。それは当店では・・・」の一点張りとなる。

そんなことより、この常盤氏の文章で心にひびいたのは、「何もかも使い捨てのような時代が来てしまった」ということ。首相が時代を画すということができない。それはまた別の話として、「文化人」と言われる多くの人々がまた使い捨てのように永遠の忘却の彼方に沈んでいくとなると話は別だ。日経で瀬戸内寂聴が昔つきあった人々のことを面白可笑しく、しかし味わい深くシリーズで書いていたが、こういった人々は僕も知らない。だがそうした人々がそれぞれの時代を演出し、雰囲気を作り、時代に意味を与えて行ったのではないか。

現代は情報が氾濫し、つきあいのサークル、関心の環から脱落していく人たちは瞬時に忘れられる。もったいない。歴史、伝統、そうしたもの、つまり「意味」というものがなくなって、日本はポップ・カルチャーとポピュリズムの波間にただ漂っていく(それもまた伝統だろうが)存在になってしまう。時代を画した人々についての他者からの評価、そうした人々自身による一人語り、または対話、そういったものを意識的に集め、シリーズで放映し、ネットに流し、電子書籍にしていくべきだ。

こうなってしまったことの背後には、情報入手の手段が活字からテレビに移ってしまったことがあるだろう。目に映ってはその瞬間消えていく映像。そこでちょくちょく目にしない人間は、自分の仲間ではなく、関心に値しないというわけだ。

時代は変わる。このインターネットとか電子情報とかいう代物、サイバーテロが起きたり、ネット技術が根本的に変わるまでは、永遠にネット上を漂っているのだろう。まるで本当は死んでいるのに、まだ年金をもらっているかのように。

コメント

投稿者: 大ちゃん雄クン | 2010年12月29日 19:51

ジム・ロジャースがバイクと車で世界を回ったその短い期間が過ぎ去った後でさえ、「日本はマニュアル以外に対応できない国になった」と言っています。
コンプライアンス、内部統制とか言い過ぎると、欧米の多国籍企業(これも古い言葉なのでしょうか)のみならず、中国やインドの企業にさえ勝つことは有り得ないと感じている次第です。
世の中には「本音と建前」があり、少し古い話になると、世界最上級/最高級の企業であった「エンロン」の結末も、あのようなものになるのです。
日本国民は100年以上たっても世界の中の田舎者で、結果損をし続けることで、国として維持し続けるのかと思うと、我々の子孫は今の時代をどう評価するのでしょうか。

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