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2011年4月 9日

2011年3月のアメリカ――印象記1 (到着の第一印象)

この3月末1週間、ワシントンと古巣ボストンに行く機会があったので、調べたことや感じたことを書き連ねておく。お世話になった方々に感謝申し上げる。

2年ぶりのアメリカ――その「第一印象」
ワシントン行きのユナイテッド航空は、スチュワーデス(「フライト・アテンダント」)に中国人と日本人もいた。そしてその中国人が中国語、英語の両方でアナウンスする。するとよくわかるのだ。中国語とアメリカ英語は世界の二大通俗言語である、と言ってもいいことが。下世話で少々乱暴な、物言い。もっとも、それもしゃべる人によるのだけれど。

アメリカの航空会社といったら、僕の若いころは断然、パンナムとTWAだった。パンナムはその名前Pan-Americanから言っていかにもアメリカの勢威を象徴し、聞いただけでアメリカのにおいがしてきたものだ。だがその頃の航空会社はほとんど倒産し、今ではユナイテッドとかデルタとかその名を聞いても「顔が見えない」。ユナイテッドとUS Airwaysをなぜか混同してしまう。
と思っていたら、帰りのユナイテッド(ボストンとシカゴの間では、アメリカの航空会社のくせにヨーロッパのエアバスA-320を使っていた)では出発前のビデオに社長が登場し、乗客に挨拶していた。これがあるだけで、安心感がある。もちろん彼一人ですべてを掌握しているわけでないことは承知しているけれど、人間というものは無人称の会社名とか組織の名だけでは、やはり親しみがわかない。福島原発をめぐる東電の広報体制が不評なのも、そのためだ。

ワシントン。飛行機から見下ろすと、公園のように美しい首都の姿が見える。古くからポトマック河口の港だったアレキサンドリアの対岸、葦の茂った蒸し暑い湿地に造成された合衆国の首都。数十年前にできた時には世界最先端だったダレス国際空港も、この頃は時代遅れになってきた。空港アナウンスは英語、ドイツ語、フランス語、そしてスペイン語だけ。日本語はいざ知らず、この頃はどこに行っても追いかけてくるあの中国語がない。80年代だったか、改装された時は世界最先端に見えた、飛行機とターミナルを結ぶあの巨大なバスも、今はもうすすけている。

RIMG0713.JPG(ダレス空港のパスコン)

だが、空港のパスポート・コントロールは5年位前ほどに比べ、格段に良くなった。その頃は暗く、うす汚いターミナルの中、長蛇の行列に並ばされ、それが少しも動かない。まるで、移民扱い。立ったまま、1時間も待たされたあげく横柄で強圧的な係官の尋問を受け、やっとはんこうを押してもらえるのだった。今回も長蛇の列で、本でも読もうかと思って広げたのだったが、列がどんどん前へ動いていくものだから結局読めず、20分もかからずにパスコンを通過することができた。係官はどのブースでも、ハリウッドの映画に出てきそうな横柄なタイプは姿を消していた。

その結果、何を感じたかというと、もちろん「やっぱり、アメリカはいい」という思いなのだ。イラク戦争での専横とリーマン・ブラザース金融危機での「崩壊」を見てきたわれわれは、アメリカの経済、そして社会のモラル全体が崩壊してしまったような印象を持つにいたっている。そしてそれは、なにかというとすぐ人を撃ったり、爆弾が破裂するような、がさつなハリウッドの映画を見て、確固とした既成事実にさえなっている。

ところが今回僕がワシントンとボストンで目撃し体験したものは、その逆を示す。「アメリカは変わっていない。アメリカ人はしっかりしている」というのが実感だ。アメリカの空港に着いたとたん、あの昔どおりの「アメリカの匂い」に包まれる。僕にとってそれはAccountability, responsibility, そしてオープンさといった価値観が街の匂いと混じり合って発する匂いだ。40年前アメリカにはじめてやってきて、中西部の大学の晴れた芝生、向こうからやってきた見ず知らずの女子学生にすれ違いざま親しげに「ハーイ」と声をかけられたときの驚きを、感傷とともに思い出す。
何となく自由でダイナミックなそのにおい。そして店員とかウェイトレスとか、現場の人たちが投げやりでなく、真摯に働こうという姿勢を崩さないのが、日本人の僕には気にいる。もちろん多くの偽善、エゴイズム、そして驕りと無知も他面にあるのだが。

そう言えば、アメリカといえば昔は悪趣味で派手なネクタイをつけている人が多かった。それはもうない。今日のアメリカは地味で、就職難のせいか「ちゃんと見える」ように努める者が多く、不況のせいか以前より全然腰が低くなった。でも、こうした人々のなかには、仕事にかけては大変なプロである者が多い。働く企業の名より、個人としての自分の能力で食べている者が多いから。

アメリカの新聞は紙の幅が狭くなった。それはワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズもウォール・ストリート・ジャーナルもみんなそうで、日本の新聞の半分強(たての長さはあまり違わない)。ふたつに折らずとも読みやすい。情報量はやはりずいぶん減ったろう。18世紀の産業革命以来、新興の「中産階級」を相手にこれまで隆盛を極めてきた「新聞」と言うか「ニュース・ペーパー」(ニュースが書いてある紙)。インターネットのせいだけじゃなく、中産階級自体がすり減ってきたことにあわせ、もう黄昏なのか?

RIMG0716.JPG
ワシントンは政治の町、つまり政治で食っている人が多い(と言うか大部分)町だ。規則正しい街路に立ち並ぶ味気ない四角いビルは、雨後のタケノコのように増えるシンクタンクとか、種々雑多のロビースト達のオフィス、そしてこの頃連邦政府を早めにやめては「アウトソーシング」でしこたま高額な謝金をせしめる軍事請負企業、諜報・分析請負企業のオフィスでいっぱいなのだろう。だからこの町にはやたらFedexの店があって文書の作成に便利だし、どちらを向いても銀行がある。菓子や精神安定薬を買いたくなったら、そこらじゅうにあるCVSドラッグストアーに行けばいい。そして角を曲がるとスターバックスやちょっとしたレストランがあって、打ち合わせや待ち時間つぶしがしやすい。ところがセーターを買おうと思って探しても、衣料品店はなかなかない。その中を、救急車かパトカーか消防車か知らないが、サイレンがやたらしょっちゅう鳴り響く。あまり住みたいと思う町じゃない。味気がない。

RIMG0728.JPG
(世界が脅威にさらされた30秒。ホワイト・ハウス大統領執務室[fake]にて)

そしてワシントンだけでなく、全米でやたら多くのことが自動化、アウト・ソーシング化されていく。スーパーのレジも客が自分で商品をスキャンして自動支払い。万引き防止はどうやっているのだろう? 空港のチェック・インのセルフ・サービスも本当にセルフ・サービスで、日本のように係員がつきっきりで手続きを代行してくれる(これ、自動化の意味がないと思うのだが)ことはない。
企業や団体への電話は日本よりはるかに自動化されているから、「何番を押してください」というアナウンスに従ってあちらで待たされ、こちらで待たされ、結局20分もキーを押し続けたあげく、「今日はご利用ありがとうございました。またのおいでをお待ちしています。さようなら。(楽しげな音楽)」で放り出されてしまったり、運よく生身のオペレーターに当たっても、それがはるか彼方はインドやオーストラリアのどこそこにいるアウトソーシーで、何を言っても早口のインド風英語でまくしたてられ、「もういいよ、がちゃん」ということになるのだ。
アメリカ人は、自動化で生産性が上がったと威張っているが、それは顧客の犠牲の上に成り立つもの。A社が利益を上げているかげで、米経済全体は多くの付加価値を失っているのだ。

空港から乗ったタクシーの運転手は、ガソリン以外にはインフレはあまり感じないと言っていたが、僕の泊った中級ホテルは朝食が17ドル。それに何なのかわからない「サービス・チャージ」というのが3ドル上乗せされ、さらにチップを置いておかないといけないようなので実に計24ドルにもなってしまった。30年前だったら(古くてすみません)8ドルくらいだったのに。

全米最古、ボストンの地下鉄。まるで世界最古に見える、「地下路面電車」。そのがさつな車内は中国人の女の子たちの声高な中国語がわんわん響き、まるで中国に来たかのよう。もうちょっと控え目にしないと、世界中から反感を食うぞ。この地下鉄はアメリカじゃなく、世界なのだから。ほら、隅ではロシア人の老夫婦がひっそりと身を寄せ合って、ロシア語で何やら買い物の相談をしている。もちろん英語での会話も聞こえるのだが、抑えた声で話し合っている。アメリカは変わっていく。それも急速に。ひとつのところに止まってやしない。

帰りのボストン、ローガン空港で朝の7時。地元のスナック・チェーン、Au bon painで朝食をとる。店員の一人は黒人女性、もう一人は一見ヒスパニック。野球帽の下に黒いイスラム風のネッカチーフをかぶった女性。中南米出身のイスラム? そんな人がいるのか? でもこの頃のアメリカではイスラムが伸びているそうだから(モスク建設をめぐって地元住民と紛争が生じているところもあるが、もう普通の宗教になりつつある。ローマ帝国でキリスト教が広まった時に似ているのでないか?)、あり得ないことじゃない。でもこの黒人もヒスパニック系の女性も、言動はまったく「アメリカ的」なのだ。信頼関係とオープンさを前提として動いている。気持ちがいい。

話は違うが、ボストンでは土曜日も銀行がやっていて助かった(平日はだいたい17時くらいまで窓口が開いている。これもいい)。それも銀行によって13時とか15時とか閉店時間がまちまちなのも、いい。

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