Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2012年1月21日

中国人の精神風景

2011年11月の中国東北地方旅行の際、地元の中国人と話して得た印象、あるいは中国人の発言そのものをいくつか書いておく。人数も限られているし、相手が本音を言ったのでない場合もあると思うので、まったくの断片だが。

米国に似てオープン? ――現在の生活への自信

滞日経験もある、ある若い中国人が言った。「中国人はオープンなのです。米国に似て、開放的なのです」 これは僕の意表をつく言葉だった。中国は民主主義でない、権威主義的な社会だ、という理解が頭にしみついているので。だが言われてみると、中国は米国に似ている面もある。その最大のものは、双方とも多民族国家だということだ。そして双方とも「アメリカ人」、「中国人」という人種はいない。アメリカでは、その土地に長く住み、英語を話し、アメリカの法律を守ればアメリカ人と見做され、中国ではこの土地に長く住み、漢字を読み書きすることができ、悪いことをしなければ中国人と見做される。
そしてこの言葉は、中国での生活水準に対するかなりの自信に裏付けられてもいるようだ。中産階級の者は、今では米国より良い暮らしをしているとさえ思っている。アメリカのLower Middleの生活(彼らの行くスーパー、彼らの買う商品、商店でのサービス水準など)を思うと、それはあながち嘘ではない。

中国人の世界観

だが中国は多民族国家なのだなどと中国人に言ってみても、ぽかんとされるだけだ。彼らは、中国は漢民族が圧倒的に多い地域に作られた、ヨーロッパの国民国家のようなものだと教わっているからだ。例えば学生たちは、唐時代の安禄山を漢民族だと思っている(実際はウィグル人とソグド人の混血)。唐時代など、今のウズベキスタンのあたりからソグド人の商人が多数、長安に定住しており、皇帝の宮廷にも出入りしていたことなども知らない。

学生たちには、「中国は世界の中心だ」という意識があるので、「ソグド人やペルシャ人が乗り込んできて経済行政、通商に深くかかわっていた」などと僕が言うと、驚きを見せるのだ。そして彼らは「中国はアジアの国である」と思っているのだが、それは「アジアとは中国のことである」とほとんど同義でもある感がある。だからと言って、彼らが別に拡張主義的だと言っているのではなく、ただ漠然とそう思い込んでいるというだけのことなのだが。

中国社会―-付き合いの原理

日本社会では「農村共同体」のモラル(礼儀、コンセンサスの原則、皆一緒という意識等)が社会全体に――国全体が一つの共同体であるかのように――浸透した感じがあるのに対して、中国社会での人間関係のモラル(仁義、信用)はまだ親族、友人の間にしか及んでいない。他人に対しては何でもありなのだ。

 親族、友人の間の信頼関係でさえ、文化大革命のときの年長者への批判や相互密告によって失われたという中国人がいる。だが東北地方では、そういう見方に賛成する者はいなかったし、それはあながち嘘を言っているようにも感じられなかった。
急速な経済発展と都市化で、中国でも隣近所が誰だかわからなくなる現象が生じている。中国人はなかなか故郷を離れない人たちなのだが、この頃は遠くの町の大学に進学すると、そのまま帰って来ない例が増えている。小さな共同体が壊れ、人間が極度に自立と言うか孤立してきているわけだが、そうなると面白いもので、今度は国全体が一つの共同体(市民社会)になったかのような現象が生じてくる。それは例えば、数年前の乳児用ミルク中毒事件のあとの中国人の反応、環境問題・衛生問題への意識等々である。今回聞いたのは、1昨年の四川大地震のあとが観光地化し地震グッズも売っていることがテレビで放映され、批判の声が上がったということだ。そして社会全体にモラルが行きわたっている例として、日本がモデルとなりつつもある。

 とは言え、中国の現状はまだ市民社会には遠いものがある。ひとつは運転マナーだ。日本では歩行者優先だが、中国では車(歩行者より金持ち)が絶対で、それは特に曲がり角でわかる。車が曲がってきたら、いくら横断歩道があっても歩行者は止まらないと危ない。そして車はどの方向からやってくるかわからない。歩道を歩いていても、あり得ない方角からあり得ないものがやってくる。歩道に乗り上げて侵入してくる車、歩道の脇をいきなり逆行してくる車、歩道を逆行してくるオートバイ等々。

警句にして言うと、日本人というのは自分に危険が迫っても、気づかずに進んでいくが、中国のドライバーというのは他人が危険になっても気がつかずに進んでいくのである
話は飛ぶが、中国人は唾は吐くが、不思議に咳をしない。近年の日本人がやたら街頭や車中で咳をするのと比べると、奇異なほどだ。エアコン普及度の違いだろうか(つまりエアコンが日本人の粘膜を刺激して、鼻水や咳を起こしているのだと思う)。

コネ社会は不公平ではない、大変な競争社会

「中国社会はコネで動く、だから競争が成り立たず不公平だ」とわれわれは思いがちだが、そのコネをつけ、コネを維持することがすさまじい競争を伴っていることを無視している。コネ維持のために中国人が払っている努力と来たら、涙ぐましいものがある。医者にも「紅包」と呼ばれる付け届けをしておこないと、扱いが悪くなる。日本でも同じだろうが、モノを売ろうと思ったら、製品の質でだけではなく、売りつける相手をどうやって確保するかですさまじい競争が行われるのだ。これも一種の市場原則で動く社会なのだろう。
その競争は、①じわじわと拡張、②早い者勝ち、③とにかく手をつっこんでおく、などのやり方で行われるようだ。ある国際シンポジウムでは、隣に座った中国代表団の席が休み時間でこちらが席をあけるたびに拡張してきたし、飛行機や列車では肘掛けをごく自然に独占してくる、ホテルのビュフェではこちらが匙を入れているボールに横から匙を入れてくる(日本ではふつう、しませんよね)等々。まあ言ってみれば、他人との距離感が短い、或いは他人にも権利があるとは思わない、ということで、そこは中央アジアの一部の国とよく似ている。または、意図的な拡張欲というより、自然な生存欲の命ずるままに、悪意もなく動いているだけなのかもしれない。

民主主義?

中国にGDPで抜かれた日本人にとって、今やお国自慢できるのは「民主主義」だけになってしまった感がある。だが、民主主義とか自由というのは相対的な問題だ。中国では自由がないとよく言われるし、日本にいる中国人が異口同音に日本の良い点として「自由だ」と言うのも事実だが、毎日を生きている普通の中国人にとっては社会主義か資本主義か、民主主義か統制かなど、どちらでもいいこと。上がどうであろうと、自分たちは勝手なことをしゃべっている。主義よりも、暮らしがどうなるかが問題なのだ。
「党、国家、政府が同じという(中国の体制)は間違いです」と言う中国人もいたし、「共産党は怖い」と言って見せる中国人もいる。大連で共産党本部の建物はどこにあるのかと聞いたら、「そんなもの聞いたことありません。市役所にあるのでは?」という答えが返ってきて唖然とした(共産党市委員会と言わなければならなかったのだろうが、ふつう「本部」と言えばわかるだろうに)。地方都市の人間の大海の中にいると、人間の波に押しつぶされてしまい、北京で行われていることは無関係に見えてくる。
そして1960年代の日本では、学生運動が盛んで、学生の多くはマルクス主義の洗礼を受け、就職すると直ちに忘れたものだが、中国の民主化運動もこれに似ている。「私の両親は天安門事件のころ学生でしたけれども、『社会に入ったら、民主化とか何とか全部忘れた』と言って笑っていました」と言った中国人がいる。

当世大学事情

断片的な情報だが、大学ではこんな感じらしい。
「今、大学で学んでいるのは1990年以降に生まれた世代で、これを『90后世代』と言う。彼らは文革世代の子供たちで、そのためか慎重、受動的で折れやすい。少し叱られると自殺したりする。草食的なところがある。これに比べてひとつ前の『80后世代』は自由に思ったことを口にした。
 他方、学生による授業・講師への評価は毎月ある。学生は、彼らの払う月謝から教師の給料が出ているのを知っているので、この頃は顧客気取りで、教師に「何々をどのように教えろ」などと言ってくる。

コメント

投稿者: 小川郷太郎 | 2012年1月30日 09:34

最近の中国のことはよくわかりませんが、なるほどそんな風なのだろうな、ということがよく感じられました。多謝。

投稿者: 舩田 一惠 | 2012年1月30日 17:40

2011年9月に北京・承徳に行って来ましたが、北京五輪ですっかり変わった街を見てきました。大通りから屋台が見えなくなり、公園に公衆便所が多数できていました。この国はその気になれば、何でも作れると思いますが、人々の心まではそう簡単に変化できないように感じました。このレポートは河東さんの独断と偏見もあるかも知れませんが、分かりやすい解釈だと思いました。中国人と日本人は多様と単純に分けられると思います。以前、日本人は単純だから・・・と商談の時に言われたことがあり、どこか馬鹿にされた印象を受けました。しかし、商談ではっきり言うべきことが言えるのは中国の良いところだと思えました。袖の下など水面下のことは分かりませんが、ビジネスの話は分かりやすい面も多々ありました。

投稿者: 舩田 一惠 | 2012年1月30日 17:42

北京の街は五輪ですっかり変わり、大通りから屋台が見えなくなり、公園に公衆便所が多数できていました。この国はその気になれば、何でも作れる国だと思えますが、人々の心まではそう簡単に変化できないと感じました。このレポートは分かりやすい解釈だと思いました。中国人と日本人は多様と単純に分けられると思います。以前、日本人は単純だから・・・と商談の時に言われたことがあり、どこか馬鹿にされた印象を受けました。しかし、商談ではっきり言うべきことが言えるのは中国の良いところだと思えました。袖の下など水面下のことは分かりませんが、ビジネスの話は分かりやすい面も多々ありました。

投稿者: 水野高信 | 2012年1月30日 21:21

中国は漢民族が圧倒的なのか、多民族国家なのか、この疑問は若いころからもっていたのですが、本稿を読んでその疑問がよみがえりました。 近代史に出てきた清族、満族や、はるかそれ以前の明や宋など教科書にも出てきた民族は、現代になって共産党政権による民族浄化で、漢民族が圧倒的になってしまったのでしょうか。
北と南ではコトバも通じないという話はよく聞くし、権力を握る漢民族によってフタをされているだけで、心理的には民族の違いが残っている他民族国家なのだろうか。
わかりやすい説明があれば読みたいものです。

投稿者: 水野高信 | 2012年1月30日 21:27

送ったと思いましたら、戻れとありましたので、同じものを何度もお送りして、誠に失礼いたしました。

投稿者: 福渡直躬 | 2012年1月31日 18:39

大分昔の話になりますが1979年開放政策に転換した中国にはじめて出張して以来90年代までよく仕事に出かけておりました。
このころ北京は未だ自転車天国で車はクラクションを鳴らしながら自転車の渦の中を突っ走る状況でしたが、何時もお互い最後の間一髪でどちらかが譲り事故が起きないことにいつも感心しておりました。
又自転車や徒歩の人たちが決して警官の指示に従わないことに独裁政権のもとで口もきけず虐げられている国民を想像していた私には新鮮な驚きでした。
中国は開放的だといった話がありましたが、要は中国の人の多くは最後の最後まで強く自己を主張するのが体に染みついた習性があるのだと思います。強く主張しても最後の瞬間に譲るべきか,あるいはこのまま押し通すかの判断が自由にできる社会でもあるというのが多くの商談を経験したのちの私の感想です。

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