Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2011年11月27日

2011年旧満州の旅2 瀋陽

というわけで長春での集中講義が終わったその日、僕は東北師範大学日本研究所の皆さん(この研究所は満州国研究を充実させようとしている。長春には当時の資料もずいぶんあるらしく、長春で発行されていた日本語雑誌の収集など素晴らしい)に送られて、高速鉄道の乗客となる。

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ざらざらに荒れたコンクリート打ち放しのプラットホーム(ところどころスーツケースの車輪のネジともおぼしきものが転がっている)に滑り込んでくる、超モダンな新幹線。在来線のレールを150キロほどで突っ走る。南方で追突事故が起きて以来、スピードを50キロ落としているのだそうで、ヨカッタ。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 071.jpg(満州平原の夕日)

大阪なみの威容・瀋陽

この鉄道旅のことはまたあとで書くとして、列車はもう暗くなった瀋陽に着く。出迎えはないので、重いスーツケースを引いてタクシー乗り場に行くと長蛇の行列。多分客引きが寄ってくるだろうと思って脇に立っていると、案の定寄ってきて相場の6倍くらい(後でわかったのだが)、100元をふっかけてくる。僕は日本の相場で考えて100元なら安いと思い、OKというと男は重いスーツケースを引っ張る僕を従え、街の方へすたすたと歩き出す。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 074.jpg(瀋陽北駅前)

瀋陽駅前は名古屋なみ、いや500万都市だから大阪なみか。15年前来たことがあるが、当時の鄙びた情景からは一変していて、高層ビルの立ち並ぶ都心はかなり大きい。光の渦に圧倒される。客引きの若い男はビルの麓でどこかに消えると、相乗りのタクシーをつれてくる。停車禁止の道端にタクシーを止め、あわただしく荷物を積むとゴー。客引きの男はタクシー運転手と手数料が少ないと言って言い争うと、紙幣一枚を窓越しにせしめて忙しげに消える。この間、駅前でタクシーを待つ行列はぜんぜん動いていないことだろう。こうやって、脇でどんどん乗っていってしまうから。

夜。けばけばしいライト、ネオン、渋滞、警笛、ほこり、建築現場の塀とクレーンの中をタクシーは走っていく。前から乗っている男の乗客と運転手は大声で話を続け、ふと黙りこむと、僕はいったい何者なのかと確かめたがる。この猥雑さと喧騒、モスクワを思い出す。暮れなずむ高速道路のガードの下では、アルト・サックスを練習する中年男がいる。耳をこらせば、迫ってくるように切ない日本の演歌のメロディーではないか。2011年、瀋陽のガード下で聴く、「長崎は今日も雨だった」。

瀋陽のホテル

集中講義で稼いだ金で、★がいくつかついたホテルに泊る。と言っても、一泊1万円もしない。名前はもう覚えていない。ホテルの部屋の窓からは、向こうの建物の屋上にHotel toyoko-inns.comのネオンが見え(後で考えたら、豊子ではなくて東横インのことだった)、その灰色の建物の上に満月がかかる。写真をとろうと思ったが、窓は開かず、窓ガラスがほこりで汚れたままなので写真はとれずじまい。中国では、あまり窓ガラスを拭かない。まっさらな高層ビルもすぐ古ぼける。

このホテルは瀋陽旧駅の近くで、夜になると汽笛がしょっちゅう鳴り響く。貨物車の入れ替えなのだろう。満州の広野の地平にまで広がっていくような野太な汽笛。まるで港だ。ここは陸の港。ハルビン、シベリアの方へ行く鉄道、北京行き、大連行き、炭田の撫順や北朝鮮に近い丹東行きなど五つの幹線の分岐点だそうで。

このホテル、外見はいいのだが、カーペットにはシミがあり、木の床には一カ所べたつくところがある。カネを払っているので、こういうのは気になる。そして瀋陽も大連も、ホテルの部屋が暑すぎた。エアコンで調節しようにもうまくいかず、人を呼んで直してもらうとますます暑くなるし、窓を開けようと思っても高層だからしっかり封印されている。

このホテルはまだ真新しく、「日本式のエステサロン」とかがある。部屋のテレビにはCNNは入らないが、NHKが第2チャンネルを割り当てられている。娯楽チャンネルでは、日本でのコスプレ大会まで放映していた。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 080.jpg(中国のテレビ・ドラマ。若者たちの様子はここでは日本と変わらない)

だがホテルの従業員とくると、日本語はおろか、英語の水準も中央アジアのホテル並み。つまりほとんどできない。サービスのやり方もまだもの慣れない。英語で何かを聞くと誤解の環が果てしなく広がって、一人、二人と従業員が寄って来ては、その誤解を無限に広げる。30年前の日本もそうだった。ここでは、へたに話しかけないのがコツだ。

瀋陽では英語の観光ツアーぐらいあるだろうと、高をくくってやってきたのだが、そういうものはない。その代わり、一日400元(5000円ほど)で個人ガイドを紹介してくれた。性格は良かったが、まだ大学3年だとかで、日本の大学生なみの英語力なのだ。つまり、観光案内くらいなら何とかなるが、一般コースを外れたところに行こうとすると、もう駄目だ。それに、あまり話し相手にならない。

街の情景

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 076.jpg(昼の瀋陽)

次の日、そのガイドとタクシーで市内見物に出る。都心はほとんど再開発され、高層ビル群がそびえたっているが、少しはずれたところには北京の胡同のような古い路地も残っている。そして長春もそうだったが、瀋陽でも高層ビルの谷間、あふれる車の間を縫って荷馬車がときどきパカパカと足取りも軽く駆け抜けていく。不思議に違和感がない。中国には5000年の歴史(6000年だったか?)が同居しているのだから。
自転車で荷車を曳くリヤカーや、自転車で荷車を押していくフロントカーとでも言うべき乗り物もまた多い。運転手は、小さな鍋や金属製灰皿をハンドルにたたきつけては、警笛代わりにしている。もちろん、その横をベンツやBMWの高級車やVWのタクシーの群れが通り過ぎていくのだが。

15年前僕が瀋陽に来たころは、国営重工業を中心とするこの街は、当時の中国をおおっていた改革開放の波から後れて沈滞していたものだ。それが、今では活力にあふれている。李克強副総理がこの地方の共産党トップを務めていた2004年からの僅か3年間で、現在の種を播いたのだろうか? 

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 109.jpg(見たこともないほど大きなショッピング・センターの、これまた超巨大な吹き抜けで、超モダンなファッション・ショー。土曜日だ。オルフの「カルミナ・ブラーナ」のクライマックスが大音響で流されて、購買意欲が迸る)

だが満州国時代前後から軍需工場をかかえるためか、この瀋陽はどこか気の荒い風を漂わせる。街頭で大声を張り上げる男たち、成金めあての美しい、しかしカドの立った女たち、歩行者など目にもくれない外車の運転者、多くのことがマッチョのロシアを思わせる。ちょっとした建物の前には、翼のついたライオンの像がペアで置いてある。翼のついたライオンはメソポタミヤあたりが起源らしいが、すぐ思い出すのはヴェニスの象徴としてのライオンで、わりと帝国主義的な支配欲の象徴だ。こういうのが街に多いから、わりと疲れるので、だから開放的な港町の大連に着いたときにはほっとした。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 111.jpg(普通の街角)

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 101.jpg(昔ながらの物売り。中央アジアなどとそっくりだ)

瀋陽の故宮で

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瀋陽は清王朝を建てた女真族の根拠地で、その皇帝の拠所が故宮である。北京の故宮よりははるかに小ぶりなのだが(皇帝には50人の妻がいたが、個室を与えられていたのは5人だけだそうで)、彼らの文化収集品には素晴らしいものもある。

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2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 095.jpg(現代の中国人はスティーブ・ジョブズの方が好き? 博物館売店で)

その博物館で、中国人の閲覧者が写真をとっていいかどうか、部屋の隅の係員をちらりと見やる。係の女性は、アルバイトの学生風。椅子の背にそっくり返り、I-Phoneらしきものを空に掲げて見入るばかり。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 072.jpg(瀋陽故宮前で売られる、ロシアのマトリョーシカ人形)

故宮を出るとその門前には、なぜか「ロシア産品」の店がならぶ。マトリョーシカとか車の金属製模型とか、モスクワのイズマイロヴォ市場で売っているような土産物は要するに中国製だったのだ。因みにマトリョーシカは39元で、モスクワでの売値の10分の1程度。ロシアの土産を買うなら中国へ行け、ということだ。

満州事変発端の柳条溝事件――「9.18 歴史記念館」

瀋陽北郊、大学キャンパスの隣に、「9.18 歴史記念館」がある。これは1931年9月18日南満州鉄道の路床が爆破され、満州事変の発端となった、まさにその柳条湖(溝)に建てられている。入り口には首とか女性の足とかがコラージュされているブロンズの彫刻があるが、子供が無邪気にのぼって両親が写真に収めている。

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館内には、日本軍が中国人をさらし首にしているという写真もあって、自分は罪人の末裔なのだという気にどうしてもさせられる。ドイツ人は、ロシアでこういう気を味わわされているのだろうか? だが満州族だという、僕のガイドは言った。「日本人は今は違うし、日本人の多くは平和を望んでいること知っています」

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 087.jpg(展示の最後で、満州事変を起こした日本側関係者が揃って頭を垂れてわびている。暗いから本物に見える)

満州陥落の時の手記を昔、沢山読んだ。戦局が不利で、ソ連軍が攻めてくる可能性があることを漠然とは感じながらも、多くの日本人はそれだけで仕事を捨て、本国に帰るわけにもいかず、生活を続けていたのだろう。ソ連軍が本当に来るとは、とても想像できなかった。

それは多分、福島原発と同じ構図だ。いざソ連軍が攻め込んで来た時までには、関東軍の多くは「兵力を温存するために」、あるいは本土を守るために密かに脱出してしまっていたらしい。当時、大変な思いで本土に脱出した人たちは、軍への恨みを書きつけている。軍にしてみれば、自分たちは「日本国家」を守るために働いているので、地元の邦人を守るのは満州国軍、または警察の役目だと思っていたかどうか。

旧「満州鉄道」

大連に行く時は一人で汽車に乗らねばならないので、前の日にガイドを連れて事前偵察に行く。ここは巨大な駅ビルのほんの片隅にしか入口がないし、その入り口も切符がないと入れてくれない、さらに出発15分くらい前にならないと改札口を通れないなど、いろいろ発見があった。当日、重い荷物を持ってやってきたら、面くらうところだった。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 089.jpg(待合室)

一度見ておけば、大したことはない。駅の公衆トイレに行ってみる。昔の中国の公衆便所はひどかった。ここ瀋陽駅のトイレは、もうかなりきれいになっている。大きな用を足す者のためには、個室があって扉もついている。つい数年前は北京でも、扉もないところで止まり木のような長いベンチに大勢腰かけ、用を足していたのとは様変わり。小用のためには長いブリキの箱があって、水がいつも流れている。ことさら大きく湿った放屁の音。

僕は長春を出たらハルビンに行き、街を1時間くらい見たら新幹線(既存のレールを使う高速列車は「D列車」と呼ばれている)で瀋陽へ行く、というスケジュールを考えていたのだが、それは無理だと言われた。なぜなら、ハルビンからの切符はハルビンでしか買えず、しかもD列車の切符購入には身分証明書の提示が必要だから、ハルビンの知人にあらかじめ買っておいてもらうこともできない。そしてD列車は本数が少なく、切符はいつも数日前には売り切れてしまうし、切符を買う行列もすごいから、ハルビンとんぼ返りは無理なのです、ということだった。

残念、ハルビンは瀋陽以上の発展ぶりだと言うではないか。そしてハルビンの氷祭りhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E6%B0%B7%E7%A5%AD%E3%82%8Aは、札幌の雪祭りをしのぐ規模と評判を持っている。マイナス20度の凍りつく大気の中で、冷たい氷が中からLEDで照明されているのだそうだ。

ここらあたりの主要都市の間の距離は相当離れていて、新幹線で3時間ほどかかる長春―瀋陽と瀋陽―ハルビンはほぼ等距離である。そしてハルビンから北上してアムール川のほとりの黒河まではハルビン瀋陽間とほぼ等距離で、列車では10時間もかかる。
中国の東北地方は、日本列島がタラの子だとすると、それが三本縦にならんだ大きさを持っている。そして昔の南満州鉄道沿線にはハルビン270万、長春360万、吉林125万、瀋陽510万、鞍山340万、大連210万と大都市が並んでいて、人口は合計1億3千万人にもなる。アムール川対岸のロシア極東部は人口600万人程度だから、両者の力はもう比べ物にならない。

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