Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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2011年11月25日

2011年旧満州の旅 その1 長春

2011年11月7日から11日まで、長春の東北師範大学日本研究所で合計15時間の集中講義をする機会があった(国際交流基金助成)。日本の歴史、政治、経済、社会等について日本語で講義をするのである。日本専攻でない教師、学生も聴講していたので日中の通訳つき。僕は授業や講演の原稿は作らない主義だから、毎日この通訳に次の日の講義内容を説明して同人の理解を徹底していたので、合計30時間の仕事となった。

長春(満州国時代の首都、新京。今では成田から中国南方航空の直行便がある)では街も見物したし、ここの第一汽車会社(国営)と合弁でエンジンを作っているトヨタの工場も見せてもらった。ここでの仕事を終えたら北朝鮮との国境に近い延辺朝鮮族自治州の首都延吉を見にいくつもりだった。だが長春で聞いたところでは、延吉には片道7時間もかかるそうなので気を変えて、瀋陽と大連、そして旅順を見物することにした。もともと大連から帰国する予定だったし、昔の「満州鉄道」で「満州の広野」を旅するのが夢だったし、瀋陽を見たのはもう15年も前のことなので(瀋陽は人口700万で、その変容ぶりたるやすさまじかった)、これで良かったと思っている。

今回の中国滞在は10日間と長く、5日間は学生食堂で食事をしたし、瀋陽や大連は一人またはガイドを雇っての街歩きを随分したので、中国の社会にかなり接近できた旅となった。観察したこと、得た印象は数多い。書き出してみると、1万3千字にもなった。これを、いくつかの項目に分類して残しておくことにする(分類したことで躍動感は失われるが)。2011年11月中国の東北地方の一寸景ではあるが、中国全体について、そして日本の外交全体についても感ずるところがあったので、それも書き留めておくこととする。

第1回は長春の情景である。

東北師範大学

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 005.jpg(東北師範大学キャンパス)

ここはもともと女子学生が多い所で、彼女たちのなかには隣接の体育大学の逞しい男子学生に思いを寄せる者も多いらしい。大学の設備とか清潔さは日本の大学の70年代と現代を混ぜたような感じで、教師用の寮ではかすかに、しかしかなりきつくトイレの臭いが漂う。だが、学生の服装や顔つきは日本の大学生と区別はつかない。但し長春では茶髪はほぼいない(大連では見かけた)。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 007.jpg(学生食堂)

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 019.jpg(学生寮)

全寮制だとかで、学生食堂は朝から壮観である。体育館のように広い食堂がほぼ満員となる(一斉に揃って食事を始めるわけではない。三々五々と、と言うか、柳の並木に霧が立ち込め、そのなかに薄日が差し込むキャンパスをひっきりなしにやってくる)。食堂は話し声と食器のふれる音で満ちる。その発するエネルギーたるやすさまじい。僕が食べる目の前では、通訳を務めてくれている学者が、瀋陽の知人と電話で僕の列車の切符を買う話しをし、その隣のテーブルでは女学生が脇目もふらずに英語の音読をしている。何度も発音を繰り返す。朝の1時間目にテストでもあるのだろう。中国語にはrの音があって、発音はいいのに。
この学生食堂は朝一食10元、つまり100円ちょっとくらい。我々の実感で言えば千円くらいに相当するので割高だが、多分奨学金でカバーされているのだろう。何種類もの料理があって、それぞれの窓口に分かれており、しかもカードで支払うやり方なので、渋滞は起こらない。ここらへんは大したものである。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 048.jpg(学生への「宅急便」が届いた風景。荷物が届いていることは学生に携帯メールで知らされて、ここでピックアップする)

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 017.jpg(学生用掲示板。家庭教師の広告が多い)

集中講義

講義のやり方は、日本と変わらない。パワーポイントを使ってやった。日本の歴史、内政、外交、経済、社会の特徴を、中国人が持っているだろうステレオタイプな見方を自然に打破するよう、心がけた。
相手を頭から批判したり、民主主義や市場経済の有用さについて説教したりするやり方は逆効果である。日本が抱える問題点も率直に説明し、学生が自分で考えるように仕向けるのが良いのだ。日本に行ったことのない学生が大部分であることも考慮して、ふだん撮りためた日本の生活情景のスライドを沢山見せた。都心の整然たる風景と、筆者地元のひばりヶ丘駅北口の雑然たる「アジア的」風景を対比させると、中国人学生は驚きの声を発したものである。
もう一つ、野田総理、小泉進次郎、丸山珠代の写真を並べて見せたが、男子学生は皆丸山珠代、女子学生は皆小泉進次郎に手を上げ、野田総理を支持した者は一人もいなかったのは可笑しかった。「なんだ。君たちもポピュリズムではないか」と言って皆で笑った次第。

最後の時間の多くは質問に答えることで過ごしたが、事前に質問をメモで出してもらった。匿名の方が質問を出しやすいだろうと思ったからだ。その質問はあとで紹介するが、いずれも水準の高い真面目なものだった。こちらも反日とか嫌中とかの範疇からは離れて、アジアの仲間として日本での「事実はこうだ。ここはこうなっていて、こういう問題点がある」というアプローチで講義をしていたので、質問もすべて非常に冷静で着実なものだった。

長春というのは満州国の首都だったこともあり、日本に対する雰囲気には硬いものがあると言われているのではあるが、1年ほど前、昨今の「日本の顔」として中国青年の間で人気の高い加藤嘉一http://katoyoshikazu.com/ (北京大学に留学して中国に住み、中国語で発信している青年)が吉林大学に講演に来た時には、会場が満員となって立ち見が出るほどだったという。硬いとは言え、日本に対して特定の感情を持っているということは、それだけ日本に対して強い関心を持っているということでもある。

学生の質問でも、「先生は加藤さんをどう評価しますか?」というのがあった。こちらは、「外国というのは抽象的にではなく、自分の知っている人物に即して評価されるので、加藤さんのような日本の顔になれる人物が中国にいるのは良いことだと思っている。ところで皆さんは蒼井そらさんは好きですか?」と答えた。
この蒼井そらというAV女優は、中国の学生がよく見ているうえに、中国語のツウィッターで答えてくれるというので中国で大人気、日本のマンガの女主人公とともに最近流行った卒業ソングの題名ともなっている。蒼井そらのAVビデオを見て過ごした僕らの青春、というわけだhttp://blog.livedoor.jp/chinaexplosion/tag/AV%E5%A5%B3%E5%84%AA。だから長春の学生も蒼井そらを知っているかと思って聞いてみたのだが、全員すぐ笑い出した。男子学生は善意ある笑い、女子学生はそうした男子学生に対する嘲笑ぎみの笑いというわけだ。みんな、加藤嘉一と蒼井そらを知っている。ITは偉大だ。

日本の顔と言えば、若手の外交官が長春でたった一人、留学している。日本にいては外国語がものにならないので、若手の外交官は全員、外国の大学に送られる。外交官というと、レセプションに出ることだけが仕事のひ弱な人種のように思われているが、若い頃には外国でただ一人、自分の才覚だけで生きている時代もある。見ていて本当に頼もしく、嬉しかった。

街の風景

今回見た中国の青年の生態などについてはあとでまとめて書くことにして、ここではいくつか長春で気がついたことを書いておく。

典型的な風景は、くすんだ色のアパートが並び、ほこりだらけで排気ガスの臭うだだっ広い歩道には中級の外車が乗り上げて駐車している。アパートの1階はほぼ軒並み、雑多な塗装の商店で占められている。これは社会主義でろくに商店用の建物もなかったのが、急に民営化が進んだあとである。

そのような歩道を歩いて、この頃流行っているというレストランに行った。文化大革命の頃を思い出させるインテリア、ウェイター、ウェイトレスは紅衛兵のなりをしている。入ると、その一人が大声でよばわる。「お客さま2名のおなりー」。
そしてメニューが面白い。料理の名前は、文化大革命、階級闘争、社会主義好。ここまで自分たちの歴史を大事にしているのだから偉い。レストランの角には電信柱を復元したものがあって、それには裸電球がつき、粗末なラウド・スピーカーが結びつけてある。当時の宣伝道具だったのだろう。柱の真ん中には、なぜかオームがとまっていた。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 059.jpg(長春のマクドナルド。文化革命のレストランは、撮影を禁じられた)

長春ではタクシーがつかまりにくいのだそうだが、今回は運が良くてすぐ見つかった。だが運転席の窓を開けていることが多いし、客が乗ってもラジオをうるさくつけたままの者が多い。そして長春にはコンビニの類が見当たらず、単四の電池を求めて、ずいぶん方々回ることになった。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 028.jpg(満州国時代の役所)

満州国時代の建物は市内に多数残る。昔帝国だった国の首都には、ばかでかく威圧的な建物が多いものだが(モスクワとかマドリッドとか)、長春も例外ではない。当時の建物は肩をいからせ、実際より高いように見せている。極めつけは、関東軍の本部が今では中国共産党の長春市委員会のオフィスになっていることなのだが、これが江戸時代の城を模してあるのだ。例えば、富山城にそっくりなのである。
2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 043.jpg(元関東軍本部)
RIMG0097.JPG(こちらは富山城)
富山城も天守閣は本来なかったのを想像で作り付けたので、この「長春城」も同じようなものだ。「地球の歩き方」によれば、満州国時代の外務省は今ではレストランになっているということで、是非見てみたいと思っていたが、今回はかなわなかった。

2011 11 長春、瀋陽、大連、旅順 015.jpg(東北師範大学付属幼稚園。名門の幼稚園)

幼稚園はもちろん、小学生でも両親が送り迎えをしている。車で送り迎えをする両親も多い。過保護ではないかと思うのだが、中国では車の運転が荒いので、小学生だけの登下校はたしかに危ない。それに子供をねらった犯罪もあるらしい。

長春、瀋陽で可笑しかったのは、ミネラル・ウォーターやコカ・コーラなどのペットボトルがいやにあけにくかったことだ。まるで蓋と本体に切れ目が入っていないのではないかと思うほどで、無理にひねって手首の関節がおかしくなった。運搬中あかないようにわざときつくしてあるのだそうだが、大連のペットボトルは簡単に開く。やはり製造機械の問題だろう。因みにこのきついボトルを、中国の若い女性は赤子の首をひねるように、いとも簡単に開けて見せる。だから中国は周辺から警戒される。

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