Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2007年4月 8日

中国の庶民生活を覗いて

 3月の終わり、家内と共にJTBのツアー(と言っても空港送迎だけで、あとは完全自由。しめて1人7万円)で上海3日間の旅を楽しんできました。今回は大学とか研究所を訪問することなしに、街の奥の方まで足で入り込んでいきましたので、随分面白い旅でした。

 一番の感想は、日中関係はドイツとソ連の関係に似ていて、戦争の経緯にもかかわらず協力関係を築くことは可能である、という理性的なものが一つ。

 もう一つは、「日本は自由な民主主義国で中国はそうではないから、日本は自らを守る必要がある」という議論は、抽象的に過ぎるということ。中国人は自由とか民主主義とかいうことを考えずに、十分自由に振舞っているよ(日本よりよほど自己主張が強いものがあります。多民族社会だからでしょうか)、だとすれば日中の間は自由とか言う綺麗な理想をめぐるものではなくて、要するに圧倒的な人口力を誇る中国と日本の間の、生存権をめぐる争いが根本だ、ということではないの? ということです(成田空港に帰って入ったトイレで、中国人乗客が行列を平然と無視して前に出たようなこと)。
だからと言って、中国を敵視する政策を取るべきだとは思いません。現実を見据えた上で、共存する方策を探りたいと思うだけです。

 また、「上海は金ぴかの未来都市」というこれまで持っていたイメージが随分修正され、真新しい壮麗なインフラを使う「ソフト」の遅れが目に付きました。そして街は全体的に、モスクワの発展段階とよく似ています。一つの体制が壊れ、その中で人々が好き勝手に金儲けを始めている猥雑さ、文化的混乱が、派手な広告、趣味の悪い新建築などに表れているのです。

 中国は外国直接投資という、資本の原初蓄積期間を終え、できた資本を主に不動産に投資して急速に増やしているわけですが(これは、土地を国家がすべて所有している社会主義国家特有の発展形態で、ロシアは石油で貯めた資本をこれから不動産で転がしていく可能性があります)、青年達が早くそのインフラを効率よく利用できるようにならないと、高層ビルが並んでいるだけの国家になってしまいます。

 余談ですが、上海近辺は南宋の優れた文化が残っているところと思っていましたが、現在残る寺院、庭園の類は日本より大体新しく、日本文化の源流を探ることはできませんでした。庭園のスタイルは日本庭園によく似ていますが、豫園にあった庭園は注文主の個性、自己主張が前面に出すぎたもので、自然との合一を旨とした日本庭園とは異なるものがありました。とすると、日本文化はやはり世界に誇れる、かなり独自のものということになるでしょうか。
 
豫園
 上海は新しい人工的な街とばかり思っていましたが、今回「豫園」という古い地域に行って認識を180度変えました。北京ではもう殆んどなくなった胡同(狭い裏路地に粗末な住宅が続く地域)が、上海には随分残っています。その喧騒、豊かな消費生活は、中国の中世を歩いているような気分にさせます(もっとも、行き交う若者達はもうジーパン姿で、21世紀に生きています)。
 ザーサイの匂いの立ち込めた、先の見えないような曲がった路地に軒を連ねて住宅が並び、道にはそここに小卓が出ていて住民がいつの時間にも誰かが飯を食べている。そして共産主義時代の高層アパートの各部屋からは物干し棹が何本も縦に空中に突き出ていて、そこには主に黒、赤の色をした洗濯物が干してあります(下着は干さない)。

 その様は、ナポリを思わせます。他方、ここを歩いていますと、ブハラなど中央アジアの古い町(つまりイランに似ている)を歩いている感覚が戻ってきます。屋根は反り返ったりしていて中央アジアとは違うのですが、東京の昔の下町よりも中央アジアに似ている原因はおそらく、住宅が如何に粗末なものであっても、漆喰で固めた白いものが多いということにあるのでしょう。

 それに、中央アジアの文化的影響も多分あるのでしょう。最近では、中国は古来から中央アジア(ソグド)の文化的影響を受けてきたことを指摘することが、学問上の大きな流れになってきています。豫園でも金持ちの家に入ってみますと、中庭を中心とした作りは、ウズベキスタンの大きな民家とそっくりです。現代でも、多分新彊出身なのでしょうが、中央アジア的な顔をした若者達が、自転車の車台に大きな美麗なケーキを積んで、道端で売っています。

 上海でも自転車、リヤカーが驚くほど多く、これに音のしない電気モーター・バイクが加わっていました。普通のバイクもありますが、その数は東南アジア諸国の都市には大きく劣ります。理由はわかりません。いずれにしても、上海でさえ所得水準が低い人がまだ大部分の感じです。道を歩いていると、そこここで金をせびられます。大体、年長の人か障害者の人です。無視して歩いていたら、松葉杖をついた男が「日本人のけち!」と罵ったようでした。それでも、「小日本!」よりはましだと思った次第です。

 それでもこの豫園近辺、見て歩くだけで楽しい、タイムスリップしたようなところなのですが、当局が助成金を払って「保存」に努めているそうです。粗末な住宅にもエアコンの室外機がちらほら見えましたが、ここでの夏は耐え難いほど蒸し暑いそうで、住んでいるのは昔からの住民の老人が多くなっているそうです。タイムスリップと言えば、バンドから哺東へ黄哺江の底をくぐって歩行者を運ぶトンネルがあります。4人くらいが乗れるカートに乗っていくと、トンネルの向こうがさっと明るくなり、レーザー光線がいくつもさしてくるのです。他にも光が乱舞するところがあったり、いかにもタイムトンネルに入っていくようなところがあったりして、このトンネルはちょっとしたものでした。それに、あの東洋一のテレビ塔の1階は、上海の歴史を蝋人形やAVを使って、本当に工夫して面白く見せる博物館になっています。日本軍による上海爆撃が紹介されていないことに、気がつきました。

 街は喧騒、文化的混乱そのもので、店で売っているカバンにはミッキーマウスもドラえもんも、何でもござれ、ラジカセからはけたたましいロシア的なポップ(例のチャルメラ風の中国メロディーは跡形もありません)が街路に流れ出しているという有様。中国は、全てをのみこみ、全てを俗なものにしてしまう点で、アメリカに似ています。(日本もそうですが、スケールが違います)

 ハエもいます。それも大きいのが。しかしインドほど、どうしようもない数ではありません。公衆便所は、小生が初めて中国を見た30年前に比べれば随分綺麗になりましたが、「個室」には相変わらず扉がありません。長い水路にモノが転がっています。

 日本のマスコミは中国の中産階級上層部以上に焦点を当てすぎ、普通の中国人の生活ぶり、心情を伝えていない気味がありますから、自分で歩いてみないとどうしようもありません。
まあ、中国も豊かになると、こうした中世的混乱も綺麗に「保存」してしまうのでしょう。例えば、有名な南京西路は数年前の工事も終わり、綺麗な舗石が敷き詰められた歩行者天国になっています。ここの面白みはもうなくなりました。

 豫園の外れに、スターバックスの店があります。日本と同じくらいの値段でしたが、コップのサイズはアメリカなみでしたから、実質的には日本の半分の値段でしょう。それでも、よく訓練された学生風店員の挨拶は「ハロー、ニーハオ」で、やはり外人を狙った店でした。他方近くにあったマクドナルドの店員は訓練されておらず、そのサービスは社会主義的でありました。

「水郷」地帯

 上海の南西、車で1時間もかからないところには、大小のクリーク網のほとりにいくつもの古い町がへばりついています。日本のガイドブックではこれを「水郷」と称していて、今回はJTBのツアーにある「周家角」という町に行ってきました。蘇州に行こうと思っていたのですが、聞いてみると、現代的な街並みの中に名所がちょこちょこ散らばっているような感じだというので、こちらの水郷に行ったわけです。そういう決定を一日でできるほど、いろいろなツアーが揃っています。

 この周家角がまた、何とも言えない素晴らしいところで。ヴェニスと古い新潟と倉敷とバンコクを混ぜたような、と言うか。何枚も写真を撮ったのですが、カメラをなくしてしまい、お見せできないのが残念です。今でも、この世界にあのような場所が残っているのが、奇跡のように思われます。

 石で固めたクリークの岸には古い民家が軒を連ねて並びます。クリークの水はよどみ、茶色そのものですが、住民は今でもそこで洗濯をするだけでなく、朝になると主婦が何やら大きめの茶色の壷を抱えて出てきて、中身をクリークに空けてはブラシで壷の中をこすっています。一家の便器だそうで。何かの新聞小説で読んだことがありますが、昔何とか大納言という人がマニラに行って、この壷を気に入り、何十と二束三文で買い集めて、日本で芸術品として高い値段で売り払ったということです。結構、きれいな壷なのです。

 こういう光景を、和船の櫂と全く同じの形(日本にしかないと思っていました)、同じこぎ方の舟に乗って、ゆらゆらと見て歩くわけです。

中国の発展段階についての随想
 この10年、何度か中国に来ましたが、今回上海の日常生活も詳しく見て、中国の現在の発展は150年前の洋務運動、1910年代の工業化と同じく、政府主導なのだ(外資を除いて)ということを感じています。

 それに、多くの者は社会主義的メンタリティーを残しています。サービスの質も日本とは質的に異なり、乱暴なところが残っています(日本のサービスは如何にもマニュアル通りで、心が通っていない割には煩瑣で押し付けがましいものになっていますが。店のレジで、必ずレシートを両手で持って差し出すような)。企業に雇われた者は、韓国人のように「会社の利益=自分の利益」として突っ走ることをしないようです。ということは、中国企業の世界への進出意欲も、社長レベルに止まってしまう可能性があるということです。

 そして、街の構えは随分立派になりましたが、高層ビルとかその他のインフラを使いこなすためのメンタリティーとかやり方、一言で言えば「ソフト」は、まだ古い中国のまま、そしてそれにソ連的やり方がくっついたまま残っている、という感じがします。例えば、あのきんぴかの哺東空港ターミナルも、オフィスをのぞいて見ますと乱雑で汚くなっていました。社会主義的に、「自分のものでないもの、公共のものは大事にしない」メンタリティーがうかがえます。

 哺東のあの乱立する高層ビル地帯に行ってみても、丸の内のような黒目のスーツに身を固め革鞄を抱えたビジネスマン風がなぜかいない。警備員とエンジニア風の服を来た、中国語で言えば「工人」の類しか見えないのです。高層ビルが投機のために作られていることは知っていますが、それにしてもどうなっているのでしょうね。

 哺東の高層ビル街は、初めて見る者を圧倒します。しかし今回考えてみると、日本は汐留開発だけで哺東に劣らない資金を動かしたかもしれず、また建設の結果生んでいる付加価値は哺東よりも高いのかもしれない、日本の経済はやはり実体がある、という感じです。

青年達
 上海の青年はジーパン姿で茶髪も少し現れ、日本に似ています。朝、ホテルのエレベーターに乗ったら、中年の男が派手目の若い女と乗り込んできました。男は2階の食堂で降りましたが、女は1階まで降りて外へ行ってしまいましたから、多分・・・。女性は学生風でしたから、日本で言えば援助交際でもしていたのでしょう。

 上海の青年達は、就職難で鍛えられた日本の今の若者より甘やかされている感じがします。ちょうどバブル崩壊前、安心しきっていた頃の日本の若者を思わせます。

 他方、しっかり生活している青年もいます。空港送迎のガイドはハルピンからやってきて、エアコンなし、月1万円のアパートに住んでいるそうです。風呂はなく、共同便所だそうです。広西省からやってきたガイドもいました。桂林の専門学校で日本語を勉強したそうです。ベトナムに近い、昔で言えば少数民族居住区の町で育ったのですが、服装、考え方は完全に現代的でした。もう一人のガイドは敦煌出身ですが同じく桂林の専門学校で日本を勉強し、同じ学校出身の同僚5人でアパートを借りています。2人部屋2つと1人部屋1つのアパートで、新入りが1人部屋に入っているということでした。

 ガイドは軒並み、日本に行ったことがありません。週末忙しいから友達もできません。「上海語わからないから北京語で暮らしている。それでも、外国で暮らしているようだ。」と言っていました。日本への観光ビザは簡単に取れることになっていますが、実は約100万円の預金が口座にあることを証明する書類を提出しないと取れないのだそうです。もし日本から帰らないと、この預金は没収されてしまうし、旅行社が罰せられるのだそうです。なんだ、と思いましたが、「本当に自由になったら、皆日本に行ってしまう。」というガイド氏の意見の方が現実的なのでしょう。

 その他彼らの発言を収録しますと、「学校での日本についての教育は、歴史上の事実を淡々と教えるだけのものでした」、「幸福は自分の手でつかむもの」、「高校を出た人は殆んど大学に行きます」ということでした。

 一つ気がついたのですが、街を歩いていて生意気そうな青年が向こうから歩いてきても、向こうは小生を見ると肩が触れないように、さっと避けるのです。外国人と悶着を起こすと、罰則がきついのでしょう。話は違いますが、バンドを歩いていると、解放軍の若い将校の一団が歩いていました。軍学校の学生達でしょう。どこか、ぴしっとしていないという感じで、これは意味深でした。

その他随想
もう時間がないので、メモを並べます。
欧米諸国にとって中国は、植民地のように高い収益を可能とするところで、日本より全然いいのだろう。我々が、中国の資本主義は真正のものでないと言い立てても、どうしようもない。米国人もよくわかって、それでももうかるからやっている。その米国を日本に向かせるにはどうしたらいいかを考えるべきだ。

コメント

投稿者: 岩浅紀久 | 2007年4月 9日 03:26

小生も仕事で何度か上海には行っていますが、河東さんのご観察は、極めて的確だと感じました。
「豫園」付近は路地裏も含めて、随分うろつきましたが、正にお書きになっている通りです。
ただ、昔の英国や仏国の疎開地の建物を残している外白渡橋から中山東二路にかけて歩き、更にそこから直角に入った、南京東路地区にあるいくつもの商店街の夜の活気と数ある高級品店での富裕層の中国人の購買力を見ていると、侮れないものを感じます。間違いなく、その層は平均以下の一般庶民とは違うのですが、全体の人口が多いためか、比率は少ないと言え、その金持ち層の数が馬鹿になりません。
夜の8時~10時半過ぎ位までの高級商店街を、マーケットリサーチの積りで歩きながら覗いて眺めていると、日本価格にしても高価と思える品が、ドンドン売れていて、別の中国へいる感じがしました。
特に今の中国は、色々な面を多様に持っていて、全体像を捉えるのが困難な中で、河東様のご観察は鋭く、一般に観光で行くと見えてこない部分をしっかりご覧になっていると感じております。

投稿者: 杉本丈児 | 2007年4月 9日 09:24

躍動感と臨場感あふれる紀行文です。
具体的な庶民の生活や風景から、文化だけでなくその国の政治・経済面を見通す手法はよくありますが、それと河東様は何かが違うように感じました。やはり、外交官としてのキャリアと物事を見る視点や洞察力のなせるワザでしょう。
「就職難で鍛えられた日本の今の若者」という表現も平易で思わずうまい表現だと感心しました。

投稿者: 舩田 一恵 | 2007年4月 9日 13:35

河東様、最近見た特派員報告より中国のギャップが焙り出された報告で何度も頷いてしまいました。大変有意義なレポートありがとうございました。私も仕事で年に数回、上海に行っています。街中を歩き回るのが好きで、時間を見つけは出かけています。浦東の電飾が美しい世紀大道をちょっと外れると以前の中国に出会えます。人は多く活気に溢れ、歩き回るには道路のデコボコ、よどんだ水溜り、自転車や人々を気にしなくてはなりませんが、まったく見飽きない光景です。中国人が自慢のカルフールのような大手のスーパーも良いのですが、そのようなところの中小スーパーを覗くのも面白いのです。一世代前の商品もあり、庶民の生活が垣間見えます。プラスチックの容器にビニール袋を被せスープを盛り、テーブルにもどう見てもテーブルクロスとは言えない薄手のビニールを敷き(汚いテーブルを被い、食後はそのまま廃棄する)楽しそうに食事をする人々に驚きを覚えましたが、行過ぎた清潔感の地元の裕福層の方は”食品の安全性は疑わしい”と評していますが、中国なのに同じ商品が安く売っていることにびっくりしました。表通りの近代的な姿と人がいかにも暮らしている、決してきれいとはいえない雑多な裏通りが、背中合わせであるギャップが今の中国を象徴していると感じてます。文化が変わるのには時間がかかるから、急激な変化の国にはどこでもある現象なのか、中国特有のものなのか?考え込んでしまうこの頃です。

投稿者: 浅川達夫 | 2007年4月 9日 16:02

河東様 サイトの記事を興味深く拝見しています。日本を取りまく諸外国の状況は、外国に行く機会が少なく国内のメディアの情報から推測するしかありません。なんとなく同じ論調の記事が多くその切り口と見方に「ホント?」の疑問を持つことが多い中で、河東様のレポートはとても新鮮で、事実に裏打ちされていると感じます。今後もワールドワイドな展開を楽しみにしています。

投稿者: 川西玲子 | 2007年4月 9日 17:25

トラバさせて頂きました。
私も最近上海を旅行し、あちこち歩き回りました。
いわゆる中国の発展は、上海に大混乱をもたらしているという印象です。
しかしそんな中にも面白い動きがあるし、日中の若者が共通の文化を共有する可能性が出て来ているのを、頼もしく思いました。

投稿者: 勝又 俊介 | 2007年4月11日 23:49

現在の上海の繁栄において、実際には「根っからの上海人」のほとんどがその蚊帳の外に置かれ、恩恵をほとんど享受していないのが実状です。周辺各省に割拠する「目ざとい商人」たちが、上海という格好の経済活動の場を、各々が好き勝手に利用してきたのが上海の現実なのだと思います。上海の経済発展(暴走的・無計画な発展!?)をつくったのも、そしてまた古き良き上海の街並みを奪ったのも、地元の上海人ではない、上海新人類なのだと言ったら言いすぎでしょうか。
いまの上海に一番ついていくことができていないのが「地元の上海人」でもあり、彼らのほとんどが、中産階級にもなれず、所得水準含めて今なお苦しい生活を強いられ続けている現実も見逃せないかと思います。
経済発展のやっかみもあって、中国全土から「嫌われもの」になりがちな上海ですが、そんな想いを一番強く持っているのが、誰あろう「地元の上海人」なのかもしれないとすら思えてくるのです。
都市部・臨海部においては大消費社会が形成されている中国ですが、家計の実態は、「貯蓄なき消費」とでも言いましょうか、貯蓄率が驚くほど少なく、そんななかで「ローン」も仕組みとしてどんどん幅をきかせてきており、中産階級の家計においても、自転車操業に近い状況も多々見受けられます。その懐の浅さは、中国国内経済の不確定要素をさらに根深いものにしているのではないでしょうか。中国の方々の、「人民元」の今後の信頼性に対する懐疑的な意識や、自らの財産がどこかで「永遠なる私有財産」として確立できない不安感があることなども、潜在意識としてすりこまれているような気もしますが、それが「宵越しの金はなんとやら・・・」といったかたちで今日のこと・明日のことにだけ注ぎ込まれていく状況は、必ずしもいいことばかりではないと思います。
甘やかされた青年たちが非常に増えていることも事実なら、野心に燃えた「モーレツ青年」たちが増えていることもまた事実でしょう。上海ビジネスにおいても、10~15年前のインターネット勃興期に上海交通大学などで懸命に学んだ学生たちが現在のITビジネスの旗手になっていますし、今なお、続々とそういった人材が輩出されてきているわけです。上海交通大学を卒業して、日本に留学すべく東大や東工大の大学院
試験を受けた方に話を聞くと、「日本の一流大学でも、こんな簡単な試験なのか・・・」とビックリするようですから。もちろん中国でも、一流大学に入ることだけが目的化して、いざ大学に入ってみると、自分が今後何をやりたいのか全く見つからない、という「燃え尽き型」の学生も増えているようですが、とにかく若者の人口も多い中国のこと、同世代間においても、熾烈な競争が展開されているのは間違いありません。

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