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世界はこう変わる

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2011年4月 9日

2011年3月のアメリカ――印象記2 (アメリカの社会)

印象論はそれくらいにして、最近のアメリカ社会について今回、専門家や友人たちから聞いたところを書きだしておく。これも、印象論の域を出ないが。

自立の伝統
アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員(米国世論の研究)はこう語った。彼女の言うことは思いつきではなく、数々の世論調査を踏まえている。

「ええ、アメリカ社会の基本的価値観は健在だと思います。とてもユニークな価値観で、個人の責任や意欲を重んずるのです。リーマン・ブラザーズの金融危機で、国民の60%が『家族の誰かが失職した』と答えていますが、自力でなんとか切り抜けてきたのです。ワシントンの連邦政府には不信感を示す人が多い一方、地元の地方政府に対しては信頼を寄せている人が多いのも、こうした傾向と関連があるでしょう。」

「たしかにアメリカ社会では所得格差が広がっていますが、それでも中東でのように暴動が起きないのはなぜだか考えてみると、結局アメリカでは社会的には誰でも平等だという(建前がある)事実に思い至ります。グッチのバッグを買う金がなくても、偽のグッチを買うことはできるというような、はけ口がある、チャンスが残っていることがいいのだろうと思います」

多民族化は価値観を希薄にするか
僕の方からBowman女史に聞いてみた――「米国ではかつてないほどの多民族化が進んでいます。19世紀にもアイルランド人、イタリア人、東欧諸国の人たちが大量に移民してきたことがありましたが、この時アメリカ社会はこれらの移民を同化することに成功しました。しかし今回増えている中南米ヒスパニック系移民は、個人主義や自由に基づくヨーロッパ的価値観より、集団主義や依存性の強い社会を引きずっているように見えます。それが2020年には人口の25%も占める。マサチューセッツ州で今いちばん多い移民はブラジル人だそうです。それでも、アメリカは同化に成功するでしょうか? 今回受けた感じだと、私にはどうも成功しつつあるように見えるのですが」

彼女はかすかに微笑を浮かべて言った――「ヒスパニック系の移民は、金融危機の影響で昨年は減っています。それでもまた増えて行くでしょう。そして、ええ、おっしゃるようにアメリカ社会はこれらの人々を同化することができると思います」

そこで僕はまた聞く――「ヨーロッパ諸国は、異質な価値観を持った移民をどうしても同化することができず、これら移民も良い仕事を見つけることができないまま、ヨーロッパ社会に不満を抱えた異分子的存在になりつつあります。ところがアメリカでは同化が進む。この差はいったい、どこから来るのでしょうか?」

Bowman女史――「それ、わからないんですよね。さきほど申し上げたような、アメリカ社会における平等性が機能しているのではないでしょうか?」

僕の思うところ、アメリカ社会は既に多民族化していて、ヒスパニックもそのone of themだから、それだけ疎外感が小さいということではあるまいか? ヨーロッパでは地元の白人民族と異人種、という具合にふたつに分かれてしまう。 

産業空洞化とともにすり減る中産階級
1965年代後半から始まった日本の対米大量輸出は現在の中国の対米輸出と同じで、アメリカの国産製造業を空洞化させた。そのためアメリカの中産階級の生活水準は数十年にわたって停滞し、その中であがる一方の教育費などをまかなうために、夫婦共稼ぎは当たり前になっていった。それでも、中産階級に相当する人たちの層は厚いままに残っていたのが、リーマン・ブラザース金融危機の影響で、中産階級それ自体が没落の危機にひんするようになっている。

ボストンのある大学教授が言った。「アメリカのモラルが健在だって? 経済が駄目になったカンザス・シティあたりに行ってみなさい。文化とか道徳そのものが失われているんだから」
そう言えば、マサチューセッツ州の西部は以前、GEや軍需産業の企業城下町だったのだが、クリントン政権の軍需削減で工場は閉鎖され、人々は放り出された。僕は1998年頃、ある町に車で迷い込んだことがあるが、荒れた街角では昼から失業者の白人たちがアパートの前にたむろして、一種異様で危険な雰囲気を醸し出していた。車を止めたら何が起こったかわからない。

アメリカ社会にくわしいポール渡辺・マサチューセッツ大学教授は言った。彼の父親(祖父?)は和歌山の漁師出身らしく、彼は日系2世だ。苦学の末実力でハーバードを出て、今ではアメリカのアジア系民族研究では第一人者だ。

「金融危機で、中産階級の崩壊が目立ってきた。授業料が高いから、子供を大学に送ることもできない国民が増えている。これは前例のないスケールでの変化だ。家を買う金もないから、住居を賃貸する者が増えている。これは持ち家を前提とし、持ち家に貯蓄と投資と消費の役割を負わせてきた戦後米国の経済政策が根底から変わることを意味するんだぜ」

長年ワシントンのシンクタンクに勤務している、あるヨーロッパ人は言った。
「アメリカのモラルが変わっていないだって? いや僕の周囲はひどいもんだぜ。人をだますわ、金を巻き上げるわ。そして独占企業のひどさときたら。僕の家の電気なんか、アンペア直すのに2年もかかったんだから。そしてワシントンはまだましにしても、地方に行ったときの食事のひどさときたら」

「ミレニアム世代」――ベビー・ブーマー世代以上の重み
今回、「ミレニアム世代」という言葉を知った。これは引退しつつあるベビー・ブーマー世代の子供たちに相当する世代で30代、実に8000万人、全人口の4分の1強という、今のアメリカ最大の世代なのだ。アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員にこのミレニアム世代の特徴について尋ねると、彼女はにっこりとして言った。あたかも、このミレニアム世代にアメリカの多くの希望がかけられているかのように。

「これ、面白い世代なんですね。3分の1はバツ1、つまり離婚経験があるのですけど、企業にもつかず離れず、自分というものに自信を持っています。個人業を志向する者が多いのも特徴ですし、学校ではボランティア活動が義務的になっていたので、地元コミュニティーにも多くの関心を持っています。それでいて、考え方はグローバル。文化面でも他国のものに分け隔てない関心を示します。他国に介入するときにはアメリカ一国でやるのではなく、今回リビアでNATOを前面に出したように、仲間の諸国と集団でやることを選好する――こういった調査結果が出ています」

これは、理想的人間像だね。本当かなと思わないでもないが、嘘ではない。家庭教育、学校教育が良かったのかな。僕の子供たちが経験したところでは、アメリカの公立高校はかなりすさんだところだったが。

大学教育再考論議
大学教育をめぐって議論が起きているようだ。今回はそのうち2つの問題点を知った。
ひとつは根本的なもので、「大学教育は必要なものか」というものだ。つまり「中産階級はもう、高い学費を払えない。それに大学に無理して行くより、高卒で手に職をつけて働くほうが、よほど所得は高い」という問題。これは、日本も含めて先進国の大学に共通した問題だろう。もっとも、「アメリカの大学は軍産複合体のように、強固な既得権益集団だからな。教授陣にはユダヤ系も多いから、そんな簡単にリストラはされないだろう」という意見もあった。

もうひとつは学問に関するもので、それは「社会科学は『科学』ではない。人文科学ともども不要なものだ。大学では役に立つサイエンスだけ教えればいい」という声が高まっていて、それは価値観というものを無視したハウツーもの教育につながる、ということである。
確かに経済学など、これが「ザ・セオリーです」などと大上段に売り込んでくる「理論」はだいたいがまやかしもので、実際の政策には使えない。社会は人間からできていて、その人間が次の瞬間何を考え、何をやりたいと思うかは自分自身でも予測できないのだから、理論化などできやしないのだ。ただ、需要と供給の均衡とか、需要創出の乗数効果とか、理論じみたものはもちろん必要なので、科学としてよりも社会常識として大学で教え続けることは絶対必要だし、歴史や文学など「サイエンス」になりにくいものも、教養、そしてものを考えるうえでの必須の材料として教えていかないと。僕も、飯の食いあげになってしまう。
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以上が社会についてだ。まあ、アメリカのような巨大で複雑な社会を一口でくくることなどできないのだが、現場での勤労意欲や社会全体の活力は健在だし、それは新しい移民にもどんどん伝染しているということくらいは言えるだろう。それはとても大事なことで、ロシアのように現場で働く人たちのすべてがself-motivatedというわけではなく、あるいは待遇にくさっていたり、あるいは上司の命令がないと何もやらなかったりというのでは、暮らしは良くならないからだ。

だが、日本から見るアメリカと内部から見るアメリカはどうしてこんなに違うのだろう。乱暴でがさつで撃ち合いと爆発ばかりのあのアメリカ製映画を見ていると、こんな社会にはとても住めないと思ってしまう。アメリカ映画はどうしてああなんですかと、Karlyn Bowman女史(前出)に聞いてみたら、彼女の答えはこうだった。「アメリカで映画をいちばん見に行くのはティーン・エージャーなんですね。だから彼らの水準と趣味に合わせてしまうのじゃないかしら」。まあそればかりではないだろう。映画というものは、新しくやってきた移民たちにとって安価なレジャーなので、移民たちが観客の多くを占めるという話も聞いたことがある。これについては、気をつけてものを言わないと人種差別になってしまうので、Bowman女史もそのあたりはあえて言わなかったのではないだろうか。


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