Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
ChineseEnglishRussian

世界はこう変わる

Automatic Translation to English
Automatic Translation to English
2010年11月 1日

ニヒルな時代 9月のロシア 街角の情景

"ジェネレーションY"

9月末から18日間、モスクワに行ってきた。モスクワ大学のビジネス・スクールで集中講義をするついでに、沢山の人にも会って最近のロシア事情を少しでも吸収するように努めた。その印象を数回に分けて書いておく。先回3月に行った時から間もないので、今回は政治・経済よりも社会事情に重点を置いた。

モスクワへ
(1)モスクワへはいつもアエロフロート。昔もそうだったし、何の違和感もない。アエロフロートのエアバスには名前がついている。今回乗ったのは「ウラジーミル・マヤコフスキー号」。革命を謳い、スターリンに絶望して自殺した詩人の名前だ。その硬質の詩はどうしても好きになれないが。

この頃のアエロフロートはルフトハンザ並みに時間通りに出発する。内部は清潔で機内食(エコノミー)もうまい。昔は独特だった。アエロフロートの欧州便と言えば、イリューシン62という国産機が定番。ジェット・エンジンが2つづつ機体後部の窓の脇にくくりつけられ、鮎のように優美な機体。離陸するまでに延々と滑走していくのが特徴で、この飛行機は欧州までずっと地上を走っていくのかと思ったものだ。上空に上がると暖房が不十分で寒いこと。あるときスチュワーデスに寒いと文句を言うと、体格のいい彼女はすごむ。「あんなどこへ行くの? コペンハーゲン? 向こうに着いたらもっと寒いのよ。我慢しなさい」。それ以来、イリューシン62に乗り込むと、天井のコンパートメントから直ちに毛布を引きずりおろして確保するのを常とした。毛布の数は足りないからだ。そして機内食はいつもきまって、冷たい鶏の足。冷えたゆで卵の半割りにしなびたキャビアが少々ついていたか。今はエコノミー・クラスでも温めたばかりの機内食が供されて(魚か肉のチョイスつき)、それにはスシもついている。キャビアはなくなったが。

(2)モスクワに来るとよく、翌朝に携帯電話の電池がきれている。前夜充電しておくのにだ。なぜか熱くなっていて、長時間機能していた感じなのだ。まるで誰かが僕の携帯の内容を調べていたかのように。そしてその日モスクワ大学の寮の部屋に帰ってくると、鍵はかかっていたが、二重だった窓がなぜか一重になっている。こういうのは、モスクワでも初めて。外側の窓枠が腐って落ちたかと思って下を見ても何もない。あとから、これは何十年ぶりかの修理だったのだとわかったが、住人とのコミュニケーションが何もない。階毎に管理の女性がいるのだが、何かを知らせようという意識がない。外国人が多いから、もう諦めたのかもしれないが。

街角の情景
(1)第一日目。モスクワ大学本館の1階に、重い回転ドアを押して入る。学生の中には面白がって、自分が通ったあとめちゃ速くドアを回して去る者もいるので、吹き飛ばされないよう注意が肝要。大きな薄暗いホールでは、バドミントンに興ずる中国人の留学生、冷たく埃っぽい階段に座り込みパソコンを膝に開く学生たち。モスクワ大学は昔から、ロシアでもいちばん自由な雰囲気のところなのだ。

(2)だが寮の僕の部屋の頭上では毎晩バカ騒ぎ。うるさい音楽が鳴り響き、木の床をハイヒールで踏み鳴らす。椅子やテーブルを床に引きずる音。そして窓の外では夜毎、けたたましく響くオートバイや車のエンジン音。マフラーを外してある。まるでロシア全土に響かんばかりの排気音だ。空いているモスクワ大学周辺の道路で、急発進を競う若者たち。未だに「車」というものに魅かれている上に、気が荒いのだ。
だが話に聞くと、今の児童の年齢層になってくると、車よりITに執心なのだそうで、そこは先進国でのトレンドに似てきたのだろう。

(3)あの巨大なモスクワ大学本館の地下には食堂がいくつもあって、一般学生用のものは生ゴミの匂いがかすかに漂う中、1時になっても長い行列が続いて、レジにたどりつくまで(カフェテリア形式)20分はかかる。盆に料理をとってレジを待つと、ハエが一匹しつこく周囲を飛び回った。
RIMG0265.JPG(モスクワ大学の学生食堂)

(4)秋の朝。ロシアでは10月末までサマータイムが続いていて(時計を通常より1時間前に進めている。夜明けと日暮れ、双方とも晩くなるのだ)、夜が明けるのは7時過ぎになる(その代わり、日暮れは9月の末でも7時過ぎだ。日本より日が長いように思える)。薄い靄に包まれたすがすがしい朝の大気の中を歩いていくと、モスクワ大学のキャンパスには平和そのものの光景が広がる。黄葉。グラウンドを走る者、サッカーをする者。経済がまわっているからこうした平和が可能なのだが、そんなことは誰も考えない。
RIMG0266.JPG(モスクワ大学 秋のキャンパス)

(5)そして10月3日にはもう、窓の外にはりつけた温度計がマイナス2度を示す。黄葉は本格化する。モスクワ大学の寮には暖房が入る。モスクワの暖房は地域暖房で、冬でも室内はシャツ一枚で過ごせる快適さなのだが、快適を通り越して汗ばむほどの暑さになりがち。止めようと思っても、ラジエーターには栓がない。そこで窓を開けて涼を取ろうとすると風邪をひく。

(6)夜、寒くなった大気が澄みわたる。
RIMG0298.JPG(黄と青の氷砂糖――夜の旧ウクライナ・ホテル)
モスクワ川のほとりの丘の上にある大学の寮からは、遠くモスクワの市街が見渡せる。蒼黒い闇の中、真向かいのウクライナ・ホテル(最近ラジソン・ロイヤル・ホテルに改名した)のスターリン式摩天楼がイリュミネーションに照らされて、黄金と碧色の氷砂糖のように煌めく。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/1272