Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2010年4月18日

「デンマーク・モデル」を日本に? Ⅰ

日本の経済が苦しくなってきていて、それはもうバブル崩壊以後20年間ずっとそうなのだが、そのことが就職難や財政赤字などの形で本当に身にしみてわかってきたものだから、そろそろ慌て始めた人が増えた。何も気がついてない人たちが大半だが。
20年前ソ連が崩壊したとき、毎日パンの値段が倍増していくようなインフレに直面したロシア人は、溺れようとする人がワラをもつかむように、「日本モデル」やら「中国モデル」やら、全ての問題を打ち出の小づちのように解決してくれる奇跡を、国外に求めた。

同じことを、日本人が始めているということだ。情けない。自分で新しい富を作りだすしか、解決はないというのに。今ある富を分け直そうとしても、それはかえって成長を阻害したりして、自分で自分の首をいっそうしめていく。

それでもどこかに理想の分け方があるだろうというわけで、つまり社会福祉も経済成長も両方叶えてくれるものとして、デンマークやスウェーデンの北欧モデルが流行し始めた。そりゃその気持ちはわかるけど、どちらも500万人強の人口小国。いずれも工業国だが、500万人を養うために必要な企業の規模は大きくなくていい(スウェーデンには大企業が多いが)。1億人強が食べていかなければならない日本では、北欧の20倍の規模を持った富のジェネレーター=モノづくりが必要で、今のようにモノづくりが海外に流出する一方では、いくらデンマーク・モデルだ、スウェーデン・モデルだといったところで、富の基盤が不十分で経済が回らない。

で今日は手始めとして、デンマークの生活実感を拙著「意味が解体する世界へ」(草思社)から抜粋してお目にかけたい。いや、たしかに本当にいい国、本当にいい人たちなのだ。それでもアフガニスタンに出兵して、何人も亡くなっているが。

デンマークの詩

 ぷーっと汽笛が鳴ると,少女のように可愛い金髪の車掌がドアから顔をひっこめる。本当に翳のない,屈託のない顔。自分の美しさを意識して他人にどうこうしようという毒の一かけらもない。ここでは,すべてがアンデルセンの童話のように見える。

 そのアンデルセンが住んでいたオデンセの街は,半地下室の窓が歩道に剥き出しになっていて,心掛けの悪い者がちょっと靴で蹴れば割ることもできる風情。生活と安全が保証されて,安心している社会なのだ。ここは日本とは違って,CDやDVDやデジタル・カメラにすぐとびついたりしない。日本,アメリカと違って味気のない蛍光灯を嫌い,薄暗い部屋のなかで手元だけ明るくする部分照明が好きだ。

 でも,知的な探究心は旺盛,国民の政治を見る目もしっかりしていて,投票率はいつも八十%以上の水準だ。新しいものにむやみやたらに飛びつかないが,コンピュータ など必要なものはいつの間にかものにしている。北欧は,世界の中で最も進んだ社会をもう建設してしまったのだ。
 その昔デンマークは大きな国で,スウェーデン,ノルウェー,ドイツの一部を持っていたし,イギリスのデーン王朝はデンマークのヴァイキングが作ったものだ。だから今でもデンマーク人のイギリスへの思い入れは,イギリス人のアメリカへの思い入れと似ていて,偉くなった昔の子分を見ている趣がある。

 面白いことに,西欧の多くの国は昔,今よりはるかに大きな領土や植民地を持っていた。イギリス,フランス,ドイツ,オーストリア,イタリア,スペインはもちろん,オランダ,ポルトガル,スウェーデン,そしてベルギーまでがそうなのだ。で,どこも今では国がはるかに小さくなってしまったトラウマを心の底に秘めていて,時にはその自己顕示欲が頭をもたげるものの,普段は諦念にも似て静かな,そして質素だが世界で最も満ち足りた生活を送っている。

 ぼくの家内はデンマーク人で、その父親は造船所の職長だったけれど,教会の鐘の音,小奇麗な公園に囲まれたそのアパ トは百五十平米はあろうかという広さ,居間には書棚が立ち並び,娘達の描いた絵がかかっている。そして夜の九時から後は,音が隣の迷惑にならないように風呂も浴びてはいけない決まりだった。そして家内は早くから独立するヨ ロッパ人の常として,同じアパートの上階に自分の部屋を借りていた。それから三十年たって,そうした決まりもゆるくなり,周りの若い夫婦達は夜遅くまでうるさいロックをかけまくり,子供達はバタバタ床を駆け回るようになった。

 ヨーロッパ人は貴族的でお高くとまっていると思われがちだが,彼らの生活ぶりは人間
臭い。そのものの考え方は合理的だが,それで社会が味気ないものになるわけじゃなく,家族,友人への愛情というものが人間関係の基本になっている。ヨ ロッパの文化は素晴らしく,彼らはそれを自慢にするが,大衆レベルになってくると自分達の文化や歴史をよく知らない人も多くなる。

パリでも人々はシャンゼリゼで日常の買い物をしているわけではもちろんなくて,電車の高架の下の青空市場で野菜を買ったりしている。ドイツでも中世の昔さながらに,市役所の前はどこでも青空市場があって,毎朝農民が野菜を満載してやってくる。彼らが通りすぎる客に口々に呼びかける様は,日本の八百屋と変わらない。ロンドンの場末のイタリア・レストランではなぜかフランスの三色旗がかかり,壁には王妃ダイアナのつつましい白黒写真が二枚,そして中世の生活を描いた版画,世界の紙幣がずらっと並んでいて,店内には二十世紀初めのポップが哀愁を誘うように流れている。

ヨーロッパは結局,こんな場末の雰囲気が本当の顔なのかもしれない。
ヨーロッパの大部分は,第二次大戦までごく貧しかった。それは当時の記録映画を見ればわかるし,二十年前のフランスの農村などパリとは全く違う鄙びた暮らしをしていたものだ。デンマークでも集中暖房は昔からあったわけじゃなく,家内の小さい頃はストーブを焚いていたし,電気冷蔵庫もなかったのだと言う。

 デンマークは自動車や電化製品こそ作ってないけれど,先端技術と素晴らしい食品産業で心地の良い社会を作り上げた。ロシアのように革命とか粛清の大騒ぎなしに,しかも自由と個人主義を維持したまま,進んだ社会主義社会をもう作ってしまったのだ。だが,二十五年看護婦をやっている親戚は言う。「退屈なのよ。退屈。自分のいるべき場所がきまっていて動かないの。そろそろボケてきた老人にセラピーを勧めたら,ソファに坐って本を読んだまま,『私,なんにも問題ないわよ。とっても調子がいいの』ですって。アフリカでボランティアやってた時は,とても面白かったわ」

 昔務めたストックホルムに十年ぶりに行ってみれば何も変わらず,建物の角が欠けたり汚れたりして,少しづつ老朽の影が忍び寄っていると言ったら大げさか。大使館の運転手は大学出の若者だったが,十年たった今でもそのまま。小さなNPOの事務局長をやっていた元気な男もそのまま,どちらももう年金のことを考えていて,ここにはアメリカの競争の厳しさとはまた別の,安定の厳しさといったものがある。

デンマークの親戚の高校生は僕にこう聞いた。「日本の学生も勉強しない? デンマークの学生は勉強しても意味がないと言って,何でも黒か白かで割り切るだけ,すっかりワイルドになっちゃった」 そう言えば,この頃は店の商品までが安っぽくなってきた気がする。着るものも食べるものもアメリカ化というか,値段を下げるために質まで下がっている感じ。

 そして多民族化の現象は,デンマークも免れない。ヨ ロッパは国民国家または民族国家と言われるが,実は顔だちも髪や目の色も様々で,どの国も単一民族とは言いがたい。デンマークもそうだし,グリ ンランドのエスキモーはデンマークの市民なのだが,この頃コペンハーゲンの空港で荷物が出てくるのを待っていると周りにデンマーク人は半分いるかどうか,あとは浅黒い肌のアラブ人,トルコ人,うらぶれた感じの東欧,そして赤茶けた髪の中南米の白人という次第。内陸のオデンセでさえ,異民族がもう十%になろうかという時代なのだ。

 で,デンマークも変わってきている。昔はコペンハーゲンからオデンセに行く間の海峡を連絡船で一時間かけて渡ったものだが,今ではトンネルと橋ができて超モダンなディーゼル電車が猛烈なスピードで走り抜ける。オデンセ駅は新築されて,何の変哲もないオレンジ色のビルのなかにはアメリカ式のマルチ・スクリーンの映画館があり,構内には紙くずが散らばっている。生活が渦巻き,数々のロマンが演じられた近世以来の古い駅舎はそのわきにこじんまり,だががらんとして立っている。

 コペンハーゲンに近づくと,自転車の絵を横腹に描いた古い電車が三十年前僕が初めて見た時と同じ,だが今ではくたびれた姿で通りすぎる。いかにもヨーロッパ的に合理的な,自転車を持ち込めるアメ色に塗られた郊外電車。終戦直後,東京の国電はみなアメ色で,僕は子供心にあの赤でも白でも黄でもない,絵の具にはないアメ色というものを不思議がった。でもそれは,きっとヨーロッパから来た色なのだろう。日本でもヨーロッパでも、戦後の発展の中をアメ色の電車は走っていたのだ。

コメント

投稿者: Mika | 2010年4月26日 06:14

現在デンマークに住んでいます。はじめて訪問させていただきましたが、ヨーロッパについて、デンマークについて、非常に興味深く読みました。
私は、ここ5年ほどのデンマークしか知りませんが、デンマークらしさを保持したいと願いつつも、世界経済の波に翻弄され不安定になっているデンマークを感じます。
北欧モデル推進者も、人口が500万人(デンマーク)、700万人(スウェーデン)ということを、認識したらどのように思われるのか、興味あるところです。
今後もたびたび話を聞きに来たいと思います。楽しみにしています。

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