Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2009年4月12日

北京雑感

3月末の北京旅行、まだ書いていないことを拾って書いておく。順不同で。

理屈っぽいガイド
旅行会社のツァーで行ったのだが、空港出迎えのガイドが理屈っぽくて。「中国の面積は・・・、万里の長城の全長は・・・」ととうとうとやりだして、そこに「中国の面積は日本の・・倍」などとさりげなく、でもどこかプレッシャーをかける風に入れたりするものだから、こちらも疲れる。途中でさえぎり、全然関係ない質問をしてやった。

故宮とか擁和宮など建物の案内図には必ず、「■年に作られ、■年に■宮と改名され、柱は■本、構えは■・・・」というのが、説明の半分くらいを占める。柱くらい、自分で数えられるのだが。

中国文化
天壇というのは明の時代にできたものだが、儀式ではまず祭壇に火をともすところなど、ペルシャのゾロアスター教を思わせる。ゾロアスター教の名残は今でも中央アジアの結婚式での火の扱いなどに認められるので、中国にも当然あるのだ。天壇での儀式では、子牛を屠って犠牲として捧げるのだそうだが、これも日本ではあまり聞いたことがなく、もしかすれば北方の遊牧民族から伝わったものかもしれない。
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(朝の天壇公園。太極拳の一団)

清明上河図という素晴らしい絵が、故宮の一隅、確か絵画と陶器と織物の三種の博物館が軒を並べる中、絵画館の薄暗い空間の中に陳列してある。
これは北宋の時代、首都の開封とその周辺の文字通り生活絵巻である。西欧ではブリューゲルが中世末期西欧の生活を詳細に描いているが、清明上河図はそれより500年早い。宋の文明は、西欧、日本を500年は先回りしているのだ。

宋王朝というのは「弱い王朝」と一言で片付けられ、中国人自身も不当に軽視しているが、僕は漢民族による文化の頂点を築いた時期だと思っている。幽玄の美とか侘びとか寂びとか、日本人の美意識の粋と言われているが、これらは南宋の士大夫文化に発するものだろう。

つまり江戸時代以前、日本は中国文化をほとんど空気のように呼吸していた、と言うより、ほとんどその中に包含されていたのだ。七夕も考えてみれば、中国の話だ。宋時代の記録にも出てくる。日本人は天を眺めて、中国文化の一部になっていたのだ。
そして中国の琴も、日本のと殆ど変わらない。今回発見したが、中国語も戦前は日本と同じく右から左に書いていた。共産党政権になって変わったらしい。

で、清明上河図に話を戻す。コークスで製鉄をしていたのも宋で、開封では年間14万トンの鉄がこうやって作られていたらしい。そして世界初の紙幣は宋で発行されたものらしい。清明上河図というのは、http://www.vector.co.jp/soft/win95/amuse/se230381.htmlをご覧になれば、長い絵巻をコンピューターの画面で見せてくれるのだが、開封郊外の田園風景から始まって、居酒屋、女郎屋の居並ぶ開封の街中までを克明に描いている。

当時の開封の生活ぶりを文字で描いた「東京夢華録」(東洋文庫)といっしょに読むと、興味は倍加する。市場で売られている食品の名称だけで、1ページくらいとっている。「清明上河図を読む」という分厚い本が勉誠出版から出ているが(伊原弘編)、これがまためちゃ面白い(まだ全部読んでいない)。

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(故宮の内裏の門。陶でできており、何となくオリエント文明とのつながりを思わせる)
清明上河図では、城門をくぐってラクダの行列が開封に入っていく。開封というのは長安よりはるかに東にあるのだが、それでもシルクロードを通って当時のトラック野郎、つまりラクダの隊商が往来していたのだ。これは、中国という領域はユーラシアの一部であって、西域とは渾然一体のものであったことを示すものだ。

社会主義はなかったかの如し
前門の先には、19世紀の北京の市街が復元された。オリンピックに合わせたのだが、真新しい店の数々はまだ空だ。「19世紀の路面電車」がその前をそろそろと試運転していく。
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そのあたかもアメリカの西部のように空疎な通りを右に曲がると、にぎやかな商店街になる。そしてこれこそ、19世紀的な伝統的な香りのする商店街なのだ。「中国風」と言うとすぐ、ラーメンのどんぶりの縁絵の安っぽいぎざぎざを思い浮かべるが、ここらの店々はさりげなく中国風な上品なインテリア(重厚な赤色の木の丸柱とか)の中に、西洋的な靴とかバッグとかを売っている。
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(ここの商店街で見つけた、中国最古の映画館。一階はしゃれたカフェーになっている)

社会主義の時代はなかったようだ。店員は皆懸命に働いている。そこはロシアと比べると、本当に自然だ。

子供好き
中国というと日本人は構えるが、子供を見れば「ああ、人間はどこも同じだな」と思うことだろう。
北京駅の前の雑貨店には菓子などの食べ物が棚の向こうが見えないほど、うずたかく置いてある。その棚の間の通路で貧しい身なりの父親が、「チョコレート、チョコレート」と言いながら、小さな息子を喜ばせていた。
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(天壇公園で見かけた幼稚園生達)

だが中国人は子供の頃から既にかしましいらしいのだ。故宮の出口で中学生の一団に遭遇したが、あの箱に入れられた沢山のひよこがさえずるように、のべつまくなし、がやがやとしゃべる声は城壁に反射して、ほほえましいことは微笑ましいが、ちょっと勘弁してほしいという気持ちにさせた。


音と言えば、今回面白かったのは、地下鉄に乗っていたら、物乞いが車両の向こうからやってきた。誰か「助手」を連れ、しきりに口上を声高に繰り返す。で、よく見たら口上はテープ録音だったのだ。そこまで合理化しなくても。

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夕方6時の王府井。教会の鐘が鳴る。え、北京で教会の鐘?と思って見たら、北京百貨店の時計塔のシチズンが中国の歌を奏でている。北京駅前では、これは東方紅のメロディーだ。   河東哲夫

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