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世界はこう変わる

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2009年5月30日

時代の変わり目、民主主義の基盤喪失

先進国での「ものづくり」が空洞化しつつある。
米国ではそれは80年代からもう顕著で、それでもITや金融でしのいできたが、米国のように諸外国から投資してもらえない日本では、製造業がどんなに大事だったか、輸出が30~50%も減った今、肌にしみて感じられる。

欧米日の社会は、産業革命で質的に変わった。近代社会は産業革命の産物だ。
特に家電製品や自動車のように、水準の高い労働者を必要とし、かつ利益の大きいものを作るようになってからは、人間らしい生活のできる賃金をもらう中産階級がどこの国でも主流になった。

彼らは政治的権利を求めたし、政党も票を求めて彼らに投票権を拡大し、普通選挙がどの国でも行われるようになった。いわゆる民主主義が成立し、今では一人一人がその権利を主張できる。

ところが今回の経済危機は、このようなモデルの終焉を告げかねない。社会の富創造の根源にある製造業がおかしくなったからだ。サービス業で食べていくと言っても、サービスに対価を払える人たちが減るのだから、どうしようもない。サービス業だけで成り立つ社会というのはないだろう。

日本の場合、大企業に残った幸運(?)な連中と、雇用の危機に常にさらされている人たちの間の格差はこれからどんどん開いていくだろう。人口の95%以上が自分を中産階級と感じていた80年代までの日本ではなくなる。70年代日本では、大企業とそれ以外の間での賃金格差は大きく縮まったが、この過程を今逆にたどろうとしているのだ。

今、我々は「市民の権力」だなどと言って、この社会が近代的なものであることを当然の前提として行動しているが、その基盤は国債の大量印刷に支えられたあやふやなものになってしまい、いつ大崩れになってもおかしくないことを認識しなければいけない。

今すぐに悲劇は起こらないかもしれない。先進各国の内需拡大とやらが功を奏し、世界経済は再び回り始めるかもしれない。でもそれは、「ものづくり」という価値創造の根本を失った中で、国債を大量に印刷してはGDPを支えるという不健全なもので、ITバブル、サブプライム・バブルに続く国債バブルとでも称し得るものなのだ。バブルのサイクルはどんどん短くなっており、その都度儲けることのできる人はいいが、あたかも産業革命の効果を使い果たした先進諸国が瀕死の痙攣を始めたような現象ではないか?
                                              河東哲夫


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