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世界はこう変わる

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2023年2月 4日

戦争の終わり方――ウクライナ戦争の場合

(これは、1月25日にまぐまぐ社から発行したメルマガ「文明の万華鏡」第129号の一部です)

 どこでスピーチしても聞かれるのは、「ウクライナ戦争はいつ終わりますか?」ということ。こちらは天邪鬼だから、「なぜ終わると思うのだろう? 戦争は終わらなければならないものなのか?」と思ってしまう。

つくづく考えるに、この戦争は終わらないのだ。ウクライナはロシアを完全に追い出そうと思い、ロシアはウクライナを少しでもかじり取ろうと思っている。どちらかが内部崩壊することがなければ、この戦争はなかなか終わらない。現にこの戦争は、ロシアがクリミアと東ウクライナの一部を占拠した2014年に始まっていて、それ以来「終わって」いないものなのだ。

 どこかでこういう戦争を見たな、と思って歴史をブラウズしてみると、ある、ある。英仏間で1337~1453年に起きた百年戦争がよく似ている。これは、イングランドを牛耳っていたノルマン人がその本拠地であるところのフランスでの版図を維持・拡張するべく、フランス王朝(と言ってもイングランドのプランタジネット朝と親戚)と争ったものなのだ。

現代のロシア人が、自分の発祥の地であるところのウクライナを奪還するべくすったもんだ、ということで、百年戦争はウクライナ戦争に酷似している。百年戦争では、攻められたフランス側はジェノヴァのカネ、攻めたイングランドはヴェネツィアのカネで動いていたそうで、これもウクライナ戦争を彷彿とさせる。

フランスはジャンヌ・ダルクの活躍をきっかけに劣勢を打開、イングランド勢を完全に打ち負かして終戦に至る。敗戦のイングランドでは内乱「薔薇戦争」が起こる。と、こういう筋書き。現代のウクライナでジャンヌ・ダルクは現れるだろうか?

次に、17世紀の30年戦争は複雑だから置いておいて、次の例は、1939年11月に、ソ連がフィンランドに侵攻した第1次フィンランド戦争である。これは、同年9月に始まったドイツのポーランド攻撃(第2次世界大戦の始まり)に応じて、ソ連が安全確保のため、フィンランドに軍事基地の設置とソ連軍駐留を吞ませようとしたのが原因。フィンランドはソ連の侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも独立を守ったが、弾薬尽きて力及ばず、翌年のモスクワ講和条約により領土の10%、工業生産の20 %が集中するカレリア地峡をソ連に譲渡しての停戦に合意した。

これは、ウクライナが、工業の中心地である東ウクライナの一部をロシア側に抑えられたまま停戦で合意した、2014年9月のミンスク議定書に似ている。ウクライナはこれに不満で軍を増強、現在の戦争に至っているのだが、これも軍を増強した上で、ドイツ軍とともにソ連と戦おうとして戦端を再開したフィンランドに似ている。この時フィンランドは連合国側を完全に敵に回し、ドイツの劣勢とともに1944年9月、ソ連とモスクワ休戦協定を結んで賠償金の支払い、領土の更なる割譲を迫られた。

この後半部分は、現代のウクライナ戦争とは違うところだが、当時ソ連が国際連盟から放逐されたこと、フィンランドをはるかに上回る損害を出したことなど、現代のウクライナ戦争にも通じる事象はある。

 次の例は1950年6月に起きた朝鮮戦争。1953年7月の停戦協定までは、いろいろ局面が変わる。主たる兵力は米軍と中国義勇軍。ソ連は金日成を泳がしておきながら、米国との直接対決を恐れて兵器支援・技術支援のみ。中国は当初、毛沢東が参戦に頑強に抵抗したが(国内建設を優先)、スターリンから露骨な圧力を受けて兵力を派遣する。

当初、米軍・国連軍の指揮は東京のマッカーサーの手にあったが、彼はウクライナ戦争におけるプーチンを彷彿とさせる、現実からの遊離ぶりを見せ、戦争たけなわの1951年4月にトルーマン大統領によって解任されている。当時(今でも)日本ではこの解任を不可解としたが、朝鮮戦争の成り行きを知る者にとっては、可解そのものであっただろう。毛沢東は当初、参戦をしぶったのだが、結局のところ最後まで継戦を主張する唯一の勢力となった。1953年1月、米国の大統領がアイゼンハワーに代わったこと、同3月スターリンが死去したことで、彼もやっと休戦に応じたのである。

 この朝鮮戦争の例が示すことは、有力当事者のいずれかで権力の交代、あるいは情勢の不透明化が生じないと、休戦は難しいということである。ウクライナ戦争の場合は、ロシア、あるいはウクライナのいずれかで権力交代が生ずること、あるいは米国のバイデン大統領が機密文書の扱い、下院での共和党優勢等で統治能力をほぼ失えば、休戦のきっかけとなるだろう。

 最後に、誰も言わないのだが、ウクライナは勝利した場合、非常に扱いにくい国になるだろう。ゼレンスキー政権は、国内の右派民族主義系の影響下にあるが、この右派民族主義の連中は自己意識が過大で、中には「世界を支配する」野望を公言する者もいる。そこはロシアのネオ・ナチと同様、白人至上主義の流れを引いているのである。

 それに、社会主義の強権支配の下にあった人間は、「見境なくおねだりする」性向を持っている。あの手この手で欲しいものを、こちらの都合にはお構いなく、世界の平和がどうなろうとお構いなく、自分のために(国のため、国民のためと言うより、文字通り「自分のために」)資金や資材を西側から巻き上げていく。ウクライナを助けない者は国にあらず、人間にあらず、という論理を彼らは展開するだろう。そして、歴史的な行きがかりを有する、周辺のポーランドやベラルーシ、そしてハンガリーなどとは紛争が相次ぐだろう。

第2次大戦末期からウクライナ西方で独立闘争を展開したBanderaは、現在ウクライナ(特に右派民族主義派の間)で国民的英雄とされているが、闘争の途上で何千人ものポーランド人、ユダヤ人を殺戮したとされる。今年の1月1日、彼の誕生日にあたってウクライナのザルージヌイ総参謀長はSNSで祝意を表明。ポーランド政府から抗議を受けて、削除する一幕があった。昨年11月、ロシアの対外諜報庁長官ナルイシキンは、ポーランド当局はウクライナ北西部のWolyn州で住民投票を行って自領に編入するべく準備を進めていると発言して、両国間の不和をあおろうとしている。

ウクライナ西部のカルパチア山脈のふもとには、オーストリア・ハンガリー帝国の名残で、ハンガリー系住民が多数居住している。ハンガリーは以前から、これら住民の「保護」をねらって、ウクライナと係争を続けている。

 自己主張の強いウクライナは、西側の一員になればなったで、現在のポーランドやハンガリーと同じく、西側の頭痛の種になるだろう。もっともそれは、NATO、EU諸国が考えればいいことなので、日本は西側の一員としてウクライナ支援、ロシア制裁を続ければいいのだ。ウクライナで欧米諸国を助けなければ、台湾問題で彼ら、特にEU諸国、英国に助けてもらえないだろう。

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