中央銀行発行のデジタル通貨 とビット・コインはどう違う?
(これは1月26日発行のメルマガ「文明の万華鏡」第117号の一部です)
最近、報道を見ていると、各国の中央銀行が「デジタル通貨を発行する」ことの是非が議論されている。「中国が先行している。西側も急がないと、デジタル人民元が国際基軸通貨になってしまうぞ」という議論も見られる。本当か?
まずわからないのは、通貨は紙幣だけではなく、ずっと前からデジタル、つまり数字の連絡だけで決済・送金が行われるものなので、そこをわざわざ「デジタル通貨」と言うのはなぜだろう、ということ。ビット・コインのような、面倒な手続き・手数料なしに国際送金もできて、取引の記録もブロックチェーンで自動的に記録され、全体の発行量はマイニング次第で限定されるからインフレも起きない―ーこういうものを意味しているのか? こういう無国籍で、銀行を必要としない通貨を、国民国家の権化であるところの中央銀行が発行する? 頭が混乱してくるではないか。
中央銀行が通貨をデジタル化したいなら、紙幣もビット・コインも、その他の決済手段はすべて廃止し、中央銀行のデジタル通貨で一本化しないと意味はない。一本化すれば、国内・国際の資金の移動はすべて把握できて、課税も、マネー・サプライの調節も自動的にできるだろう。
しかし、そんな強引なことは無理であるようだ。だから日銀がインターネットに出しているデジタル通貨の検討結果は、奥歯にものが挟まったような、要するに「日銀のデジタル通貨なんて無理ですよ。中途半端で名前だけのものなら出せますけど、意味ありませんよ」とははっきり言えないものだから、「紙幣、その他の決済手段はこれからも存続します」とか「民間銀行の機能はこれまで通り残ります」とか、ごにょごにょ言っているのである。
民間銀行の機能はこれまで通りということは、融資機能もこれまで通りということ。要するに民間銀行は預かっている預金を引き当てに、その何倍もの融資をすることができる、何倍までいいかは政府・日銀が決めて、景気を誘導する。
これが本当のデジタル通貨--つまりマイニングでしか量を増やせない――になっていると、「信用創造」という芸当はできなくなる(いやそれどころか、今のように政府が国債を発行して日銀がそれを吸収することで、マネー・サプライを増やすような手品もできなくなる)のだが、民間銀行を残すということは、そうではない、デジタル通貨と言っても名前だけ、「デジタル情報でやりとりする」だけのことで、これまでと変わらない、ということになる。
そういう中で、「デジタル人民元が国際基軸通貨になる」というのは、意味のない議論だということになる。本当のデジタル通貨にしたらそれは無国籍で、人民元である必要はない。人民元という形を維持しているものは、本当のデジタル通貨ではありえない。今の人民元と実体は同じで、これが国際基軸通貨になるかどうかは、デジタル化以外の要素で決まる、ということになるからだ。
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