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世界はこう変わる

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2021年9月13日

1991年8月19日ソ連でのクーデターから30周年

(これは8月25日発行のメルマガ「文明の万華鏡」の一部です)

 1991年、僕はソ連大使館で広報・文化を担当していた。8月19日の早朝、大使館の政務班長からの電話でたたき起こされる。「クーデターが起きた。至急出勤して」ということ。そう言えば、先ほどアパートの前の道路をがらがら音を立てて通って行った車は戦車だったのだ。車を運転して外に出ると、道路のアスファルトにキャタピラのぎざぎざの跡がついている。

そのあと起きたことは疾風と怒涛。ロシアの友人たちは保守クーデター反対に回り、街頭でビラ配りなどをし始めた。夜には、エリツィン一党のこもる純白のロシア共和国(その頃はまだソ連の一部)最高会議の建物の下、若者たちが集まり、焚火を囲んでは(その時けっこう寒かったのだ)キャンプ気取り。ギターでフォーク・ソングの類を歌って寒さをしのいでいた。

 21日になってクーデターは瓦解。避暑先で監禁されていたゴルバチョフ一家はその日の深夜、モスクワに戻ってきたが、人心は既にエリツィン・ロシア共和国大統領(その一年前、ロシア共和国内での直接選挙で選ばれていた)に完全に移り、ソ連はその12月の末、正式に消滅する。

8月22日、あの雨上がりの爽快な空を今でも覚えている。モスクワ市民は、自分たちの手で国を変えたという自信(実際には何もやらない者が大多数だったが)を見せ、いつもは「なんで俺がこんな仕事をやらなければいけないんだ」という風情で外国人アパートの庭を掃いていた若いロシアの男までが、なんとなく晴れ晴れとして胸を張っていた。

「自由!」という言葉がテレビでも繰り返されていたあのロマンチックな日々。あれが、その後30年のロシアの歴史の起点だった。うち10年はエリツィン時代のなんでもありの混乱、残りの20年はプーチンの保守化の時代。エリツィンによるソ連共産党の解党と民主化は、政党乱立で何も決まらない政治、そして市場経済化は2年で6000%のインフレ、国営企業の民営化による財閥資本家の台頭と天文学的な格差を生み出し、大衆はただちにエリツィン政権にそっぽを向いた。この頃起きた民主主義、市場経済をめぐる議論は延々と繰り返され、それに反米が加わって、現在のロシア社会の基調を構成する。プーチン政権はこの20年間、エリツィン改革というごった煮の悪汁をそのまま煮固めてきたようなものだ。その間行われてきた議論のいくつかは、現在の中国習近平政権の今後のありようを占う上でも、有用なものだ。

そして今、9月17-19日の議会総選挙を前に、当局は取り締まりを強化。ぺんぺん草も生えないほどの保守化を実現してしまった。今やタリバンの政権復帰と似たり寄ったり、ロシアは30年間の堂々巡りの末、「欧米型の民主主義は認めない」ソ連的な社会に先祖返りしたのである。

ロシアでの工業生産の大半はまだ国営企業に牛耳られているのだが、それは仕方のない面がある。西側大企業に比べると、売り上げも利益も比べ物にならないほど小さいから、現代の先端技術開発に伍していけるはずがない。国営でいるしかない。しかも、70年あまりの共産主義・官僚統制経済の中で、企業を企業として経営できる人材が決定的に不足している。その中でもナノ材料とか、コンピューターのアプリとか、有望な芽はいくつかあるが、中国のように一度経済を西側大企業に開放しないと、「ソ連2.0」は22世紀にたどりつけない。

話しを30年前のクーデターに戻すと、僕がその時代のソ連、ロシアを描いた大河小説に、「遥かなる大地」(筆名熊野洋)がある。激動の社会を背景に、個性豊かなロシア人ジャーナリスト、イリヤ―・マコーシン(フィクション)とその一家の運命を描いたものだ。当時ロシア語訳を出版し、現代版「ドクトル・ジバゴ」だと言って宣伝したら、その著者のパステルナークの孫から(抗議の)電話がかかってきた代物。でも、僕としては面白いと思うので、このクーデターのあたりをここに掲げておく。当時の雰囲気をわかっていただけると思う。

 ――(主人公のイリヤーは自分で新聞を立ち上げて時代をリードしている。クーデター当日、彼は郊外の別荘のペンキ塗りをしていたのだが、クーデターの報で市内にかけつける。目指すは、エリツィン一派が立てこもるロシア最高会議の議事堂「ベールイ・ドム」である)
スモレンスカヤ駅で地下鉄を下りると,サドーヴォエ通りをふさぐトロリーバスのバリケードが目に入る。しかし回りには兵士がいるわけでもなく,沢山の野次馬ともおぼしき群衆が酒が入ったと思える勢いで気勢をあげていた。そのなかを黄色い法衣を着た東洋人の僧が,手に持った太鼓をたたき,大声で平和を叫びながら歩いている。

 議事堂のまわりは,(保守側の)戦車や装甲車,そして鉄パイプや柵の一部で作られたありあわせのバリケード(エリツィン側の)や,助太刀のために駆けつけたタクシーの群れに囲まれていたが,雰囲気はあたかも野外ロック・コンサートのようだった。若者たちは焚き火で暖を取りながら,ラジカセや仲間のギターで時をつぶしており,その中を中年の女性が自分で作った山のようなピロシキを配って歩いていた。(保守クーデター側の)戦車や装甲車の兵士は市民たちと話しており,市民からエリツィンのアピールをもらっては読む将校もいた。一人の酔っぱらった失業者風の男が,シャツの胸をはだけて戦車の兵士に叫んでいる。

 「撃ってみろ! 撃てねえだろう,俺もお前もロシア人よ!」
 急ごしらえの演壇では,喜劇俳優ハザーノフが,ゴルバチョフをからかい,(クーデター首謀者の副大統領)ヤナーエフの記者会見での手の震えをまねては大喝采を受け,詩人のエフトシェンコ(日和見と見られていた有名詩人)が若者からのやや冷たい反応を受けながら,抵抗勢力を讃える自作の詩を不安げな表情で朗読していた。民主ロシアのチェゴダエフ議員たちがメガフォンを手にがなっている中に,イリヤーはアリルーエフ(新興成金。フィクション)のダミ声を聞きつけて思わず苦笑した。あの男,こんなとこまでやって来ていい恰好してやがる。
 「アリルーエフだ。俺は,ケチなことはやらねえ。さあ,持っていけ!」 と彼は叫び,手に持った百ルーブル紙幣を皆にばらまいた(そういう成金は実際にいた)。
 
 (イリヤーは議事堂の中で友人サフロンチュクの話を聞く。サフロンチュクは、ゴルバチョフがクーデターの動きをどうも事前に知っていたらしいと言う)
 
 「一体何なんだ,それは?」
 「俺もそこを知りたい」
 「やれやれ。何てことだ。しかし,起こったことはしかたない,か。いずれにしても,思いがけない方向に動いているな。共産党とソ連は,これで崩壊するぜ。守ろうと思ったものを,自分で崩してしまったんだ」

 イリヤーはサフロンチュクの部屋を出ると,出口を探して歩いていった。広い薄暗い廊下の向こう,レーンコート姿の上に帽子から流れでた長い金髪を揺らせた,均整のとれた若い女性の姿が浮かびでる。オーロラ(KGBのためにイリヤーの動静を探っていたのが恋に落ち、子供まで作っていた。その間、姿を消していたのである)! 彼女は立ちどまり,ためらった。彼女の目には涙が光り,イリヤーにすがりつくような表情だった。
 「イリヤー,イリューシェンカ。私の太陽,私の英雄。会いたかった。とても会いたかった。最後に。最後によ。私を許して,イリューシェンカ。子供のために,私を許して」
 「子供だって? 俺の子供なのか?!」
 イリヤーは思わず大声をあげたが,オーロラは答えることなく,イリヤーにただしがみつき,涙を流しながら彼の唇をむさぼった。かたわらを武器を持った警備兵や,書類を持った役人たちが,急ぎ足に通りすぎていく。

 「敵の攻撃が迫っています。敵の攻撃が迫っています。女性は館の外に退避して下さい。男性はガス・マスクを配りますので,各階の係りのところに出頭して下さい」 
 急迫したアナウンスの声も,二人には聞こえなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
 二十一日になって,クーデターは失敗が明らかになった。・・・・・・・・・・・・・・・
 夕方になり雨はあがり,雨に洗われた建物の赤い煉瓦に,夕日が新鮮な光を投げかけた。近くの交差点では,黄色いショート・パンツにTシャツ姿の若い娘が,ローラー・スケートですべりながら,クーデター失敗のビラを通行人に微笑みながら渡している。今は,道ばたで物乞いのひくアコーディオンの悲しい音さえ,なぜか弾んだものに思われた。

 街をいく人々の顔は晴々とし,自分たちの力で新しい時代が開かれたことへの誇りが見られた。ロシアの大衆は,エリツィンの下で,自由と改革の女神との束の間の新婚生活を味わっているようだった。
何か,心にポッカリ穴ができたような,それでいて晴れがましく,新鮮で奇妙な気
分,新しい時代なのだ

 次の日の夜明け,「地獄の狼」(女スパイのオーロラが率いてきたオートバイ暴走集団。類似の集団は今でもある)はオーロラを先頭にコムソモーリスキー通りをレーニン丘まで進むと反転し,隊列を横に整えた。眼下に眠るモスクワの東の空が次第に赤らみ,新しい時代の太陽が姿を現す。

 「地獄の狼」は,一斉にクラクションを鳴らして,女親分に別れを告げた。オ―ロラは,「みんな,元気でね,さようなら!」と叫ぶと,アクセルをふかす。赤いBMWは,レーニン丘の深い森から飛びだして,空中高く舞いあがる。

 あらゆる欲望と絶望,そして希望が眠るモスクワは眼下に横たわり,その向こうにはロシアの大平原が青く無限に連なっていた。金髪を太陽にきらめかせ,真紅のオ―トバイとともにモスクワ川へと落ちていくオ―ロラ。子熊座につながれていた犬は解き放たれて,この世の終わりがやってくる(そういう言い伝えがある)だろう。

(そして本当に、この世の終わりのような1992年、1993年がやってくるのです。カネと暴力で彩られた。それは「遥かなる大地」下巻で・・・)

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