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世界はこう変わる

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2019年6月26日

ソ連圏崩壊から30周年 歴史は創造と分配のただの繰り返しなのか?

 30年前、ポーランドで狼煙を上げた東欧の自由化への動きは、5月2日にハンガリーがオーストリアとの国境の鉄条網の撤去に着手、8月にはその国境から東ドイツ市民が大挙してオーストリア経由西ドイツに移住、11月9日には遂にベルリンの壁が開放されることで頂点に達した。東欧の市民は、自由もろくな商品も無いソ連型社会主義に別れを告げ、自由と繁栄を謳歌する西欧文明へと回帰し、2年後にはロシアもその行列に加わった。

 あの熱狂の1989年から30年。ロシアも東欧も、インテリは自由と民主主義、大衆はより良い生活を求めて頑張った。そして殆どは失敗、または未だに模索の途上にある。衣食足りて礼節を知る。つまり経済が良くならないと、自由や民主主義を語る余裕は出ないのだが、中国でのように外資が大挙してやってこないと、経済は良くならない。ロシア、東欧諸国にある資本だけでは、現代の技術開発、競争にはとても伍することはできず、社会主義時代の経営ノウハウ、勤労意欲のままでは成長は起きないからだ。

 しかし30年前は自由と繁栄の花園だった西欧諸国は、米国の技術革新、中国の低賃金労働にはかなわず、かつて好況の時代に呼び寄せた中東・アフリカからの移民、あるいは他ならぬ東欧諸国からの出稼ぎを敵視して、反移民、反EUのポピュリズムに流れ始めた。自由よりもパンを求め、ナチを思わせる国家社会主義の極右政党に喝采を送る西欧市民は増える一方だ。そして今のロシアはその国家社会主義のメッカとなり、欧州の極右諸政党を支援する。ハンガリーは30年前、東欧圏崩壊の端緒を開いたのだが、現在のオルバン政権は国内を統治するため権威主義を必要とするので、EUには反抗しつつ、プーチンやトランプにすり寄る政策を取っている。

 この歴史の虚しい堂々巡りは、なぜ起きるのか? その根底には、「分配」の問題、つまり大衆に経済の配当をどのくらい与えるか、という問題がある。19世紀西欧では、産業革命で多数の国民の生活水準が格段に上がり、文明は新たな段階に入った。欧米、そして日本の国民は選挙権を得て(ロシアでは革命の結果)、政治家、そして政府との主従関係を逆転させた。政治家にとっては、今や一般国民のご機嫌を取ることが至上課題となっている。エリート、そしてインテリには「自由」を、そして大衆にはパンを――これを議会制民主主義の下で何とかかっこうをつけてやっていこう、というのが、この百年の文明モデルだと言っていい。

 その中で、自由と市場経済に過度に傾くと、社会は非人間的となり、格差が増大する。分配に過度に傾くと、それは人民の名において金持ちやインテリの権利を抑えつける専制になりやすく、専制は腐敗と無知頑迷を助長して社会を窒息させ、経済を停滞させる。
産業革命以来、歴史の振り子はこの2極の間で振れてきた。今、欧州諸国の振り子は、「自由よりパン」に振れている。ロシアの大衆はプーチンの下で、「自由よりパン」の極に20年間貼り付いたままだ。

日本は可笑しなことにそのロシアに少し似て、有権者の多くは安倍総理に経済・社会政策しか期待していない。米国も同様で、国民は自分達の暮らしに無関係、いやそれどころか悪くしかねない、ベネズエラやイランへの関与を望まない。一方中国は逆で、天安門広場事件30周年を前に、当局は社会の振り子が自由・民主主義要求の方に振れるのではないかと戦々恐々だ。歴史は、創造と分配の両極間に閉じ込められて、もう前に進めないのだろうか。

いや、世界の文明は折しも、産業革命以来の新たな転換点にある。ロボットやAIの発達で産業の生産性が格段に高まり、大衆への配当を大幅に増やせる――つまり働かなくても一定の所得を保証する――ことになるからだ。そこでの問題は所得面での格差より、精神面での格差の問題となる。つまり、更に上をめざす者と、所得保証で満足してボーっと生きる者の間で生じる摩擦をどうするか、という問題だ。それに、カネのある人間は遺伝子改造で、まったく別種の生き物になってしまうだろう。

「ロボット」という言葉を発明したのは、チェコの小説家カレル・チャペック。東欧は、ソ連圏を崩壊させただけではない。19世紀以来の近代文明からの脱皮、社会の振り子のための新しい極もまた、準備してくれていたのだ。

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