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2017年4月30日

トルクメニスタン旅行記

(以下は4月26日発行のメルマガ「文明の万華鏡」第60号の一部です。全文をご覧になりたい方は、http://www.japan-world-trends.com/ja/subscribe.phpで同メルマガ購読の手続きをお願いします)


今回4月中旬トルクメニスタンに行くに当たっては、ドバイで乗り換えてイランを縦断、首都アシハバードに着陸するという面白い経験をした。いずれも行ったことのない地域。ドバイはその繁栄ぶりは何度も聞いていたが、羽田でアブダビ行き、ドーハ行きというゲートが隣にあるのを見て、どれがどう違うのか実は何もわかっていないことに気がついた。

アブダビはア首連の「首都」で人口約240万人。以前のベイルートに代わる中近東の金融のハブ。エティハド航空の本拠。ドバイはア首連では大阪に相当する商都で人口約220万人、中近東、中央アジアの流通のハブ。エミレーツ航空の本拠。商品はここから船で数時間のイランの港バンダル・アブ・バースに運ばれると鉄道やトラックで、中央アジア諸国に運ばれる。だからア首連にとってはイランとの友好関係が重要で、それ故湾岸諸国の盟主サウジ・アラビアの反イラン政策にいつもつきあうわけにはいかない。

そしてドーハはア首連西方のカタールの首都。ここも、石油・液化天然ガスの大々的な輸出で急発展したところ。国際テレビ「アル・ジャジーラ」を設立して、国際的に目立とうとしている。最近ではほぼ一貫してサウジと共同で動き、イラン、イスラエルに対抗する方向で諸組織、そしてパレスチナのハマスへの支援を行っている。そしてカタールの北西方にはバーレーン、クウェート等の都市がならぶ。

ドバイ行きの飛行機はエミレーツ航空。テレビのコマーシャルによく出てくるエティハド航空は同じア首連系でもアブダビを本拠とする会社だ。エミレーツは、例の女性乗務員の帽子の脇に白い布が優雅にぶらさがっている航空会社。ワルシャワでも、この乗務員が大挙してホテルにやってきたが、白い布がどこかよれよれで洗いざらしの感がある。そう言えば、ドバイで見かけたアラブ人男性の着るあの白い「カンドゥーラ」も、まるで夜寝る時敷いていたシーツをそのまま身にまとった感じで、清潔感がない。そのエミレーツ航空の飛行機は南回りではなく、日本海から朝鮮半島を横切ると、北京、ウルムチへの航空路を通り、そこから少し左に曲がってパキスタン上空を北東から南西に縦断。新疆地方からペルシャ湾に抜けるカラコルム・ハイウェーの上を飛んで、中国が利権を握るグワダル港上空からペルシャ湾に入った。

ドバイでは数時間の乗り継ぎ時間があったので、市内観光をしたが、王族の立派な「パレス」たち、何々財閥の作ったファイブ・スターのホテルたち(世界でただ一つセブン・スターというのが、写真によく出てくる帆布の形をした高層ビルにあるバージ・アル・アラブ・ホテル)、そしてバザールの他にはあまり見るものがない。昔メキシコのカンクンというリゾートに行ったことがあるが、それとよく似て、味気のないことおびただしい。

ここはサービス部門はほとんど出稼ぎの外国人がやっていて、地元のアラビア人は「みんな公務員」ということのようだ。空港の係員もそうだったが、意識の水準は全体に低い。ドバイ空港には案内係が見当たらず、従業員は無責任。自分の担当以外のことは知らず存ぜず。威張り散らし粗暴で危険。乗ったマイクロバスの運転手は、「日本? 聞いたことねえな。そんな国。トヨタ? だって、あれは中国の会社だろ」と言うので、これは絶望的と思ったが、この運転手はエジプト人で実は日本びいき。我々をからかったのだ。あと5年もたつと、日本の存在感は本当にそんなものになってしまうかもしれないが。

ドバイからイランを縦断してアシハバードにいく飛行機がまた面白かった。ずっと下を見ていたのだが土漠、岩山ばかり。町は一カ所しか見なかった。集落もない。それが2時間以上も続く。イランの人口や都市の殆どは、はるか西の方に固まっているのだ。このイラン南部というのは昔からこうで、アレクサンドル大王の軍はここを避けて、ペルシャ西方を通って今のタジキスタンまで攻め込み、そこから今のアフガニスタンを縦断してインダス河を南下、その後イラン南部を陸路で横切り、大変な苦労をなめている。

それから約2000年。フランスのシャルダンという商人が当時のペルシャの首都イスファハンに宝石を売りに赴き、その後ダイヤを仕入れにインドに赴いている(「勲爵士シャルダンの生涯」羽田正)。彼は1675年、インド行の船に乗るため、バンダル・アブ・バース港に赴くのだが、イスファハンからこの港までどうやって行ったのかはわからない。ただ熱病にかかってひどい目にあっている。このシャルダンが、「ペルシャ見聞記」(東洋文庫)を書き、これは当時ペルシャについて最も詳しくて正確な本だとされた。 ">

">テヘランはアシハバードとは直線距離でほぼ400キロ強。山脈を越えるともうカスピ海で、イランの中では北の端だ。このあたりはカスピ海西岸のアゼルバイジャンにも近く、アゼルバイジャン系の人種が全体の20%も住んでいて、潜在的には不安定要因なのである。

山脈が終わると、そのふもとの乾いた畑地の中に真っ白いアシハバードが見える。広大、かつ整地のされた畑、それを貫く運河。これはソ連時代の遺産で、ソ連はけっこういろいろ良いことをやったのである。旧市街は郊外にあって、新しいアシハバードは大理石のビルだらけ、この15年ほどの間に天然ガス輸出の収入で建てられた。このあたりはアム河(中世まではアラル海の他、カスピ海にも流れていた)、そしてアフガニスタンに発する2つの大きな川を有する農耕・牧畜地帯で、発掘の結果紀元前2000-3000年のはるか昔にも都市文明があったことが確認されている。もしかすればメソポタミア、インダス文明の母的な存在である可能性もあるのだが(メソポタミア文明を作った「シュメール人」の出自はわかっていない)、そこまでは発掘の結果証明されていない。

このあたりは、考えてみれば東西南北の交通のハブだったので、都市文明が古くからあって不思議でないし、インダス文明、中国文明等に波及効果を与えたことも十分考えられる。それとの関連で、地図を見ていて今回改めて気がついたのは、中央アジアとロシアのタタールスタン共和国、バシコルトスタン自治共和国は指呼の間にある、イスラム文明に属する単一の地域だということだ。実際、スターリンがソ連の内部の境界を定めた時、彼はバシコルトスタンとカザフスタンの間にロシア領を挟み込み、タタールスタンとバシコルトスタンをロシア内部の奥地という形で取り込んでしまったのだ。

タタールスタンは当時のイスラム独立運動の中心地で、知的指導者が集中していたところなので(そのうち何人からは亡命して大正時代の日本に居住。日本の知識人たちとも交流している。三菱の岩崎家の収集した東洋文庫には、彼らの残した文献が入っているはずである)、中央アジアから切り離し、ロシアの中に閉じ込めておこうとしたのだろう。

アシハバードに話しを戻すと、ここは乾いた大地に大理石で作った高層アパート、オフィス・ビルが立ち並び、警官が殆ど見えないのはいいことだが、住民も殆ど見えない。シュールな感じのする街だ。真ん中には大きな遊園地があって、その門には微笑するベルディムハメドフ大統領の大きな肖像画が原色で立っており、夜になるとイルミネーションの遊園地を背景に灯に照らされにこやかに街全体を睥睨する。そして吹き倒されそうな強風の吹きすさぶ荒涼たる丘の上には、ドバイの帆布型ホテルとよく似た、総ガラス張りの高級ホテルがそびえ立つ。まるでアシハバード全体がベルディムハメードフ大統領のテーマ・パークという感じで、2日もいるともういいやという気持ちになってくる。

市内の大理石アパートの窓にはカーテンが殆ど見えず、入居率は低いようだ。いくつかの建物の一階には商店らしき看板も見えるが、開いているのか閉まっているのか、人が出入りする気配がない。アパートは各省や組織に割り当てられているので、家賃は安いのかもしれないが、インテリアその他に費用がかかるので、入居希望者が少ないのだろう。

トルクメニスタンは中央アジアの中でも、大統領に対する個人崇拝の強い国だと思ってきたが、政府の人間と話しをする時に先方が必ず大統領に言及して感謝をささげるという程でもなかった。全体から受けた感じでは、他の中央アジア諸国と変わらない。しかし会談のすべてにおいて先方は、ごく当たり前のようにロシア語しか用いず、現地語を使わないという点で、中央アジア諸国の中で際立っていた。テレビは5チャンネル程も現地語でやっているが、空港待合室のテレビはロシア語放送にセットしてある。

これでいて永世中立を唱え、ロシアに反抗して中国に天然ガスの殆どを輸出しているのだ。これはロシアがトルクメニスタンの天然ガスを買いたたくからという理由があるが、中国も今やトルクメニスタンの天然ガスは高すぎるし、硫黄分含有度が高すぎるとして、計画の半分弱しか輸入していない。そのためトルクメニスタン政府はガソリン価格引き上げ等、四苦八苦。住民の抗議も相次ぐという状況になっている。

そんなこんなで、2日目の夜中にアシハバードを飛び立ち、途中バクーで客を付けたし、合計8時間もの夜間飛行でフランクフルトにたどりつく。その3時間後の正午にはフランクフルトを飛び立って、そしてすぐ日が暮れ、また連続2晩目の機内泊の末、羽田に着いた。羽田は便利だと言われるが、埼玉県近くに住む筆者にとっては成田も変わらず、むしろ成田の方が「空港エクスプレス」などがあって、外国という異界と日本の間を行き来するタイムトンネルとして丁度いい。

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