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世界はこう変わる

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2016年12月11日

ローマ帝国は金のおかげでできたのか

(これは11月23日に発行した有料メルマガ「文明の万華鏡」第55号の一部です)

ローマ帝国における金の意義
世界史上、金や銀は非常に重要な役割を果たしている。農耕・手工業しかなかった中世以前の社会では、金銀を見つけた者、奪った者が急に豊かになり、それで軍備を整えて帝国を築いた例が多いからだ。日本でも、豊臣秀吉が朝鮮半島まで攻め寄せる力を持ったのは、戦国時代から諸方で開発された石見銀山などのもたらした富、あの金ぴかな安土桃山時代(安土城の天守閣上層は、本当に金で覆われていた)にあふれていた金銀がなければ考えられなかったことだろう。

欧州で言えば古代アテネの突然の興隆が、付近で発見された銀山のもたらした富によるものと思われることは以前書いたし、アレクサンドロス大王のマケドニアも近隣の征服で年産15億円相当の金を産出する(インターネット情報)パンガイオン金山を手に入れたのが興隆の時期と一致している。そして、中南米の金銀の収奪は、スペインの興隆と、その金銀を海賊に奪わせた英国の興隆となって、欧州を世界史の主人公とした。

金銀がそれほど重要なものならば、ローマ帝国ではどうだったのか? と以前から思っていたのだが、その答えはどうもすっきりしない。インターネット情報によると、ローマでは紀元前300年頃、金生産が急上昇し、硬貨の鋳造が始まったとあるが、紀元前300年と言えばローマ(共和制)がイタリア半島を統一した頃。しかしイタリア半島には古来、銅はあっても金銀の大きな産地はないはず。どうして紀元前300年頃金生産が急上昇したのか、わからないのである。

ローマの起源はもともと素性が怪しく、滅亡したトロイの末裔だということになっているが、実体は流れ者、ごろつきの集まりで、男ばかり。だから現代のナイジェリアのテロ組織の如く、近隣の女性を集団で拉致したりしたのだ。言ってみればISISのような起源を持つ暴力集団が大きくなっていったという、夢の無い話しになるのでは?

もともと、ローマの経済、経済史については史料が少なく、生活施設の発掘が進んでやっとおぼろげに見えてきた、という段階らしい(Encyclopedia Britannica)。共和制ローマの拡張期、どこから富を得ていたのかもそのうちわかってくるだろう。

その後ローマ帝国は、ダキア(ルーマニア)、そして紀元前1世紀半ばにはスペイン北西部のラス・メドゥラスに大規模な金鉱山を獲得(カルタゴはスペインにまで広がっていたので、この金山は一時カルタゴの資力を支えていたかもしれない。ここでローマ人は、砂岩でできた山に穴を掘り、そこに水で圧力をかけて山を崩しては砂金を採取するやり方を開発し、囚人・奴隷を酷使して金を採取していたのである。現在この荒れた地形はユネスコ世界遺産になっている)、1-4世紀の間にはサハラ砂漠を越えてチンブクツ経由で西アフリカに、あるいは船でジンバブエまで金を探して軍隊を派遣している。そしてインターネット情報によれば、エチオピアは古代エジプトに金を供給していたのだが、ローマ帝国はこれも入手している。

ローマの経済にとって、金銀は足りていたのだろうか? 金銀、つまり貨幣が不足するとモノの表示価格が下がり、あたかもデフレになったようになって、経済活動を下抑えする。金銀が足りなければ、金貨一枚当たりの金含有量を減らすことも可能だが、それをやると日本の幕末のようなインフレになる。ローマ帝国でも穀物の表示価格は3倍に膨れ上がったらしい(インターネット情報)。

ローマの人口は約7000万(「新・ローマ帝国衰亡史」南川高志)。うち奴隷が2割。とすると何らかの所得を得ている人口は2000万人ぐらい。兵士の給料が月2万円だったらしいので、それを2000万人にかけると40億ドル。まあ、これを当時のGDPだとしよう(英国の経済学者Angus Maddisonは、紀元0年頃のローマ帝国のGDPを250億ドルと推定)。
今の日本では、GDPの約20%相当、100兆円分程度の紙幣+硬貨が経済に循環している(日銀統計。日銀当座預金額を除く)。ローマでは毎年10トン程度の金が新たに採取されていた。これが年々蓄積されていくので、インド等に貿易赤字決済のために流出していく金を除いても、合計200トン分程度の金はいつも社会に蓄積されていたことだろう。それは今の金価格で計算すると、78億ドル相当。これならば、まず十分の量の通貨がローマ帝国には出回っていたということになる。

地方の軍隊の給料をローマから送る時や、輸入など大口の支払いに金貨は使われていた。ローマは「小さい政府」の原則で動いていて、地方の行政機構は未発達だったから、地方政府向け送金は大したことがなかっただろう。ローマが崩壊すると、地方で読み書きができる役人層が足らず、キリスト教会に依存するようになって、中世カトリック教会の隆盛につながる。

軍隊はトラヤノス帝時代は15-19万人(「古代ローマ人の24時間」)。軍人の給料は月約200ユーロなので(「古代ローマ帝国 1万5000キロの旅」)、全体で年間4.5億ユーロの費用となる。これはGDPの2%強から10%に相当するが、10%ならば今のロシア程度の重い国防負担だ(米国は5%程度)。

ローマ帝国はソマリア等紅海海岸を通じてインドとの交易が盛んだったが、ローマ側の赤字で、インターネット情報によれば、紀元1世紀にPlinyなる博学者が、「毎年5000万Sesterce(2.5億ドル程度)の赤字だ」と嘆いている。これでローマの金銀は海外に流出し、国内の金銀貨の金銀含有量は減らされた。つまり前述のように通貨の価値が低減し、モノの表示価格はうなぎのぼり、つまりハイパー・インフレが当時ローマを襲ったらしい。

インドでは、これまでに2000枚以上のアウレウス金貨、6000枚のデナリウス銀貨が発見されている(「古代ローマ帝国 1万5000キロの旅」)。ローマの交易はベトナムにまで及び、インドネシア、ベトナムのメコンデルタからも、ローマの硬貨が発掘されている。

ローマ帝国の経済史にはわからないことが多いと書いたが、西ローマ帝国滅亡後、フランク帝国成立に至るまでの西欧社会の実情もよくわかっていない。一般には、ゲルマン等異民族の侵入で経済が崩壊した暗黒時代ということになっているのだが(そのゲルマン人の子孫達が現在、白人至上主義を唱えてスキンヘッドをやっている)、戦後ピーター・ブラウンなどの学者は、もう少し地に足の着いた議論を展開し始めた。それによれば、ゲルマン民族侵入後も、キリスト教会や修道院が文明・識字の保持、経済開発、ミニマムな行政サービスを提供したそうで、暗黒時代というほどでもなかったと言うのだが、その後出てきたブライアン・ウォード=パーキンズの「ローマ帝国の崩壊=文明が終わるということ」は最近の発掘結果を駆使して、やはり未開の異民族が文明を破壊したことを実証しようとしている。

筆者は、西ローマからフランク帝国への移行期をつないだのは、カトリック・キリスト教会なのだと思っている。カトリック教会こそは西ローマ帝国の骸骨みたいなもので、西欧に虫食いのように広がり始めた諸王家を横串に貫く、ローマを首都とする帝国みたいな存在。フランク帝国を作ったカール大帝にも重用されて、帝国的な存在として17世紀30年戦争まで欧州で大きな顔をしていた。

ローマ帝国時代から普及していた十分の一税制度を中世に持ち込み、税を払わない者は教会に従わない者、従って「破門」するぞと脅しつけて、諸侯さえも従わせたのである。それをトランプのようにはねのけてカトリック教会の資産を没収さえしたのが英国のヘンリー8世、そしてローマ法王の権威を借りる神聖ローマ皇帝に反抗したドイツ諸侯がかついだのがルター、ということになる。

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