Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2016年9月10日

米国の変質 劣化

(これは8月24日刊行のメルマガ「文明の万華鏡」からの一部です。)

筆者の米国観についてはこれまで、「意味が解体する世界へ」と「米中ロシア―虚像に怯えるな』で書いてきましたが、今トランプ大統領候補で沸く米国社会のいくつかの現状について補筆しておきます。反米になったわけではありません。直して欲しい点を書き並べたものです。

(傲り)
冷戦での勝利後、米国は変わってきました。ソ連という競争相手がいなくなったために、自分の力に対する傲りが言動の端々に表れます。一言で言えば、「世界は米国の思うがまま、望むがままになる」ということで、それは「米国例外主義」(exceptionalism)という言葉にくくられています。それはある時は、「米国は自由と民主主義を世界に広める使命と力を持っているので、国際法の枠外にいる」という宣教師的な使命感、そしてある時は米国や米国企業の赤裸々な私利追求として表れます。

米国の高校と大学に行ったある日本人の若者は、そういった米国人の鼻息の荒さに辟易していました。もっとも、その若者は日本の企業に就職してみると、新入社員のあまりの草食動物ぶりに辟易していますが。

米国の学校では、Debateの時間があります。ここでは教師が例えば「来週は日本の市場は閉鎖的かどうかについてDebateをする。各人、日本の市場が閉鎖的であるかどうかを考え、その論拠となるようなことを2つほど調べてくること」という風な宿題の出し方をするそうです。ここにはまず結論があって、その後それを証明する論拠をいくつかくっつけるという、米国特有の弁論術が見られます。それは多分、有罪か無罪かという、裁判所での公判の進め方に影響を受けているのです。

そして米国の言論界は民主党、共和党の二つに分かれていますから、共和党は無罪、民主党は有罪というように党派で立場が決まってしまい、真実の追求より、相手を論破し、面子をつぶすことに血道を上げるようになるのです。

ですから米国のテレビでのDebateを見ていると絶望的な気分になります。米国のテレビに出ても、だいたい英語でハンディがあるのに、こんな黒を白と言いくるめるような詭弁を立て板に水を流すようにしゃべりまくることは絶対できない、簡単に言い負かされてしまうと思ってしまうわけです。

ここでは、米国の旗印であるところのリベラリズムは、もはや見られません。詭弁術です。例えばネオコンと目される国務省の欧州・ロシア担当次官補のヌーランド女史については、「彼女が十分な根拠もなしに言う、(反ロシア的)発言を批判すると、愛国的でないか、Crazyということにされてしまう」として疑念が呈されています。彼女たちは、ロシアを批判するがために、ソ連時代の安っぽい共産主義プロパガンダの手管をそのまま模倣して、米国の品位を下げているのです。
このような詭弁=ソフィズムは、古代ギリシャでアテネの爛熟期に見られたものです。つまり、文明が形骸化し、リベラリズムが後退し、党派的対立、利権争いが前面に出てくる、つまり没落の始まりを予告するものなのです。

そして、このような議論の立て方は、米国の外交上の利益も害するようになっています。「プーチンは何を言おうが、何をやろうが、ロシア拡張という邪悪な目的のためにやっているのだ」というのが、最近ワシントンでの相場になっています。こうなると、欧州のバルト方面でNATOとして対応を強化する、米軍を増派するという話しになり、今度はロシアがそれに反応して、事態がスパイラル的に緊張度を高めていく・・・。こういうことになるのです。

同じ伝で、経済面で米国劣化の例を挙げると、シリコン・ヴァレーの実像は実はたいしたものでないのではないかということがあります。シリコン・ヴァレーは米国経済の活力の象徴のように言われてきました。ユダヤ人、中国人、インド人、日本人、誰でも一旗あげたい者は規制が緩く、ヴェンチャーに融資してくれるところも多数あるシリコン・ヴァレーに世界中から集まって、梁山泊のごとくチームを組んでは新事業を立ち上げ、立ち上がるとそれを売却して多額のカネを得、チームは解散、また別の事業を立ち上げていく――というのが、シリコン・ヴァレーについての神話でした。
それはかなりの程度本当だし、グーグルのように世界の文明を変える企業も生んできたのですが、普段は一発狙いの投機的態度の横行、人間臭い、せちがらい足の引っ張り合い(お前は俺のアイデアを盗んだ、特許を冒したといった訴訟合戦)、出し抜き合いが日常茶飯で、要するに投機のための「バブルの素」をいつも製造し、ものになりそうなものを金持ち達がウの目タカの目で奪い合っているようなところがあるようです。ウォール・ストリートの出張所みたいなもの、とでも言いましょうか。

そしてコンピューター業界の友人の話しでは、最近米国発のソフトにはバグが目立つのだそうで、要するにアイデア先行、一獲千金先行で、「バブルの素=モノづくり」は低賃金の奴隷のような連中にやらせる――つまり「アウトソーシング」――からバグが入る。そういうことになっているのではないか、と思います。日本がじっくり腰の入ったものづくりの伝統を絶やさなければ、そして身内の草食動物をもう少し肉食に変えることができれば、また復活できるでしょう。

(政党制度の曲がり角)
ところで、今回の米国大統領選予備選では面白いことが起こりました。それは、現代の政党制にかかわります。政党というものは、18世紀の英国議会で徐々に形成されたものですが、なんでこんなものができたのか、なんで必要なのか、理解に苦しむものがあります。しかしソ連崩壊直後のロシア議会を見ていたら、政党が必要な理由はよくわかったでしょう。あの頃のロシア議会はまだろくな政党がなく(ソ連共産党はエリツィンに解散させられていました)、議員一人一人はばらばら、一人一党という状況で、そうなると何百人もの議員の意見を集約して法案を通すのは至難の業になるのです。だから政党が必要なのです。政党単位で議員の意志をまとめれば、あとは政党の代表同士の話し合いでものごとを決めることができるのです。

ところが、2つや3つの政党で、社会の声、不満をすべて掬い上げられるわけがありません。そこで、既存政党に対する不満が、どの先進国社会でも起きてくるわけで、これが第3勢力として結集するか、それとも既存大政党を乗っ取るか、いくつかパターンが見られます。ドイツや英国では第三勢力の台頭が見られますが、米国では今回の予備選では、サンダースという社会主義的主張を持つ候補が民主党をもう少しで乗っ取るところ、共和党の方はトランプという白人層のうち落ちこぼれ組を支持基盤とするアウトサイダーに乗っ取られてしまいました。

ポピュリズムの時代、選挙ごとに票は大きくぶれるのですが、新党を立ち上げるのはどの国でも大変です。十分な数の候補者を確保できませんし、候補者に十分の選挙運動資金を与えることもできないからです。だから、今回のトランプのように、共和党という既存の組織をいわばハイジャックし、その資金と組織能力で野望を遂げようとする戦術は、日本の政治家にとっても大いに参考になります。例えば小池百合子知事も、新党を立ち上げるだけの人脈と資力はないでしょう。その場合、イタリアのかつての「オリーブの木」連合にあやかって、「百合の花」連合でもでっちあげ、自民党候補でもその推薦を受けると票が集まる、というような仕掛けを作ると、自民党組織を乗っ取ることができるでしょう。新党を作るより、既存政党を乗っ取る方が、日本の場合政党交付金は出ますし、はるかに現実的なやり方だと言えるのです

(米国経済の潮目)
米国経済は、今一つの潮目にあります。基本的に好調で、自動車生産、住宅建設という米国の主要産業は双方とも絶好調です。「リーマン・ショック後の経済回復の恩恵を被ったのは富裕層だけで、中産階級の生活は苦しいまま、それが今回のトランプ人気の原因でもある―――というのがこれまでの通説したが、最近、米国の雇用状況は良好で、平均賃金も7月の発表では対前年2.6%増と上昇傾向にあります

その中で注目されているのが、「米国は昨年12月に続いて利上げに踏み切るのではないか」ということです。26日にはワイオミング州の風光明媚な避暑地ジャクソンホールでの恒例経済シンポジウムで、イェレン連銀総裁がスピーチをします。その時に早期の利上げを示唆する発言をすると(連銀理事の数名は、すでにその種の発言を行うようになっています)、金利は上がり、ドルは上がり、逆に米国の株式相場は下がるでしょう。円のレートは、昨年11月の1ドル120円から僅か半年で1ドル100円のレベルまで上がってきましたが、これがまた円安の方向にしばし引き戻されることになるでしょう。

(TPP無惨)
あれだけ時間と労力をかけて合意にこぎつけたTPPでしたが、大統領選に臨むトランプとクリントン両名はこれをいとも簡単に拒否してしまいました。オバマ政権中の議会批准も難しいと言われています。TPPは御臨終―――でもそれで、合意した諸国に残念だ、とか良かった、とかの声が澎湃として起きているわけでもありません。TPPは可哀想に、誰にも悼まれることなく終末を迎えることになりそうです。

日本にとっても、TPPが駄目でも天が落ちてくるわけでもありません。日本では、「TPPは米国の利益のために日本の農業と保険を明け渡す、『米国支配』のための道具だ」ということになっていますが、TPPで日本はコメの輸入関税は撤廃していません。そのためか、米国は日本の乗用車に対する輸入関税をこれから25年かけて撤廃していくという、日本にとっても貿易面でのメリットは少ないものになってしまいましたが。しかし、現在でも、米国が外国製乗用車の輸入にかけている関税は僅か2,5%なので、これが撤廃されても大した利益になるわけでもなかったのです。それに日本・メキシコ、メキシコ・米国の間では自由貿易協定が結ばれているために、メキシコで日本企業が組み立てた自動車は無関税で米国に持ち込むことが今でもできているわけです。

では何でTPPなどをやったのかと言うと、それはやはりオバマ大統領が言っているように、自由貿易のルールを「我々が決めて」それを中国にも守らせる、でないと中国は外国との経済関係に勝手気ままな政治的手心を加えてくる、ということにあったのでしょう

そして日本の論壇では、アジアでは「異質な」米国が主唱するTPPではなく、アジア諸国だけの間の自由貿易交渉であるRCEPの方を優先しろという声もあったのですが、政府の方は二者択一ではなく、TPPもRCEPも同時に交渉を進めるという、かつての日本政府だったら考えられなかった柔軟さを発揮して取り組んでいました。TPPが今のままでは成立せずとも、RCEPの方は進むでしょう。TPPに米国の邪悪な顔を見て、親の仇であるかのように飛びかかっていったのは、少し気の早すぎる行動でした
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