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世界はこう変わる

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2016年9月 8日

金と銀から見る世界史1 アテネ

古代ギリシャのアテネについては、昔からいろいろ「神話」がある。「民主的で繁栄した」楽園のように言われるが、それは現実ではないと思う。例えば、アテネの上層市民は生産活動を奴隷の仕事として忌み嫌い、自分は海外の征服戦争に出かけることを本懐としていたようだ。確かにアテネの「直接民主制」は名高いが、参加できるのは上層市民のみ。人口の3分の1とも推定される奴隷は無権利の状態に置かれていたのだ。この古代アテネから2500年後の2003年、米国のブッシュ大統領は「中東を民主化すれば、戦争をしなくなるだろう=民主主義は戦争をしない」と言いつつ、自らはイラクに戦争をしかけたが、何のことはない、民主主義の祖先と見なされている古代アテネは、「民主主義であるからこそ、民意として海外を侵略」する国だったのだ。そのあたり、ツキディデスの「戦史」を読むと、いやと言うほど身につまされる。

このアテネ、ある時突然世界史に登場し、我が物顔に振る舞い始めるのだが、僕は長年そういうものなのだと思って、何も不思議に思ったことがない。しかし、コリントとかテーバイとか他にも有力な都市国家があった中で、なぜアテネだけがあれほど目立ったのか。アテネは紀元前5世紀のペルシャ戦争のあたりから台頭し、その海軍力で周辺の都市国家を次々に破り、そこの市民を虐殺した後に、ペルシャを仮想敵とする「デロス同盟」なるものをでっちあげ(紀元前478年)、それは現代のNATOや日米同盟とは異なって、一方的に同盟国から税金を搾り取るメカニズムであったようだ。

これだけの力をアテネに与えたものは何だったのか? その経済基盤は何だったのか? アテネでは紀元前6世紀前半の執政官ソロスのあたりから、産業振興が行われたようだ。これがどこまで経済成長をもたらしたか知らないが、国外に散っていた職人たちを市民権付与を餌に呼び集め、陶器や兵器の生産をさせたようだ。陶器というのは、当時のコンテナに相当するアンフォラ、つまりワインやオリーブ油などをつめて運ぶ大壺などのことだ。

しかし、アテネの力を決定的に高めたのは、近郊での銀山の開発だったろう。アテネ南東60キロ、現在の港町Lavrio周辺にはLaurionの名で知られる銀山が散在し、古くから採掘されていたのだが(ソロンと同時代の「僭主」、つまり現代のトランプばりポピュリスト政治家のペイシストラトスが、マケドニアから銀採掘職人を招致してから盛んになった)、紀元前483年にはMaroniaに大鉱脈が発見され、これでアテネは大海軍を築く(造船用の木材を輸入)。その3年後の紀元前480年、ペルシャ海軍を相手のサラミスの海戦でアテネの海軍は主要な役を果たし、これを契機にアテネは帝国化する。

ペイシストラトスがマケドニアから銀採掘技術者を連れてきたと言ったが、マケドニアは当時僻地とされていた。その後ここからはアレクサンドル大王が出てくるのだが、ものの本を読んでいると(「アレクサンドロスの征服と神話」、森谷公俊、講談社)、このマケドニアは実に金の大産地だったようで、これは大王の父フィリップ2世がパンガイオンの金山を征服で手に入れたからなのだそうだ。マケドニア軍はギリシャの時代遅れの「重装歩兵」ではなく、騎兵を中心とするものだったので、難なくギリシャ全土を制圧してしまうのだが、その背後にはやはり金がもたらす財力があったのだろう。

銀という資源に依存した経済と対外拡張・・・古代アテネは民主主義国と言うよりも、現代のソ連に似た国だったと言えるのでないか?

つまり金、銀、財宝は世界史を形作ってきた。産業革命で、人間がモノを、つまり付加価値を大量に作る能力を手に入れる前は、金、銀、財宝を見つける、あるいは奪ってくることが、富を手に入れる殆ど唯一の手段だったのだ。ローマ帝国も、イベリアやアフリカなどで採掘される金、銀で、あの強大な軍を支えていた。そして近世西欧は、当初はドイツ南部、次いで新大陸から大量に流入した金銀で軍備を整え、植民地を得た上で産業革命を達成したのだ。その産業革命で英国は大帝国を築くが、19世紀の後半、金本位制がもたらした世界的長期デフレを破ったものは、南アフリカで金採掘の効率が飛躍的に上昇したことだったのだ。

しかし、金銀が経済発展の根底を成す時代は、1971年のニクソン・ショックで終わった。この時、金1オンスが35ドルというリンクは解き放たれて、ドルという紙のお札(おふだ)を際限なく市場に流して景気を刺激することができるようになったのだ。

というわけで、次はローマ帝国における金銀の意味を探ってみたい。

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