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2015年6月28日

ユーラシアを理解するために 8 トルコ、イラン、サウジ・アラビア、イスラエルの意味合い

中央アジアは前述のようにいわゆる「オリエント」の一部であり、民族的、歴史的にトルコ、イラン、アゼルバイジャン等と密接な関係を持っている。しかし「オリエント」は西欧の植民地主義勢力によって分断されたため、中近東と中央アジアの一体性は薄れた。

現在中近東方面では、イスラエル、エジプトに代わり、イラン、サウジ・アラビアが主役となりつつある。イランはシリアのアサド政権、レバノンのヒズボラ、パレスチナのハマスを助けてイスラエルに圧力を加え、イラク・シーア派政権への影響力を増して地域覇権を追及している。王制のサウジ・アラビアは、イスラム聖職者が権力と利権を握るイランの体制を怖れている他(サウジの産油地帯にはシーア派住民が数百万いることも脅威である)、イランの石油が世界市場にあふれて油価を下げることを怖れているのだろう。

イランとサウジ――それは中世のペルシャとアラブの抗争を想起させる。この地方の大勢力であるトルコはこれまで数年、地域の盟主として返り咲くことを狙って活発な外交を展開したが、それは破綻し、今では内政・経済上の困難にも遭遇している。

現在の中近東はサウジとイランの両陣営に分かれつつある。イスラエル、エジプトが共にサウジと連携し、イラン・イラク枢軸に対抗、両者はシリア、湾岸諸国への影響力を争い、トルコはやや局外にある、という構造になってきた。

中近東と中央アジアの結びつきは植民地主義によって断ち切られていたが、物流面では両者は一体性を回復している。中央アジア諸国にとって、イスタンブールとドバイ(ペルシャ湾対岸のバンダラバース港から鉄道・トラックで消費財が中央アジアに移入される)は消費財輸入のための拠点である。イスタンブール、ドバイとも、中央アジア(ウィグルも含め)の政治運動、あるいはマフィア系実業家の拠点が置かれている。

またサウジ・アラビアはロシアの北コーカサス、パキスタン等に所在するイスラム過激派を支援していると報道されているので、中央アジア或いは新疆地方で種々工作も行い得る立場にあるものと思われる。
以下に、中近東の主要なActorの性質と、中央アジアとの関係を叙述する。

トルコ
・現在のトルコを創設した民族は、現在のトルクメニスタンのあたりを発祥の地とすると言われる。現在でもトルコ、トルクメニスタン、アゼルバイジャンの三国は言語をほぼ共有している他、ウズベク語にもトルコ語語彙は多数入っている。さらにトルコ族に近い「チュルク」と総称される民族は中央アジアばかりかロシアのヤクート等を含み、日本のアイヌ族にもチュルク語語彙は見られる由。チュルク語系諸族の人口は現在、約1億5千万人と推計されている。

・しかしオスマン帝国はその最盛期にあっても、中央アジアに及ぶことはなかったのである。にもかかわらず1991年ソ連が崩壊すると、トルコはそれまで300年にわたってロシア帝国に圧迫されてきた失地回復の機会到来と考え、中央アジア諸国に対しても外交攻勢を繰り広げた。しかしそれは歴史的・政治的・経済的な必然性を欠いていたし、トルコ人の商人、ビジネスマンはそのあこぎな商売のスタイルがたたって、中央アジアの諸国民からは嫌われるに至った。

・トルコは2003年のエアドアン政権になると、中央アジアに対して改めて外交攻勢を繰り広げる。これはトルコのEU加盟を認めようとしない西欧諸国の態度に業を煮やして、トルコの歴史的・伝統的な地域に意を用いる「東方外交」に転向したからである。学者出身のトフトウル外相、エアドアン首相、ギュル大統領とも中央アジア諸国に訪問・経済支援攻勢を繰り広げた。これは中央アジア諸国から表立った反発を呼んでおらず、トルコで時々、中央アジア諸国を包含した国際会議(イスラム諸国会議等)が開かれたりしているが、トルコは中央アジアでロシアや中国に並ぶ地位を得たわけではない。インド、日本などと同列である。「トルコ人」に対するイメージが相変わらず悪い上に、トルコ自身の経済力、軍事力は中央アジアでは小さなものだからである。因みに、中央アジア、トルコの双方がイスラムであることは大した役割も果たしていない。

そして前述の如く、トルコは最近内政、経済とも不安定の度を高め、外交においても中近東諸国との摩擦が増えて、「東方外交」は破綻した趣がある。

・なおイスタンブールは、情報収集の一つの拠点である。ここにはチェチェンからウィグルまで、多くのイスラム系民族が組織の拠点を置いているからである。

イラン
・イランについては、「ペルシャ」の時代からの歴史を振り返る必要がある。上述のように中央アジアは、ロシアの一部となったのは19世紀以降の僅かな期間で(その間に残されたインフラ、教育、学問等の蓄積は非常に大きいが)、それまで中央アジアの南半分はペルシャ文明圏の一部であった時代が圧倒的に長いのである。

・しかしペルシャの勢力はその後、アラブ、モンゴルによって破られた。従って、中央アジア南部の言語にはこれら諸言語の語彙が入り込んでいる。現在のイランはこのような歴史的遺産を引き継いでいるものの、中央アジア諸国では大きなプレゼンスを有していない。中央アジア諸国はもともとスンニー派で、ソ連による支配を経て益々世俗的になっているのに対して、イランは聖職者が政治・経済の権力を握る体制を続け、その体制を「輸出」しがちであることが、中央アジア諸国の警戒を呼んでいる。イランは上海協力機構にオブザーバーとして招かれることもあるものの、国連の制裁対象となっていることがその地位向上には障害となってきた。

・但し言語、人種がほぼ共通しているタジキスタンにおいては、イランは大きな努力を行ってきた。タジキスタンにおいてはソ連崩壊直後の1992年から1997年まで利権争いの内戦が続くのであるが、この時イランは反政府派を支援して、タジキスタン情勢に介入した。現在でも、タジキスタンの有力野党イスラム復興党はイランと強い関係を維持している。

・内戦収拾後、イランはタジキスタン政府と密接な関係を築き、トンネル等のインフラ建設を支援してきた(最近では中国に完全に圧倒されている)。他方、タジキスタンの青年をイランに招待し、シーア派イスラムの教義を研修することで、タジキスタン政府の警戒を招いている。タジキスタン国民の殆どはスンニー派なのである。

・またトルクメニスタンは、イランのバンダラバース港からの鉄道、ハイウェーが通じており(これは他の中央アジア諸国にとっても、主要な物流路線である)、イランに天然ガスを年間 250億立米輸出している。イランはこの天然ガスを北部で消費し、南部で産する自国の天然ガスを輸出に向けようとしているのである。

・ウズベキスタンは、イランと不即不離の関係を続けている。投資や融資を受けることはあるが、国内にタジク人を多数抱えることから、これと同文同種のイランを警戒しているものと思われる。更に、「シーア派は何をしかけてくるかわからない」という心理は、ウズベク人エリートの間に浸透している。

・また2013年にイランの核開発について国際的話し合いが開始されるまでは、米国がイラン攻撃に踏み切った場合の中央アジア諸国の立ち位置が密かな検討対象になっていたものと思われる。特に米軍がマナス空港を中継港として使用しているキルギスにおいては、そのような懸念がメディアに表面化することもあった。なおアゼルバイジャン(中央アジアに人種的・言語的に近い)、及びアゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフ地方の領有権をめぐって敵対するアルメニア(こちらは欧州文明圏に属する)も、イランとは微妙な関係にある。イラン北部には1800万ものアゼルバイジャン系人口がいるため、両国は友好関係を心がけているものの、時々摩擦が生じている。アゼルバイジャンにイスラエルが無人機等の軍事協力を行っている ことも、イランの神経を逆撫でしている。

・イランはそれもあって、アゼルバイジャンの敵国アルメニアを支援している 。そのアルメニアはロシアと同盟関係にあり、ロシア軍を約5000名常駐させて トルコ及びアゼルバイジャンに対する守りとしている。アゼルバイジャンはアルメニアの天敵と言うべきトルコと同文同種の関係にあって・・・。このようにユーラシア諸国の関係は芋づる式に無限にからまっていくので、ここで止めておく。そのために、中央アジアに焦点を絞ったのである。

サウジ・アラビア
・サウジ・アラビアには、得体のしれないところがある。米国メジャーを国有化し、イスラエルと敵対しておきながら、イラクが強大になると米軍の国内駐留を認めて安全保障を依存し、そうやって米国に依存していながら米国内で諜報活動を展開し、9.11事件の犯人のうち数名(サウジ・アラビア人)に資金が渡っていたことを云々されたりする 。サウジは1980年代にはアフガニスタンのソ連軍と戦うためにCIAとともに後のアル・カイダ勢力を養成しておきながら、その後はこれを弾圧する側に回った 。2007年にはプーチン大統領の訪問を受け入れていながら、北コーカサスのテロリストへの資金援助は続けている(と言われる)。

・これら相矛盾する言動を一貫して貫いているものは、イスラム「王制」という支配・利権構造の維持であろう。王制を倒し、聖職者達が利権を握るイランは、その点から言っても、また石油利権を争うという意味でも天敵的存在なのである。しかも、サウジ・アラビア東部の産油地帯にはバーレーンを初め、シーア派住民が200万人も居住する。

・しかし、王族が権力を壟断するサウジ・アラビアではその反面、王族間の権力闘争にも激しいものがある。外交政策にも権力闘争が反映されて、迷走状態を呈することもある。例えば2006年、新任の在米大使Turki王子はイランとの対話を提唱してブッシュ政権の怒りを買う一方で、米国に22年間大使を務めたバンダル王子はイランとの対決を主唱してホワイト・ハウスへの出入りを続けた。

・サウジ・アラビアは人口2500万、GDP7200億ドルで、中規模の国家である。しかし政府が国富の源の石油を握っているため、多額の裏金が作られ、費消されているようである 。そしてその資金の一部は、ロシアの北コーカサス、シリア等で活動するテロリスト、或いはパキスタン・アフガニスタン国境地帯に潜伏する中央アジア諸国のテロリスト達に提供されているものと見られる。またサウジは、米国、英国、ロシア等に多額の兵器を発注することで、これら諸国を操作しようとする。豊富なオイル・ダラーで米国債を大量に買い付けていることも、米国に対するバーゲニング・パワーを高めている。なお、サウジは湾岸諸国の通貨を統合することを長年主導してきたが、UAE等からの抵抗が高まっているため、実現は遠のいている。湾岸諸国通貨の統合はドル支配を弱めるもので、米国に対する交渉の道具として考え付かれたものであろう。

・サウジ・アラビアは米国の同盟国であるため、種々の策動はこれまで止められることはなかった。しかし2013年には、シリアでの化学兵器使用を言い立てて米軍をシリアに引き込む一歩手前で、失敗している。そしてシリア、イランをめぐって国際交渉が続いているが、これはサウジの反イラン政策に真っ向から対立するものである。ここで、現在のサウジ外交を牛耳っている感のあるバンダル王子(国家安全保障会議議長・諜報庁長官。元在米大使)が妄動すると、米国やロシアからの反発を誘い、国内王族間の争いを激化させて国内を分裂させてしまう可能性すらあるだろう。

・しかし、米国は湾岸諸国からその石油消費量の13%強(米国の石油輸入は消費量の約40%に上り、その約3分の1が湾岸諸国から来ている)を輸入しており、これが直ちに急減することはないだろう。米国が例えばシェール・オイルを大増産すると世界原油価格が暴落し、シェール・オイルが採算割れしてしまうからである。従って、米国はサウジの国内情勢が荒れないよう、意を用いるものと思われる。

・こういうわけで、サウジ・アラビアにはユーラシア大陸の黒幕のようなところがある。中央アジアとの関係でも、パキスタンに潜むIDU(ウズベキスタン・イスラム運動)、トルクメニスタンを除く中央アジア諸国に広がりつつある新興イスラム原理主義「ヒズブ・タフリル」などに資金援助している可能性がある。最近ではキルギスに大使館を設け、2013年9月には諮問評議会議長がキルギスを訪問した 。またサウジ・アラビアに本店があるイスラム開発銀行は、イランも出資し、融資も受けている稀有な存在で、中央アジア諸国もここから融資を受ける例がある。

・中央アジア諸国のイスラムはソ連時代に弱体化したが、毎年のメッカ訪問ツァーは人気があり、これを主宰する各国政府機関にとってかなりの収入となっている。またタジキスタン、トルクメニスタンを中心に、サウジ・アラビアに出稼ぎに出ている青年の数も多い。

・中国はサウジ・アラビアにしっかり食い込んでいる。サウジは中国の原油輸入先首位である他、ペルシア湾岸、紅海岸双方では港の建設に携わっている 。2012年1月には温家宝首相が来訪してアブドラ国王と会見、原発建設も話し合った他、アブドラ国王は政治、経済、安全保障を包括的に話合うハイレベル委員会の設置を提案、温首相も同意している。また浙江省の吉利汽車は2012年、サウジアラビアとウクライナで1万台超の乗用車を販売している 。

なお、新疆地方のウィグル人はイスラムであるので、ウィグル独立運動家がサウジから資金援助を受けている可能性もある。

イスラエル、「ユダヤ人」
・「ユダヤ人」とは曖昧で、数々の神話に彩られた人間達であるが、中世から欧州のみならずオリエントの歴史には登場している。「ユダヤ人」とはユダヤ教を信ずる母系社会に属する人間のことで、人種・民族的には多彩であり、その起源は様々である。中央アジアにおいては、カスピ海北岸に存在したハザル王国(7-10世紀)がユダヤ教を国教として採用したこと、その後も「ユダヤ人」はイスタンブールを根拠に中央アジアで通商に従事してきたことなどによって、古来からのユダヤ人コミュニティが形成されている。その中で最も知られているのは、ウズベキスタンの「ブハラ・ユダヤ人」であり、彼らはモスクワ、ウィーン、ニューヨークなどで財を成し、米国ではウズベキスタンとのリエゾン役を果たしている。

・中央アジア地域には、近世になってもユダヤ人が流入している。第2次世界大戦の際には東欧諸国のユダヤ人が1万人以上流入したし、国内のユダヤ人も多数移住してきている。

・中央アジア以外ではグルジアで、「ユダヤ人」のプレゼンスが目立つ。例えばロシアのプリマコフ元首相はキエフ生まれのユダヤ系だがグルジアで育っているし、サカシヴィリ政権で国防相を務めたケゼラシヴィリもヘブライ語を話すユダヤ系である。また2007年大統領選挙に干渉した実業家パタルカツシヴィリも、ユダヤ系である。

・「ユダヤ系実業家」はソ連崩壊後の混乱期に、旧ソ連全域で暗躍した。ブハラ・ユダヤ人でロシアで成功した実業家としてはLevaevが有名で、彼はモスクワの大規模再開発案件に関与している。ベルギーに本拠を置く実業家ファッタフ・ショディエフはモスクワで日本語を学び、カザフスタン、日ロ関係でも動いている人物であるが、彼もブハラ・ユダヤ人と言われる 。タジキスタン等の利権をめぐって動いたチェルノイ(Chernoy)3兄弟もブハラ・ユダヤ系 で、現在はイスラエル等に散在している。

・彼らの多くはマフィアと呼ばれ、ミハイル・チェルノイのようにインターポールの指名手配を受けた人物もいる。ユダヤ系実業家の中ではベレゾフスキーが最も名高く(ブハラ・ユダヤ人ではない)、彼はロシアから放逐された後もキルギス、グルジア、ウクライナ等を頻繁に訪れ、利権ばかりでなく現地政情にも介入していたものと思われる 。経済力の弱いキルギスでは「ユダヤ系実業家」が暗躍することが多く、バキエフ大統領の時代にはアレクサンドル・マシュケヴィチ、イブゲーニー・グレヴィチの名が喧伝された。
・但し、これら「ユダヤ人」はまとまった勢力にはなっていない。彼らは「ユダヤ系」の人脈を個々に活用することはあるが、基本的にはばらばらに活動しているからである。また、彼らがイスラエル政府と緊密な関係にあって、その指令で動いているわけでもない。

・イスラエル自体も中央アジアにおいて、隠然たる勢力を持っている。小型の技術協力を実施してプレゼンスを維持している他、イランやサウジ・アラビア、そしてパレスチナ の動静を監視しているものと思われる。しかしタジキスタン、トルクメニスタンには大使館を持っていない。タジキスタンはペルシャ系で、イランとの関係が強いし、トルクメニスタンはイランの北辺に接しているため、イランがイスラエルの進出を阻んでいるからである。それでも「ブハラ・ユダヤ人」協会がタジキスタンとイスラエルの関係強化を仲介しているし、トルクメニスタンとイスラエル間の貿易は急増している。また2007年大統領交代に際して、前ニヤゾフ大統領の金庫番格であったZhadan大統領府副長官はイスラエルに逃げたものと思われている。イスラエルはトルクメニスタンとの外交関係増進に努めており、大使館開設にこぎつけたようである 。

なおイスラエルは、中央アジアに隣接するコーカサス地域においては、より直截な動きを示している。イラン及びトルコに対する抑えとして、グルジアに無人機を供与、グルジア戦争前には専門家も派遣していた 。アゼルバイジャンとイスラエルの関係については、前掲アゼルバイジャンの箇所を参照願いたいが、両者の関係緊密化に対してイランは神経質になっており、2012年バクーでイスラエル外交官がイランのエージェントに襲われたこともある。

・なお、グルジア及びアゼルバイジャンが、イスラエルのイラン向け前哨基地になるかと言えば、それには留保が必要である。というのは、イスラエルとこれら両国との間にはシリア、トルコがあるので、イスラエル機の上空通過を簡単には認めないだろうからである。

アゼルバイジャン
・アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアのコーカサス三国はトルコ、ロシア、米国も巻き込んで、複雑な相互関係を展開している。この中では石油・天然ガス資源を豊富に有するアゼルバイジャンが、最も自立性の強い外交を展開している。グルジアはEUとの連合協約に2013年11月署名し、アルメニアはロシアの圧力に負けてユーラシア経済連合に加盟する姿勢を示している中、アゼルバイジャンはそのいずれにも偏らない姿勢を維持している。他方これは、アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフをめぐって敵対関係にある隣国アルメニアが、国内にロシア軍基地を置いてロシアと緊密な関係を有し、また800万人と目される「アルメニア僑」のうち(アルメニア本体は300万人)かなりが米国に在住し、ロビー団体を形成して議会等に反アゼルバイジャンの働きかけを行っているからでもある。つまりアゼルバイジャンは、アルメニアにロシア、米国の双方を抑えられているため、行き場がない面もあるのである。従ってアゼルバイジャンにとってもっとも頼りになるのは人種的にも類似するトルコなのであるが、トルコは2009年にはアゼルバイジャンの肩越しにアルメニアとの外交関係樹立をはかろうとしたことがあるし、自国をロシア、アゼルバイジャン、カザフスタン方面からの原油、天然ガス・パイプラインのハブにして高めの料金をせしめようとする態度を隠さない。従って同文同種と言えども、アゼルバイジャン・トルコ関係にも打算が目立つのである。

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