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世界はこう変わる

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2013年4月27日

産業革命「第5の波」(ロボット化 無人化革命)の気配

19世紀の産業革命以来の工業化は、世界のGDPを数百倍にも押し上げた。そしてその間、いくつかの波があった。最初は軽工業、次に鉄道建設を契機とした重化学工業(大資本が必要なので、株式会社制度の普及を伴った)、次に郊外の戸建て住宅と電化をベースとした耐久消費財の大量生産(自動車、家電製品)、次にIT革命という具合。日本はこのうち耐久消費財の大量生産という波に乗って、大きくなった。

そして今、まだ括るべき言葉が見つからないのだが、「第5の波」が起きつつある気配がある。IT革命については、トフラー夫妻が「第3の波」(僕は第4の波だと思う)という名をつけて、現在のIT化社会を既に32年前に予言している。1990年代初頭、アメリカでIT革命、バイオ、医療機器を中心に経済の再活性化が起きたのだが、それがトフラー夫妻の予言したIT革命に相当する。現在、それに勝るとも劣らないパラダイムの変化が起きつつあるようだ。

いくつか現象を挙げてみよう。いちばん基本的だと思われることは、森羅万象に「センサー」が取り付けられて(あるいは街頭の監視カメラで万人の行動が把握されて)、それが発する情報を集めて様々に利用することができるようになってきたということだろう。これは、分割払いの支払いが滞れば、商品につけられたセンサーに指令を発して、稼働を止めるようなことに使えるだけではない。政府と市民、生産者と需要者がますます直結し、学問で言う「中間団体」(封建時代、国王と臣民の間に介在した領主とか、今日の役所の窓口、出張所とか、販売代理店とか)の役割が減ることを意味する。センサーを牛耳る者が、それを専制の強化に使うこともできる。更に、センサーが集める「ビッグ・データ」を解析するためのソフトの開発は新しい雇用を生むし、解析結果も新しいビジネスを生むだろう。

 次に、新しいエネルギー源が現れようとしている。太陽とか風力ばかりがもてはやされているが、主流はシェール・ガスで安くなる天然ガスから水素を取り出し、燃料電池に入れて電気を取り出すというやり方になるかもしれない。これは自動車にも家庭用にも事業所用にも用いられ、それらが売電されてコンピューターで(スマート・グリッドで)効率よく配電・蓄電される――そういう風になるのでないか。
これは例えば常温核融合のように、UFOのエンジンにもなり得るような、驚天動地の変革ではない。既存技術の延長に近い。シェール・ガス、シェール・オイルで、化石燃料の寿命は100年以上伸びると言われている。埋蔵量は大きいし、化石燃料の価格が下がることで、代替エネルギー源の開発は遅れ、化石燃料使用を前提としたエネルギー供給体制がこれからも続く。それでも燃料電池やスマート・メーター、そして超伝導電線など、効率を高めるための新しいモノは大量に生産され、経済を成長させるだろう。

次に無人化、ロボット化への動きがある。これは社会のあり方を大きく変える。ゲーム・チェンジャーと言えるだろう。自動車の運転を自動化する(「自動車」と言うくらいだから)技術の開発が進んでいて、これは運転手という職業を大きく減らしてしまう。
将棋では、コンピューターがプロ棋士に勝つのが、常態化してきた。人間の作ったロボットや人工頭脳が、単純労働の多くの部分を代替する日も近いだろう。無人化に伴って発生する余剰人員をどこで吸収するか、考えておかないといけない。それとも、一人一台のロボットを持って、ロボットに出勤させ給料も稼がせるようになるのか? その場合、空想科学映画にあるように、ロボットが人間に対して反乱を起こしたり、人間を支配しようとするのを防ぐことも考えておかないと。
まあいずれにしても、センサーとかロボットとか監視カメラとか、味気ない技術がのさばってくると、その反動として人間は文化面での欲求を募らせるだろう。既に街では、引退した団塊世代のための音楽教室が増えている。

もう一つ、これは日本で顕著になりつつあって、もしかするとEUの一部でもそうかもしれないが、人口が減少しているために、大都市の郊外電車の採算が悪化していく可能性があるということだ。乗客が減るからだけではない。沿線の開発が減ることが、私鉄の経営には一番痛いだろう。将来は、通勤年齢の親のいる家族は都心のマンションに居住、老齢化すれば郊外の戸建て、あるいは介護つきマンションにゆったり居住、ということになるのだろうか? 都心の保育園・幼稚園、小学校、中学校、高校を増やす必要が出てくるかもしれない。 

以上、現象を挙げることはできるのだが、それぞればらばらで、ひとつのトレンドとして何か名前をつけるとしたら、「ロボット化・無人化革命」ということだろう。これは、ビッグ・データに見られるように、この広い宇宙を支配している法則を人間がものにし、それを利用して儲けようという大変不遜なものでもある。創造主にチャレンジするものなのだ。ただ、これから莫大な需要を生むだろう宇宙関連技術などはまだまだだし、人類は足元の地底や海中のことも何もわかっていない。創造主にチャレンジすると言っても、まだ地球の表面をひっかいているだけなのだ。だからロシアなどは、これまでの4波にわたる工業化には出遅れていても、今回の波には乗ることができて、大化けすることができるかもしれない。

(これは、まぐまぐ社から配信しているメルマガ「文明の万華鏡」に掲載した論文です)

コメント

投稿者: 匿名 | 2013年5月 9日 01:05

印象的でした。

「単純労働の代替」としてのロボット化は、技術革新の範囲内であって、革命と
呼べるものではないのかもしれません。
ただ、「人間ができないことを、ロボットがやってのける」ことこそが、革命の本質
なのではないかと思います。
放射線レベルが高く、かつ瓦礫にまみれた現場で作業をするロボット。
24時間眠らず(当たり前ですが)、部屋の片隅でじっとたたずみながら、おじいさんや
おばあさんの異常を察知して通報するロボット。
そこには、効率性だけではない「社会的意義」まで含めた「社会を大きく変える力」
が秘められているような気がします。
そして、それらは、決して「味気ない技術」などではないのでしょう。

「余剰人員」という概念は、机のうえでは発生しますが、実際の現象としては、非常に
一過性のものなのではないかと思います。
ある産業で「人がいらなくなった」としても、いつの時代も、新たな産業や別の産業が
人材を自然と吸収していくのですから。

出版業界も、自動化・デジタル化で、古くからの「印刷職人さん」は、いまではすっかり少なくなりました。
理論上は、「余剰人員」がたくさん生まれたことになります。
ただ、実際には、多くの人々が、デジタル印刷の世界で、新たな仕事をしています。
需要にあわせて、自然にシフトしていくものなのです。
会社も、「余剰人員」をいつまでもそのままにしとくほど暇ではありませんし、人間の適応力も、「余剰」でい続けることをいつまでも許容できるわけではありません。

もちろん、なかには、適応できない会社、適応できない方が生まれてしまうことは
確かなのかもしれませんが。

引退した団塊世代向けの音楽教室が増えているのも、こうして「新たな産業(新たな儲け口)」を探し続ける企業のマーケティングの成果だと思います。

「大都市の郊外電車の採算が悪化していく可能性」は、確かに存在はするものの、
テレビや新聞を目にしていると、鉄道各社が抱える「課題」を「危機」だと勘違いするマスメディアの短絡的な分析も散見されるような気がします。

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