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世界はこう変わる

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2012年5月 5日

中国東北地方の人々の対外意識

昨年11月中国の東北地方に行ったときのメモで、まだ文章にしていないものがあった。それは、中国東北地方に生きる人々の対外意識である。東北地方は三方を北朝鮮、ロシア、モンゴルという外国、あるいは異民族に取り囲まれていて、その点では中国でもまれな地方なのである。ここに住む中国の人々がまわりの国々、そして日本やアメリカに対してどんな意識を持っているかは、重要なポイントだ。

学生たちの国際感覚

 長春の大学生たちがどんなことを考え、感じながら生活しているかについてはもうずいぶん書いた。大多数は外国のことをあげつらうよりは自分の就職、将来のことで頭がいっぱいだと言っていいだろう。競争と就職戦線のあまりの厳しさに落ち込んでいる者も多く、そのような学生にとっては、中国の保守系マスコミが鼓吹するナショナリズムは虚しいものに見えるようだ。「気分が沈んだら、『環球時報』(人民日報系の保守紙。若年層を対象)を読むんです。ここでは中国がいかに素晴らしい国かということを書き立てているので、その『中国』とやらに自分を当てはめて読んでいくと気が晴れるんです」という、ある学生の言葉がそれを端的に象徴している。

他方、威勢のいい学生たちもいる。僕の講義にそういう連中はいなかったが、話に聞いたところでは、国際関係の授業では教師以上に学生が「力」、「力」と言い立てるそうだ。アジアでは中国が中心で当然、東南アジアでも中国が断然優勢――そういうイメージ。アジアだけで(米国は入れずに)まとまってやっていこうという学生もいる。ある時、そうした場面でモンゴル人の学生が、「自分は、そんなアジア共同体に入りたいと思わない」と言ったとか。

この「力がすべて」という発想。これは19世紀末、国力が急速に伸びたアメリカでも見られたことだ(当時アメリカは、独立した王国だったハワイを無理やり併合している)。だが中国人が言い立てる「力」、「力」という発想は、僕がロシア人から耳にタコができるほど聞かされてきた、19世紀の帝国主義的発想に共産主義の調味料をふりかけたものの名残りではないのか? アメリカもロシアも中国も(そしてかつての日本も)欧米の帝国主義的勢力から身を守ろうとし、いざ自分の方が強くなると、他ならぬ帝国主義的行動をとろうとするのだ。

遠い米国

 当たり前のことかもしれないが、北京とか上海に比べると「東北」の場合、アメリカとの間の心理的な距離ははるかに遠い。東北地方の街を歩いていても、アメリカ人らしき人間に出会うことはほとんどない。そんな中で僕が大学での講義で中国人学生相手に、米国はアジアの一員であり、アジアの安定と繁栄のために不可欠の存在であると強調すると、かなり不自然な感じがする。日本人はなんで米国の肩を持つのか、戦争でやられたのに恨んでいないのか、と聞いてくる者もいる。それどころか、「米国は中国を押し込める気でいる」とはっきり述べる学生もいるのだ。
 それでも、外国語のなかで学習する人数が最も多いのは英語である。「北京で就職するのに有利だから」だそうだ。アメリカ政府も少しは努力している。僕のガイドがまだ高校生だった頃、英語の教師は小柄な黒人だったそうで、生徒たちは彼を「小黒」と呼んで、親しんでいたそうだ。彼もこの呼び名が気に入っていて、中国のことも好きだったそうだ。

ロシア

かつて中国とソ連の間の国境は世界最長だった。中ソ関係が悪い時代には、現在のカザフスタン、キルギス方面から新疆地方にソ連軍の戦車が侵攻してきたこともある。ソ連崩壊後、その国境の長さは半分以下になった。それでも4000キロもあるらしいが、その3分の2ほどは中国東北地方の黒龍江省が背負っている(残りの3分の1は内モンゴル自治区)。

(国境のあたりの写真は、次のサイトにいいのがたくさん出ている。
http://beibaoke.info/dongbei/dongbei_005.php
話に聞いたところでは、黒龍江省も北西の方に行くと森林地帯も増え、中ロの国境は不分明な個所もあるらしい。それと知らずに相手国領に迷い込むこともあるということである。またロシア国籍を持つ中国人なども珍しくなく、国境地帯で両国はそれぞれ浸潤し合っている。なお、これより西のモンゴルとカザフスタンの間で、中国とロシアが数十キロ国境を接しているところもあるのだが、ここは険しい山岳部なので大きな意味を持たない。

かつて満州と呼ばれていた東北地方は、ロシア帝国そしてソ連と少なからぬ因縁を持つ。もともと清王朝の版図は現在の国境であるアムール川をこえてはるか北まで(現在のウラジオストク周辺の沿海地方も含む)合計約150万平方キロ分も伸びていたのを、アヘン戦争後の窮状につけこまれてロシア帝国に略取されたのだし(1860年の北京条約等)、1900年の義和団の反乱の際にはロシア軍が侵攻して数万人もの中国人を殺戮したのである。

ロシア帝国軍は義和団の乱平定後も満州に居座り、朝鮮半島をうかがう姿勢を見せたので、日ロ戦争になった。当時ロシア帝国が建設したハルビンは同じくロシアが建設した鉄道の結節点であり、当時はここをシベリア鉄道の支線がバイカル方面からウラジオストックまでほぼ一直線に横切っていた。ハルビンで、南の旅順港へ向かう「満州鉄道」と分岐したのである。因みに、この満州里からウラジオストック方面へと抜ける東西の鉄道は今でも存在する。連結がよくなれば、ウラジオストックが中国東北地方北部への物流の拠点となり得るということである

なお、第2次大戦終結間際に満州に再び侵入して関東軍を撃破したソ連軍はそのまま居座り、1949年毛沢東が数か月も真冬のモスクワに滞在して屈辱的交渉をスターリンに強いられた末、やっとのことで中国の手に取りかえしたのである。中国人にとっては当時、アムール川の向こうに広がるブラゴヴェシェンスク、ハバーロフスクなどの街は当時、「工業が進んでいる」先進地域だったのである。

だがそのソ連は今やなく、ロシア極東地方は人口わずか600万人で、中国東北地方の人口の20分の1でしかない。今ではモスクワで売られている土産物のマトリョーシカ人形や、赤軍のピストル模型ですら、中国の東北地方で作られているらしく、瀋陽や大連では「ロシアの土産物」店が多い。ロシアは小さくなり、中ロ関係も矮小化した。中ロの国境紛争も、アムールの川中島をめぐる係争に局限化されて「すでに解決され」てしまった。その北に広がる、かつてロシア帝国にとられた150万平方キロの土地については、中国は「今は言わない」。また何かの拍子で中ロ関係が悪化すれば、中国は交渉のテーブルに持ち出してくるだろう。

矮小化したロシアを相手に、東北地方の大学生の間に広がっている意識は、中国に圧力をかけてくる米国に対抗するうえでロシアは有用、というご都合主義である。関東軍の「悪行」を記憶しておくための記念館は諸方にあっても、ロシア軍、ソ連軍のそれについての記念館は見られない(もっとも旅順には、ロシア軍による中国人殺害に言及している説明板はあった)。大連では、「ロシア人街」が観光名所として保存されている。国境の向こうのロシアでは、ロシア人が中国人のことをこわがっているのだが、こちらの中国人はロシアの経済が困窮していることを知りながらも、軽蔑よりは親しみ(たぶん、旧社会主義の兄貴分として、そして今では反米の仲間として)を感じているようだった。

北朝鮮

中国の東北地方でいちばん多くの人がその存在を意識している外国はどこかと言ったら、それは北朝鮮なのだ。ところが、その北朝鮮に対して東北地方の中国人が持つ印象は好ましいものではない。「北朝鮮がいちばんこわい。なにをやるかわからない。突然やるし」というのが、学生たちの気持ちだった。中国人も北朝鮮がこわいのだ。国の力はサイズに関係ないらしい。


コメント

投稿者: 高木清光 | 2012年6月27日 18:02

河東様

7月のご都合のよい日にROTOBOで講演をしていただければ幸いです。ただ、高橋副所長によると講演料はお支払いできないので2次会でお茶を濁したいとのことです。
無理なお願いですがよろしくご考慮を!
高木拝

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