Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
ChineseEnglishRussian

世界はこう変わる

Automatic Translation to English
Automatic Translation to English
2019年6月 2日

米国のmanifest destiny=西へ西へ

米中の貿易戦争では、米中相討ちだなどと言われるが、実際は米国の方がはるかに強い立場にあると思う。19世紀以来の「西へ、西へ」という米国の動きは今、中国にやっと至ったところなのだ。
以下は5月22日発行のメルマガ「文明の万華鏡」第85号の一部である。


 米国は面白い国で、当初は大英帝国に反発して独立したのだ。「代表なくして課税なしNo Taxation Without Representation」をスローガンに、帝国なるものに抵抗する共和政勢力であったのだが、独立すると今度は自分自身が帝国的なふるまいを始める。それはまず国内のインディアン抑圧、アフリカの黒人奴隷取り引きでの富の蓄積(ボストンの大商人は奴隷商売で蓄財しては、ニューポートの海岸に御殿のような邸宅をいくつも建てていく)、そして中西部まで開拓(分譲)し尽すと、今度は太平洋を西へ西へと進みだす。

 捕鯨船の進出、そして1849年のカリフォルニアでの金鉱開発、1869年の大陸横断鉄道の完成で、その動きは本格化するのだが、既に1852年、米国政府は民間からの突き上げも受けてペリー提督の率いる艦隊をアジアに派遣。日本、中国に捕鯨・通商拠点を設けようとした。これは平和的なおとなしいものではなく、軍事力で脅して利権を獲得しようとする、植民地主義的な行動であった。

 帝国志向は米国民すべてをあげての傾向ではなく、ならず者、山師、金融資本等一部の動きでしかなかったが、南北戦争後、産業革命も重なって米国経済が急成長し、米国の力が増大するにつれて、勢いを増す。その最大の表れは1898年の米西戦争で、米国はキューバ、フィリピンをスペインの手から奪うことを目的に行動した。中でもフィリピンでの米軍の行動は徹底していて、1899年からの米・比戦争では推定で最大150万のフィリピン人を殺しているのである。

 そして1894年には、米国政府の意向を受けたわけではないが、少数の事業家がハワイのカメハメハ大王以来の王国の女王リリウオカラニを武力で脅して退位させ、これに政府も乗っかって、1898年にはハワイを併合してしまう。

 これに先立ち、リリウオカラニの兄、先代カラカウア国王は1881年(明治14年)来日して、日本からの移民を招請、さらに日本とハワイの連邦化、そして同時に姪のカイウラニ王女を日本の皇室に縁組させることを提案した。日本政府は後者の2件は断るのだが(その代わり、移民はハワイに赴き、現在ハワイにおける最大の民族勢力となっている)、もし受けていれば1941年の真珠湾攻撃は起きなかったことだろう。もっとも日本は、米国によるハワイ併合を牽制するため、1893年には軍艦をホノルルに派遣している。その様は「日本政府は、アメリカによるハワイ併合の動きを牽制するため、1893年11月、邦人保護を理由に東郷平八郎率いる防護巡洋艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇させた。この行為については、女王を支持する先住ハワイ人たちが涙を流して歓喜したといわれる。」と描かれている(https://hinode.8718.jp/american_history_hawaii_1810_1898.html)。

 因みに日本の皇室と縁組みをしたかもしれないカイウラニ王女はその後、王位継承を目前にして国を米国に奪われてしまい、傷心のため23歳で早逝している。スコットランド人の父を持つ美貌で、もし日本の皇室に縁組していれば、どうなっていただろう。
 
 こう書くと、悪いのは米国だけのように聞こえるが、実は当時の日本も帝国志向。それも米国とぐるになっていた時代さえある。その最悪の例が1905年の桂・タフト協定。ここでは日本は米国が支配を進めるフィリピンに介入しない一方(既に1899年には、フィリピンの独立派の要請で日本の一部が兵器を発送したが、途中で沈没する布引丸事件を起こし、米国政府に抗議をくらっている)、米国は朝鮮における日本の指導的地位を認める、極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国による事実上の同盟によって守られるべきである、と定めている。

 これは、日ロ戦争で日本が日本海海戦でロシア海軍を破り、米国による調停活動が始まったころの協定で、米国は日本の帝国化を見越していたのである。近代国家というものは、国内の資源を集中して戦争を行い、領土を拡張することを仕事としていたので、こういう話しになる。

日本は結局、満州利権を独占しようとして米国と対立し、完膚なきまでに叩きのめされて、西太平洋における米国の橋頭堡となる。その途上では、フィリピンが日米両軍の戦場となって、100万人以上の民間人が犠牲となり、多くの歴史的街並みが破壊されている。そして米国は更に西に進み、今では中国共産党と中国大陸の利権を取り合っている――こういう構図になる。奪い合わずに、分け合えばいいと思うのだが。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/3844