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世界はこう変わる

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2010年8月13日

欧州は分解するか? EU篇

(長文です)
はじめに
5月の末、サラエヴォでの会議に参加する機会があったので、その機にブラッセルも訪問し、EU関係者の話を聞いた。折しもギリシャ金融危機たけなわの時だったので、次の大袈裟な懸念がどのくらい確かなものか確かめておきたいと思ったからである。

①PIGS諸国の赤字救済のために税金を使うことをドイツ国民が認めるかどうか
②ドイツがユーロ維持の負担に耐えられないと思ったとき、ユーロもEUも瓦壊するのではないか
③ドイツ、フランス、英国など欧州の大国の行動はこの頃スタンドプレーが目立つ。上記の事情もあいまって、欧州は協商とか同盟とか合従連衡を常とした第1次世界大戦前の体制に戻ってしまうのではないか
④そうなると米国は欧州から撤退して孤高化するかもしれず、そうなれば日米同盟もなくなるかもしれない

西欧は明治以来、日本の知識人にとっての目標だったし、旧制高校、帝大の学生は西欧文化・文明をわがもののように吸収して育っていった。われわれ団塊世代の外交官が研修にでかけた頃、西欧は豊かで自由な花園のように見え、米国研修の者も西欧で研修する仲間をいつも羨んでいたものだ。だから、現在のように経済的・社会的、そしてなによりも文化面で西欧が勢いを失って行くのを見るのはつらい。欧州には前向きの勢いを維持していってもらいたいのだ。

このレポートは書くのが遅くなったが、5月以降の状況にさして変化はない。なおユーロが下がったことがドイツ、フランスなどの輸出を増やし、ユーロ圏16カ国の第二四半期GDPは年率4%の成長を見せている。懇談相手の名前は伏せるが、いずれも、推測でものごとを言う人々ではない。

結論から言えば、
①ドイツはユーロから離脱しないだろう。EUに赤字国があるおかげでユーロがほどほどに落ちることは、ドイツの輸出にとって悪いことではない。
それにユーロから離脱してマルクを復活させれば、その途端マルクのレートは跳ね上がって輸出を困難にするだろう。

②しかしそれでもEUは価値観、教育も含めてあらゆる意味でアイデンティティーの磨滅化、自信喪失の状況で、リスボン条約実現後のEUをどうするのか、いっそうの改革に真剣に取り組んでいく必要があるだろう。
EUは常に統合深化に向けての旗印を必要とする。「小人閑居して不善をなす」のと同じように、EUも同じところにとどまっていると割れ目ばかりが目立ってくるのだ。

ヨーロッパの風景
日本からの機上でフライトマップをよく見ると、ヨーロッパというのはユーラシアの西端、こじんまりした細長い半島なのだ。だがそこにはライン川とかロワール川とか、数々の歴史とロマンがつまる。
今回はウィーンからヨーロッパに入る。上空から見ると、ウィーンの周りには広大な森が広がる。それはシュトラウスのワルツの世界を超えた、うっそうたる中世の森である。ヨーロッパではその昔、今のアマゾンの熱帯雨林と同じような光景が展開していたのだろう。
ウィーン空港に降りる直前、碧き(碧くないのだが)ドナウ川を飛び越える。岸にはうっそうと緑が茂り、ドナウを小川のように細く見せている。亜熱帯のおもむきだ。だが郊外の白壁の家、落ち着いた教会の建物を見るとヨーロッパはやはりいいと思う。
もっともこのオーストリア、この頃いつも極右が強い勢力を持っていて、とても箱庭のきれいごとでは収まらない。

ブラッセルでは中の下クラスのホテルに泊まる。備え付けパソコンもなし、部屋にはCNNもない。BBCは2つのチャンネルがあることになっているが、二つとも特殊サービスの女性を紹介する安手のチャンネルに化けていた。国際都市であるはずのブラッセルですら、英語は遠い。そしてアメリカはもっと遠い。
だがその誇り高きはずのヨーロッパも、この頃はどこか薄っぺたくなってきた。アジアの方が街は新品、人々の服装も趣味が良い。ホテルではフロントに7:30に起こしてくれと頼んでおいたのに、7:50にやっと電話が来たのなど、昔のヨーロッパでも同じなので驚かないが、歴史と文化の蓄積で迫ってくる感じはもはやない。ただ、だらしがないだけなのだ。

NATOとEUの本部があるブラッセルは、「国際都市」の典型である。欧州委員会だけでも様々な国籍の官僚4万名を抱える。だが僕にはどうもそのマイナスの点が目に付く。公衆トイレと同じでと言ったら悪いかもしれないが、皆真剣にブラッセルにコミットしていないのだ。無責任、無関心で、ここに終生住むとは思っていない。

ユーロは瓦解するか?
(1)ユーロは瓦解しそうに見えて瓦解しない。ギリシャがいかに重荷でもこれをユーロのシステムから追い出すための規定がない、という冗談みたいな理由付けに始まって、もっと本音に近い「ユーロが下がれば、もっと輸出ができる」という安心感の方が強いかもしれないからである。現にドイツは本年上半期、GDP成長率が跳ね上がった。まさにギリシャ様々の様相だ。
ドイツの場合、ユーロをやめてマルクに復帰したりすると、そのレートは途方もなく跳ね上がり、数年間にわたって輸出を困難にするだろう。過度のユーロ下降はインフレをもたらすので良くないが、現在程度の下降は加盟国の経済にとって良い要因なのだ。それにドイツ国民は、ユーロには懐疑的だがEUに対しては支持する姿勢を崩していない。

EU北部の諸国が一生懸命貿易黒字を稼ぐ。それはユーロのレートを上げがちだ。すると北部諸国に生産性で劣るEU南部の諸国は輸出ができなくなる。そのために起きる経済・社会問題に、彼らは財政赤字を増やすことで対処しようとする。その財政赤字がユーロを過度に下げれば、北部の諸国が南部を財政支援するなり、ユーロの買い上げ介入するなりして、辻褄を合せる――EUはこのような構造になっている。

(2)しかしものごとには限度があるので、ギリシャの負債がこれからまたピークを迎えれば、せめてその一部だけでも返済猶予を認めざるを得ないだろう、という声も研究者筋にはあった。

EUはもつのか?
(1)ある若い研究者は、EU、あるいは「ヨーロッパ」なるものへの熱い思いを僕に語った。彼女によれば、「EUの統一性というのは宗教のようなものなのです。加盟国のなかにはEU反対の政党が支持を伸ばしているところもあるし、若い世代にも、EUが推進する(移住等)自由化のせいで自分は職を失ったと考える者が増えています。でも自分は、EUの統一性はいいものだと信じています。EU諸国の法律の80%はEUベースのものだし、『EU内はどこにでも行ける』という感覚は大事にしなければいけません」ということだった。

(2)彼女はさらに言う。「問題は、若い世代が、EUは自分たちの暮らしの向上に役立つことを理解していないことなのです。『ドイツとフランスがふたたび戦争しないようにEUを維持しましょう』と言っても、戦争を知らない若い世代にはもう効かないのです。EUがわたしたちの生活にとってどんなに重要なものかを、よく説明しなければなりません。例えばベルギーでは政府がもう6カ月、実質的に不在なのですが、以前のようにユーロがなければ、通貨のギルダーは暴落していたことでしょう。そうしたことが第2次大戦につながったのです(注:日本では政府はつとに麻痺しているが、円は暴落していない)」

EUと市民の間のギャップ――EUガバナンスの問題
(1)市民にとってEUの御利益が見えにくいのは、EUが官僚のヌエみたいな存在に止まって、「顔」が見えないためである。2009年12月に発効した「リスボン条約」で常任ポストとしてのEU理事会議長(大統領と通称される)、EU外務・安全保障政策上級代表(EU外相と通称される)職ができたが、加盟国はこれらポストにおとなしくて目立たない人材を送り出した。
 EU委の官僚たちももっと顔の見える広報をするべきなのだろうが、EU委は加盟各国によくいろいろな問題の責任をなすりつけられることもあり、市民の間におけるイメージが悪い。鼻もちならない秀才の高給取りと思われているのだ。それに彼らはもともと、市民に対して説明することを自分達の仕事とは思っていない由。

(2)民主主義国では、行政府と市民の間のリエゾンは議員が果たす。EUの場合も、それは欧州議会の議員の役目だ。ところが今回ブラッセルでは、「欧州議会に良い人材が来ない。今ほどの権限が欧州議会になかった時分でも、もっと権威のある人々が議員になった。現在では加盟各国の政党が本国では使えない人材を送り込む場となっている。議会の規則も複雑すぎて、議員の活動を妨げている」という声を聞いた。なお欧州議会の議場はストラスブールとブラッセルの双方にあるが、議員はブラッセルに居を構えている由。

(3)リスボン条約発効の結果、「EUの統合を強化するため」、「トロイカ」体制が改変された。これまでのトロイカは前議長、現議長、次期議長からなる政策協議フォーラムだったが、現在のトロイカは、①EU理事会議長国首脳、②欧州委員会委員長、③EU理事会の事務総長から成る。だが、「今に至るも誰が何を担当するのか、はっきりしていない」ようだ。新任のファン・ロン・パイ理事会議長(大統領)は経済(そして俳句)にしか関心を持っていないため、政治面でEUの統合を進めることは当面難しい。

(4)欧州委員会の委員(大臣に相当)のポストは、相変わらず主要国の既得権となっていて、彼らの間で決められているそうだ。けしからないと思っても、そうしておかないと、EUがらみの案件がこれら諸国で通りにくくなる。また委員自身も、出身国を背景にして初めて発言に重みが出るというジレンマがある由。

「誰と話していいのかわからない」EU
リスボン条約でEU大統領、EU外相と通称されるポストができたことは、これまでもヤマタノオロチのように頭がいくつもあった欧州に、さらに新たな頭を付け加えることになった。後出のように、オバマ大統領は「EUは誰と話し合ったらいいのか見当がつかない」として5月のEU・米定期協議に来なかったし、6月にEUとの第25回首脳会議を行ったロシアも、ファン・ロン・パイ議長相手にのれんに腕押しの感を得たもののようである。ロシアの場合、これまで欧州委員会の官僚を相手にするより、主要加盟国首脳と個別の取引でものごとを決めてきたので、戸惑いは大きいことだろう。

米欧関係の停滞と相対化
5月マドリッドでのEU・米協議は、リスボン条約下の新しい体制が発足して以来初の、米国大統領・EU首脳の顔合わせの場となるはずだった。ところがホワイト・ハウスは2月の時点で、オバマ大統領は行かないことを明らかにした。EU議長国のスペインとEU委員会の間で、会議の場所、オバマの会談相手などをめぐり果てしない争いが起き、招待すら届いていなかったことが、ホワイト・ハウスを怒らせた。
このため、EUの関係者の間には困惑と失望が広がっている。欧州の連中はもともと、オバマを「アジア重視」の大統領と見ているので、今回もその印象がさらに固くなったようだ(自分が悪いくせに)。

しかし、ある若手の研究者はこう言った。「EUが求心力を維持できているのは、別にその行政権限が強いわけではありません。行政権限は何と言っても、各加盟国の方が持っています。『EU』なるものが求心力を持っているのは、自由、民主主義、人権という価値観のおかげです。そしてEUがそうした価値観を保持できる環境を作ってくれているのは米国なのです。それなのに、われわれはそれに気がつかない」

リスボン条約の次の旗印を――だがそれは「統合強化」の単なる延長なのか?

遠心的傾向が目立つ最近のEUは、統合強化へ向けての次の旗印を必要とする。
そのことはEU関係者も自覚していて、たとえば最近欧州委員会が公表した"Europe 2020"などはその「新しい旗印」の実例だと言う者もいた。これはもっぱら経済政策に関するもので、現在の世界金融危機による落ち込みから立ち上がり、必要な改革を行いつつ2020年までには成長と分配の間でうまくバランスの取れた「社会主義的市場経済」を作り上げ、それによって欧州を「黄昏」から救い出すというものである。このあたりが6月のG8首脳会議で米欧が合意した、「2013年までに財政赤字を半減させる」という目標の裏付けを成しているのだろう。

だが、この"Europe 2020"は財政政策面での統合・調整強化を定めていない点で、実効性を大きく欠く。そして政治面での統合強化という、定番のロマンをこれからどうしていくかという問題が出てきているのでないか? 前記のように、「ドイツとフランスが戦争をするのを防ぐために」統合を強めようというargumentは、有効性を失ってきたのではないか?
では、何を旗印にするのか。経済政策だけでは、世論を喚起することはできない。EUはヨーロッパの歴史までさかのぼり、ヨーロッパをヨーロッパたらしめているものを深く吟味して、それを同一性の旗印とするべきではないか?
 
欧州的価値観の黄昏
最近の欧州を見ていて心配なのは、Good old Europeが明らかに消えていきつつあることだ。イスラムを放逐した勢いに乗ってインド・アジア航路を牛耳り、中南米の金銀を簒奪して以来、欧州の経済は上昇の一途をたどり、遂には産業革命、株式会社の導入によって桁違いの経済力を生み出した。それがもたらした生活水準の向上と権利意識の広がりに乗って、ロックやルソーの政治思想が確立され、それはルネッサンス以来のギリシャ・ローマ文明摂取も伴って、ウィスキーのように香醇で深い香りの欧州文明を生みだしたのだ。

ところがギリシャ・ローマ古典の学習は多くの国で必修ではなくなり、他民族が大量に流入し、経済も挫折するに及んで、欧州はこれまで欧州を欧州たらしめてきたいくつかの重要な要素を失ったとも言える。それこそが、欧州の知識人の間に今見られる深い絶望感、そして諦観の背景にある問題なのである
明治以降、われわれが吸収・修得に努めてきた欧州的価値観はひとつの危機にある。だがそれは、欧州の独占物ではない。自由、権利意識、市民社会的価値観は、経済的に高い水準に達した社会が自然に共有していく価値観なのであり、勢いを増す中国に隣接する日本にとって欧州の黄昏は切実な問題なのだ。               (了)

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