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世界はこう変わる

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2017年1月 3日

世界のメルトダウン その30 まとめ

(14年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第30回。これにて完結)

まとめ

国内政治であれ、国際関係であれ、ものごとを動かす大元は人間の欲望である。その欲望とはエイブラハム・マズローの言うように生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求、あるいはキリスト教に言う七つの大罪――高慢、貪欲、ねたみ、憤怒 、貪食、色欲、怠惰――のようなものである。人間は部落、都市国家、公国、王国などの単位に集合し、国王、あるいは支配集団の欲望を実現するため、他の集団と戦って紛争を起こす。その時、彼らの欲望には宗教、人種的優越、ナショナリズムなど様々の旗印=イデオロギーがつけられて、集団を鼓舞する。欲望とイデオロギーが合体したものを情念と呼ぼう。情念同士の闘争――これは、世界史を通じて不変の要素である。

その情念実現に向かって運動する主体には、様々のものがある。右に触れたように、それは部落から始まってテロ・武力集団、王国、近代国民国家、帝国、国家連合などの形を取る。そしてこれら主体は、資本主義下の企業と同じく、統合と離散を繰り返してきた。ペルシアによるオリエントの統合、秦による中原の統合、アテネによるデロス同盟の形成、アレクサンドロス大王の大王国、ローマ帝国、イスラム帝国、フランク王国、モンゴル帝国、オスマン・トルコ帝国、ハプスブルク家による神聖ローマ帝国、ナポレオンの欧州制覇、大英帝国、ロシア帝国とソ連、戦後米国によるグローバル自由市場の樹立、そしてEU設立等が統合の実例である。

現代の世界が溶融しているように見えるのには、いくつかの理由がある。近代国民国家の多くが多民族化して国民国家=単一民族国家という神話を過去のものとしていること、そして近代国民国家は社会が多様化してガバナンスを失ってきたこと、多国籍企業、国際テロ組織、NPO、傭兵会社など、新しい――と見える――主体が登場してきたことによる。

しかし、帝国が生起する過程では征服戦争が起きるものだし、帝国が崩壊した後には多数の群小主体ができて紛争を起こすものだ。多国籍企業、国際テロ集団、NPO、傭兵に類する存在も古くから存在し、帝国の力が後退する時期には力を発揮していたのである。この点では、歴史は繰り返しなのであり、田中明彦が「新しい「中世」- 21世紀の世界システム」(1996年)で指摘しているように、現在はソ連が崩壊、米国が後退した「帝国空位」、中世の群雄割拠の時代に似ているのである。

だが、現在の国際政治を観望して、これは単なる繰り返しで、新しいことは何もない、国際政治とは畢竟、人種と人種、国と国の間の闘争なのだ――あるロシアの歴史家が筆者に述べた言葉――と断じていいのだろうか。 西欧近世には、「進歩」という概念が現れた。それまで農業、手工業、鉱業しか富を生み出す手段がなかった社会では、英国の経済史学者Angus Maddisonが推計しているように、世界全体のGDPは殆ど増加しなかった。そのわずかな富は少数の支配者にほぼ独占され、大多数の人間は富と権利を奪われていたのである。

しかし十六世紀西欧の歴史は、この停滞構造から抜け出していく。南米から略奪して持ち帰った大量の金銀が起爆剤となったのだろう。16世紀末から西欧は、「長い16世紀」と呼ばれる、経済成長期を迎える。英国の小金持ち、銀行等は十八世紀、アジア産衣料を輸入する代わりに、英国内で機械生産することに投資を行い、産業革命が生起する。鉄道建設とそれに伴う製鉄等の重工業の発達、それに必要な多額の資本を調達するための株式会社制の普及、更には十九世紀末からの電化・自動車文明の発達は、欧米諸国のGDPを中世の数百倍にも増やし、出現した労働者階級はやがて中産階級となって、民主主義政体の基盤となっていく。

この過程の中、ほぼ同時に整備された近代国民国家は当初、絶対主義王政の頭を国王から議会(貴族、郷紳など支配階級の代表)にすげかえたものに過ぎなかった。十七世紀、英国議会は欧州でも最も高率な物品税を国民に課し、その資金で海軍を整備、世界の海運の利権をオランダから奪った。そして出納管理のために官僚機構を整備したのである(「財政・軍事国家の衝撃」ジョン・ブリュア)。フランスはその英国と海外の植民地獲得を争ううちに疲弊し、増税しようとして一七八九年の大革命を起こしてしまう。

事態収拾のために保守層に担ぎ出されたナポレオンは、近代国民国家の諸制度を整備した。それは法典編纂から始まって、国歌の制定にまで至る。彼は「自由、平等、博愛」という旗印でナショナリズムをかき立て、当時欧州では初めての徴兵制を正当化するのである。当時の国民国家は、国民から税を絞りたて、国民を兵士として徴発するための装置、「戦争マシン」と呼べるものだったのである。

しかし、産業革命で生起した中産階級は、権利意識を持っている。彼らが選挙権を獲得すると、諸政党はその票を求めて、社会保障を競って拡充するようになった。第二次大戦後、西欧、日本の諸国家は戦争マシンであることを止め、自衛と社会保障に注力するようになった。

この十八~二十世紀に至る近代国家変質は、十七世紀西欧に出現した近代政治・社会思想、つまりジョン・ロックの自由論、ジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論などの理想が着実に普及していく過程と見え、「進歩」であるとされた。一九九一年冷戦が終わり、これらの価値観が世界に普及したと思えた時、米国の思想家、フランシス福山は、「歴史の終わり」を宣言したのである。歴史は、帝国と群雄割拠の繰り返しではない、「人間の権利の増大」という右肩上がりのプロセス、前進の過程なのだ、という認識がその底にある。

ところが国際情勢は、二〇〇一年九月十一日、国際テロ集団のアルカイダによるニューヨーク国際貿易センター・ビルの破壊で2700余名もの米国民が死亡したことで、予想外の展開を見せ始める。米国はイラクに侵攻したが、その大義名分として掲げたフセイン政権による大量破壊兵器開発の証拠をつかむことはできず、イラク人捕虜への拷問も暴露されて、自由、民主主義の旗手としての信用を失った。そして、イラク戦費で通貨供給が膨み、投機に回ったことも一因となっただろう、二〇〇八年のリーマン・ショックで米国は海外派兵への意欲を失い、その間隙に中国とロシアがつけこむこととなった。

こうして現代の世界は「無極化」の様相を呈し、大国のエゴが剥き出しになりやすい。そしてこの三百年間、工業化による進歩から取り残された国々においては、先進国に対する憎悪、羨望が渦巻き、それはテロ、あるいは経済難民という形で噴出する。そして先進民主主義国家においてはガバナンスの喪失、資本主義の成長力喪失が指摘されている。多国籍企業、NGO、国際テロ組織等、国家以外の主体も動きを強めている。

これら様々の主体が起こす紛争の性格は一様ではない。いわゆる先進国の間では古典的な領土紛争・国境紛争が起こることはほぼなくなり、戦後米国を中心として確立したグローバルな自由市場は、TPP等自由貿易協定のネットワークの深化で益々進化している。他方、途上国の多くやロシアは、工業化に乗り遅れたが故に、国内を集権・権威主義で治め、外国との問題は経済問題でさえも指導者の間の政治的な談合で解決しようとする。

工業化以前の諸国A、中途半端な工業化しか実現できなかった諸国B、先進諸国C、このA、B、C三種の国家の間で起こる紛争は、A対A、A対B、B対Cなど組み合わせによってその様相を異にする。例えばロシアと先進国の間の対立(B対C)は、冷戦時代の共産主義の是非というイデオロギー問題を除去され、持てる国と持たざる国の間の対立、つまり南北関係A対Cに近似したものになっている。

つまり現在の世界では、異質の紛争が同時並行的に進行する「紛争の重層構造」が特徴的であり、対処の仕方もそれぞれに異なる。国際テロ組織、傭兵組織等、国家以外の主体がうごめいていることも、事態を一層複雑なものとする。
 
以上の情勢においては、二つの問題を指摘することができる。一つは、米国を核とする世界統合の過程は永久に止まってしまったのか、米国がその法を外国企業にも適用するのを止めていないこと等を見ると、米国を核とする世界統合はこれからも進むのではないか、という問題である。

もう一つは、「進歩」は止まってしまったのか、あるいは「進歩」なるものは見せかけだけだったのか、という問題である。リーマン・ショックからの回復がこれから更に進み、工業化の恩恵が中進国、途上国にも浸透していく長い物語が再開されるのだろうか。それともそのような想念は夢物語で、途上国の人間は先進諸国の企業による直接投資(直接投資の行く先は一部の国に集中する)、先進国への移民、出稼ぎ、あるいは経済難民という手段に依存し続けるしかないのだろうか。

世界は溶融しつつある。新たな秩序が見えてくるまで、十年以上はかかるだろうし、そんな悠長なことを言っている間に人類は倨傲や怨念などの情念を前面に立てて相戦い、地球を住めないところにしてしまうかもしれない。

そして更に全く新たな要素として、人類の技術がこれまでの神の領域に侵入してきたことがある。遺伝子工学は生物としての人間を変えてしまうし、人工知能の発達は軍隊の無人化を招き、そのうちには「戦争犯罪を冒したロボット」の責任をめぐる国際法も作らなければならなくなるだろう。もっとも五十年後には、人知をはるかに上回る人工頭脳(シンギュラリティー)が出現し、人類の大部分を奴隷のように従え、紛争など起こり得ない文明を築いているかもしれないが。

以上が、現代の見取り図である。

(注:これを書いて半年経った今では、米国でトランプ大統領が登場することで、世界の情勢はますます剥き出しの力、没価値の打算が支配することとなる。それが短期の間奏曲的なもので止まるか、それとも世界を長期にわたる混迷の中に投げ込むことになるのかは、これからの見ものである)

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