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世界はこう変わる

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2016年11月 7日

世界のメルトダウン その21  理念の時代から情念の時代へ 理念より利権

(13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第21 回)

理念より利権

 いつの時代、どの国での紛争も、一見理念の対立をめぐるものであるように見えながら、その実背後には利権(富の塊、あるいは富の源泉)をめぐる熾烈な争いがあるものである。たとえばウクライナやエジプトでは、一部の者が社会の富を独占し、特権を貪っている。それに対してインテリは自由と民主主義を求め(実際には、自分たちにも富を与えろという意味なのだが)、大衆も「飯を食いたい。奴らの方が良い飯を食っている」という一念で立ち上がり、政権を倒したのだが、そうなると別の有力者が台頭して利権を独占し、インテリや大衆は再び放置されるのである。ここでは、「理念より利権・利益」ということなのであり、国際政治の分析も理念より利権の研究に向けられるべきなのである。

同じことは宗教についても言える。宗教対立の裏には、必ず利益の対立がある。例えばイスラムについて、「イスラムは何を考えているのかわからない。イスラムは西側の文明を憎んでいる。野蛮だ」とか、「サウジ・アラビアはスンニー派、イランはシーア派、だから両者は敵対している」などの言説が横行、イスラムという宗教があるかぎり世界に紛争は絶えない、と言わんばかりである。しかしイスラムは元々、ユダヤ教(キリスト教もそうだが)の旧約聖書に――コーランは旧約聖書を大衆用にわかりやすく説明したものと言える――、オリエントの通商都市国家のモラルを付け足したようなものなので、本来は近代文明に敵対するものではない。

サウジ・アラビアがスンニー派、イランがシーア派に属して相争っているのは事実だが、両国は宗派が違うから対立しているのではなく、昔からアラブ人、ペルシャ人として対立してきたから別の宗派を選んだので、原因と結果を倒置させているのである。別の宗派を選んだために、サウジ・アラビアでは俗人である王家が支配し、イランではイスラムの聖職者が支配する。この差もまた両国の対立の背景にあるのだが、それもまた理念の対立と言うよりは、双方の既得権益層が自分の支配を突き崩しかねない相手国の支配構造に恐怖心を持っているからなのである。

イスラム・テロについては、イスラムの理念が背景にあると思われている。確かにジハードの戦士として自殺攻撃をしかけてくる者達は、狂信者であろう。しかし狂信者を養成し、それをテロに送り出す者たちは多くの場合、信仰よりも名誉心や物欲に動かされているのである。

そしてISのような組織では、出稼ぎ気分の方が強い兵士もいるようだ。中央アジアの一部の諸国からは、石油景気で沸くロシアやカザフスタンへの出稼ぎがこの数年非常に多かった。国際原油価格の暴落でロシア経済が後退したのと時期を同じくして、これら諸国からISへの志願者の数は急増した。これら志願者の多くにとっては、「イスラムより収入。理念より利益」ということなのである。

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