Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2012年1月16日

中国――異次元の超大国 2 日中関係

中国――異次元の超大国
――中国がGDPで世界一になる日に備えて――

その2 中国人、日本人、互いに相手にとって何なのか?

福沢諭吉「文明論の概略」逆転の時代? 

明治の昔福沢諭吉は、日本は「アジアの悪友とつきあっていては」発展できず、西洋の植民地にされてしまうと書いた。その後150年間、日本は「欧米なみ」になろうとし、今や欧米文化の吸収度、同化度は大したものとなった。

だがこの数年、米国や欧州は経済危機の瀬戸際にあり、欧米が掲げてきた自由、民主という価値観も、イラク戦争以降は素直に信ずることができなくなった。中国が台頭した現在、時代は明治と逆転し、日本は「欧米の悪友とつきあっていては」発展できない時代となったのだろうか? 日本人は、「自分たちは中国とくらべて民主主義的なのだ」と思い、そこに誇りを求めてきたが、その民主主義は今やポピュリズムに堕しガバナンスの喪失をもたらすばかりになっている。それなのに欧米モデルにしがみつく日本は(そして自分も)、今や滑稽に、あるいは旧弊にしがみつく幕末の日本に似ているのかもしれない。

今回の旧満州地方旅行では、なぜか「日中は同文同種だ」という人種的・文化的親近感を強く感じて帰ってきた。これまでは、中国人が日本人に「同文同種」という言葉で友好を求めてきたのが、中国のGDPが日本のそれを抜いたせいだろうか、日本の方から中国人に友好を求めるという、心理的な関係の逆転が生じたのかもしれない。僕は小さいころから個人主義、合理主義の欧米的価値観のなかで育ってきたので、こうやってアジアが急速に近づいてくると戸惑ってしまう。中国が大きくなると、日本はアジアの中に閉じ込められてしまうのか?

中国を旅行していると、欧米は非常に遠い存在だ。だが日中の間は2時間強の飛行時間しかない。そこを飛んでいると、日中は一つ、つまり中国と日本は互いに地方のようなものだったのだという実感が湧いてくる。だが他方、その分欧米がまた近づいてくる。つまり日中が一つの文明に属していたとしても、日本人も中国人も欧米文明というものとは付き合っていかねばならない、欧米やイスラム世界がわれわれに対して持っている意味は、これまでと何ら変わりないというわけだ。

それでも僕には、アジアと欧米の間での自分の立ち位置、日本の立ち位置がまだひとつわからない。どうしたらいいのか、まだ考えている。いずれにしても、中国に対して抑止力を整備するのはもちろん必要だが、不必要に対立したり対抗しようとしたりする必要はあるまい。

こうして、中国についての安全保障の問題、価値観・文明の問題に書いたので、次に日中関係についてもう少し生活実感に近い方に下りて観察してみたい。

中国についての最新情報でも現実からは後れている時代

我々の中国に対する理解の多くは中国の急速な変化からいつも後れがちであり、非常にちぐはぐなものになっているということだ(それは中国人の対日理解についても言えることだが)。それはたとえば、「中国は崩壊する」の類の議論であり、また「中国では国営企業の民営化により、年金、医療保険などの社会保障体制が壊れてしまった」という見方である。かなり大きな経済を築き上げた中国が、それほど簡単に「崩壊」しないだろうことは米国や日本と同様だし、東北地方ではまだ年金・医療制度が機能しているようだ。国営企業が数多く残っているからだろうか。

僕が大連空港から帰国する時、ターミナルの入り口で手荷物検査があった。日本人の若いビジネスマン2人が中国をいかにも馬鹿にした、上からの目線で話し合っている。「何でこんなところでやるんでしょうね?」。ターミナルの中でのテロを警戒しているから、荷物を調べているのだろう。外国の事情をわかろうともしないということでは、日本はもうやっていけない。ビジネスをする場の情勢を謙虚に調べる気持ちがなければ、ビジネスマンの資格はない。

中国人の対日感情は刻々と変化する

中国人の対日観は広い中国のこと、それぞれが日本とどういう関係を歴史上結んできたか、現在日本企業・日本人がどのくらい進出しているかによっても、変わってくる。そして日本人も中国人も互いのことをいつもじっくり考えているわけではないので、時々のニュースによって互いへの好悪は上下するだろう。

例えば、日本企業が2000社ほども立地し、日本語学習者が推計で20万人にも上る、つまり日本との関係で生計を立てている者が多い大連における対日感情と、かつての満州国の首都で関東軍の本部があった長春では、対日観はかなり異なる。長春では、いくつか残る満州国時代の建物についてはたいてい「偽」の字がつけられている。「偽満州国皇帝」、「偽外務省」といった具合だ。あまりその数が多いので、この世ではいったい何が真で何が偽かわからなくなってくる、今の日本にもけっこう「偽」の役所はあるではないかと、シュールな気持ちになってくる。

昨今の中国は以前より日本に対して余裕をもっている

7年ほど前、上海に行ったときには既に、杭州へ行く電車の沿線に日本企業の工場がずらりと並んでいた。その頃中国のGDPはまだ日本の数分の1だったので、海の向こうから日本が大きくのしかかってくるような感じがしたものだ。今回行った長春にはトヨタの工場があるが、日本のプレゼンスはもはや感じられない。中国は中国だけで存在しており、日本だけでなく外国という存在そのものが「目でない」(irrelevant)という感じだった。

この20年、日本が経済不振と国内の争いで沈む一方だった時、中国は右肩上がりで経済も、国際政治における地位も伸ばしてきた。そしてそれは2011年、GDP値で日本をいよいよ抜いたことで確定した。日本はもはや安全保障においても、経済においても、中国にとって決定的な意味を持つ国ではない、国内政治に没頭する現在の日本は国際政治においても大したことはできない――中国の識者はこう思っていることだろう。 (但し今でも、中国人が日本に住むと、その多くが日本に惚れ込む。「日本では、ただ金を稼ぐということだけでなく、アプローチが総合的だ」ということを言う学者もいた)

今でも日本に留学して就職することを夢見る学生もいるが、中国の青年たちは一般に、以前よりは余裕をもって日本を見ている。生活がそれほど悪くなくなって、あえて「自分たちの生活を惨めにしている者は誰か」という犯人捜しをし、日本を槍玉にあげなくてもよくなったためもあるだろう。その点、日本人の方が中国に対して余裕がなくなり、神経をとがらせている面があるので、それが過度になると中国人から冷笑されかねない。

昨年、天津で講義した時には初日に尖閣での漁民逮捕が起きたし、今回は自衛隊が北海道から戦車を移送しての奄美島演習があった。これは島を中国に占領された場合を想定し、奪回作戦を演習したのであるが、中国のテレビ・ニュースは対日警戒を煽るというより、「いつまでもうるさい日本」、「冷戦も終わったのに」という上からの目線で落ち着いた解説がなされていた。

中国人も言葉より実感で判断する

中国人は共産主義イデオロギー教育を受けている、いや毛沢東主義だ、反日愛国主義教育も受けているからやっかいだ、ということになっている。だが現代の日本人が天皇陛下崇拝で凝り固まっていない(中国とかロシアでは、日本人は天皇陛下を神のように敬っているものと、今でも思っている者が多い)のと同じで、中国人、特に青年はもっとドライだ。大連では、共産党の本部(委員会)など市には無いと思い込んでいる者がいたし、「心が沈んだ時には環球時報を読んで、『ああ俺は、こんな素晴らしい国に住んでいるんだ』と思うことにしている」と冗談を言う学生がいた。環球時報は名だたる保守系紙で、日本ならば右翼的な論調で鳴る新聞である。その学生は、この環球時報に書いてあることは大げさで、中国の現実はもっと憂鬱なものなのだ、と間接的に言っているのである。

今の学生たちは1990年代に生まれたので、「90后世代」と呼ばれている。その1世代前の「80后世代」は高度成長期を反映してオープンで自由といった特徴があったそうだが、90后は生まれた時から先進国的な環境のなかにおり、中国が外国からODAや直接投資を得て大きくなってきた経緯を知らない。そして最近では就職難にも遭遇しているので、ものの見方はドライだ。こういう連中には、日本人の対中警戒心は滑稽に見えかねない。日本の青年たちが2005年の反日デモを見て鼻白み、中国に対して敵意というよりは呆れていたことの裏返しだ。それに日本側が何を言っても、ドライな90后世代はそれを信じようともせず、日本をおしつぶしてしまう可能性がある。

関係のルール、けじめは明確に。そして交流・協力を

だからと言って、中国に対する警戒を解けとか、すり寄れとか、そんなことを言っているのではない。日本は泰然と兵力を整備して抑止力を築いたうえで(そのことを中国人に隠さない。誇りもしない)中国と交流、協力を進めていけばいい。そのようなやり方は失礼だとか、狡猾だとかいう、取りこし苦労をするのは、この広い世界で日本人だけだ。中国には、われわれとして考えているルールを平静に説明すればいいのである。僕が今回、東北師範大学の学生たちに言ったのは次のことだ。

①日中は互いに子供っぽい力くらべはやめ、相互利益を実現する。
②互いに、要求を100%実現できるとは期待しない。互いに過大評価、過小評価を避け、できるだけ実像を理解する。
③互いにできること、できないことがあることを認識する。
④互いに防衛力は保有するも、係争問題の解決に武力を使用することはしない。
⑤米国をアジアの一員として遇する。欧州、ロシア等とも協調する。
これに対して、学生たちはうなずいていた。

中国の大学で過ごした実感

 ここで、以上の議論のもとになった、現場の情景、意見を紹介しておきたい。「2011年旧満州の旅・その1 長春」でも既に紹介したが、ここに長春の東北師範大学の情景を再録しておく。

―― 中国の大学の設備や学生たちの服装・風俗は、もはや日本とさほど変わらない。学生たちは日本やその他の外国のことなどほとんど考えておらず、考えているのは将来の進路、そしてガール・フレンド、ボーイ・フレンドをどうやって見つけるか、といったところだろう。日本は留学先、就職先としてまだかなりの需要があり、日本の生活に憧れている学生も多い。
東北師範大学はもともと女子学生が多い所で、彼女たちのなかには隣接の体育大学の逞しい男子学生に思いを寄せる者も多いらしい。大学の設備とか清潔さは日本の大学の70年代と現代を混ぜたような感じで、教師用の寮ではかすかに、しかしかなりきつくトイレの臭いが漂う。だが、学生の服装や顔つきは日本の大学生と区別はつかない。但し長春では茶髪はほぼいない(大連では見かけた)。
全寮制だとかで、学生食堂は朝から壮観である。体育館のように広い食堂がほぼ満員となる(一斉に揃って食事を始めるわけではない。三々五々と、と言うか、柳の並木に霧が立ち込め、そのなかに薄日が差し込むキャンパスをひっきりなしにやってくる)。食堂は話し声と食器のふれる音で満ちる。その発するエネルギーたるやすさまじい。僕が食べる目の前では、通訳を務めてくれている学者が、瀋陽の知人と携帯で、僕の列車の切符を買う話しをし、その隣のテーブルでは女学生が脇目もふらずに英語の音読をしている。何度も発音を繰り返す。朝の1時間目にテストでもあるのだろう。中国語にはrの音があって、発音はいいのに。

この学生食堂は朝一食10元、つまり100円ちょっとくらい。我々の実感で言えば千円くらいに相当するので割高だが、多分奨学金でカバーされているのだろう。何種類もの料理があって、それぞれの窓口に分かれており、しかもカードで支払うやり方なので、渋滞は起こらない。ここらへんは大したものである。
講義のやり方は、日本と変わらない。僕はパワーポイントを使ってやった。日本の歴史、内政、外交、経済、社会の特徴を、中国人が持っているだろうステレオタイプな見方を自然に打破するよう、心がけた。相手を頭から批判したり、民主主義や市場経済の有用さについて説教したりするやり方は逆効果である。日本が抱える問題点も率直に説明し、学生が自分で考えるように仕向けるのが良いのだ。日本に行ったことのない学生が大部分であることも考慮して、ふだん撮りためた日本の生活情景のスライドを沢山見せた。都心の整然たる風景と、筆者地元のひばりヶ丘駅北口の雑然たる「アジア的」風景を対比させると、中国人学生は驚きの声を発したものである。

もう一つ、野田総理、小泉進次郎、丸山珠代の写真を並べて見せたが、男子学生は皆丸山珠代、女子学生は皆小泉進次郎に手を上げ、野田総理を支持した者は一人もいなかったのは可笑しかった。「なんだ。君たちもポピュリズムではないか」と言って皆で笑った次第。

最後の時間の多くは質問に答えることで過ごしたが、事前に質問をメモで出してもらった。匿名の方が質問を出しやすいだろうと思ったからだ。その質問は末尾に掲載しておくが、いずれも水準の高い真面目なものだった。こちらも反日とか嫌中とかの範疇からは離れて、アジアの仲間として日本での「事実はこうだ。ここはこうなっていて、こういう問題点がある」というアプローチで講義をしていたので、質問もすべて非常に冷静で着実なものだった。

長春というのは満州国の首都だったこともあり、日本に対する雰囲気には硬いものがあると言われているのではあるが、1年ほど前、昨今の「日本の顔」として中国青年の間で人気の高い加藤嘉一http://katoyoshikazu.com/ (北京大学に留学して中国に住み、中国語で発信している青年)が吉林大学に講演に来た時には、会場が満員となって立ち見が出るほどだったという。硬いとは言え、日本に対して特定の感情を持っているということは、それだけ日本に対して強い関心を持っているということでもある。

学生の質問でも、「先生は加藤さんをどう評価しますか?」というのがあった。こちらは、「外国というのは抽象的にではなく、自分の知っている人物に即して評価されるので、加藤さんのような日本の顔になれる人物が中国にいるのは良いことだと思っている。ところで皆さんは蒼井そらさんは好きですか?」と答えた。この蒼井そらというAV女優は、中国の学生がよく見ているうえに、中国語のツウィッターで答えてくれるというので中国で大人気、日本のマンガの女主人公とともに最近流行った卒業ソングの題名ともなっている。蒼井そらのAVビデオを見て過ごした僕らの青春、というわけだhttp://blog.livedoor.jp/chinaexplosion/tag/AV%E5%A5%B3%E5%84%AA。だから長春の学生も蒼井そらを知っているかと思って聞いてみたのだが、全員すぐ笑い出した。男子学生は善意ある笑い、女子学生はそうした男子学生に対する嘲笑ぎみの笑いというわけだ。みんな、加藤嘉一と蒼井そらを知っている。ITは偉大だ。

学生の質問

最後に、5日間の集中講義の間に学生、教師たちから受けた質問のうち主なものを記しておく。対日理解度が高く、特に「反日」的でもないことをわかっていただけると思う。

「欧米の民主主義とアジアの民主主義は違うのではないか? 日本は本当に民主主義だと思うか?」
「小さい頃から外交官になりたいと思っていたのか? 今の職業は、若いころの夢と関係があるのか?」
「(教師)日本は満州開発のために公債を発行し、満州人を搾取した金で返済をしたのではないか?」

「野田首相がまだ訪中していない。中国について硬派の発言もしたし(靖国神社についての発言のことだろう)、どのような対中政策を持っているのか?」
「異文化とのコミュニケーションの仕方を教えてほしい」
「日中間の青年交流の現状をどう見ているか? 加藤嘉一をどう見ているか?」
「日本の青年はなにを考えているか? どんなところに就職しているか?」

「日本政府はどのような就職促進策を取っているか?」
「日本のマスコミの自由の限界は奈辺にあるか。政府がマスコミを停刊したことはあるか?」
「日本のODAは国家予算から支払われているのか? ODAの目的は? ODAの決め方如何」

「中国が台頭する中で、日本の外交政策はどうしていくのか?」
「戦争でやられたのに、日本人はどうして米国を憎まないのか?」
「日本の若者に人気のある作家は?」

「天皇への態度は? 日本人は天皇に会えばお辞儀をするか?」
「講義で、『国民国家』は相対化しつつあると言われたが、それはどういう意味か?」
「日本では政治家主導が強調されているが、政治家と官僚が衝突した例を教えてほしい」
「東日本大地震復興に暴力団が関与しているらしいが、事実はどうなのか?」

「日本では青年の個性化が目立っているが、これは国の発展にどんな影響を与えるか?」
「中国が最近、領土問題で他国との衝突頻度を加えているのはなぜだと思うか?」
「東アジアの平和・繁栄、確保の方法如何」
「現代の大学教育をどう思うか?」

コメント

投稿者: 十神島根 | 2014年3月31日 20:05

チャーチルも言っていたが、民主主義は最高の政体ではないのだが、ほかの政治体制は最悪だといっていた。しかし、人口のレベル13億人において中国の共産主義は最高の政治体制だといえる。しかし、人口のレベルも政治体制も最適化するとせいぜい、3億人以下の民主政体だというのが歴史の教訓である。かくなる大英帝国も、日本が0.5億人の時代5.0億という人口を抱えていたが、日本の活躍がきっかけとなり第二次世界大戦後の民族自決権の前に脆くも崩れ0.5億人の国家となった。
つまり、中国は4つか5つの国になり、民主政体を採用することで真の先進国にはいるわけで、そこへの落としどころを日本はアドバイスする必要があると思う。
そう考えると、日本はまだまだ人口が増えても安定な国家を維持できる。その場合の移民政策を、①日本文化への同化加速方策、②人権を侵害しないことを前提とした一部集団化を抑制する方策を織り込んだ展開を直ちに実施すべきだと思う。
とにかく、民主主義が行き渡る人口限界を民族で見るだけでは不十分だと思う。

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